第二四五話、セラの決意
ノードゥス城本城の居住区画にある部屋に戻った時、一度は引いた涙が滝のように流れた。
自身のあまりの無力さに、セラは倒れこむようにベッドに沈む。
人の目がないのをいいことに泣いた。ただ、枕を引き寄せ、声を押し殺したのは部屋の外に人がいたら聞かれてしまうというプライドだったのかもしれない。仮にもアルゲナムの姫が大泣きしたなど、恥ずかしくてたまらない。
すまない――アルダクス王に謝らせてしまった。
彼はセラの意思を理解し、取りうる限りで最大限の便宜を図ってくれた。王である彼が、アルゲナム奪回を宣言すれば――と思いもあるが、そうなれば議会貴族たちが猛反対するだろう。
王は貴族と民を守り、貴族は王を助ける。その互いの関係にヒビが入れば、団結しなければならない今、かえって国内を分裂させ、状況を悪化させてしまう。特にライガネン貴族には、北部連合国の諸侯らと血縁にある者も多い。
まずはガナンスベルグが先――そう流れてしまうのも仕方のないことだった。
――わかっている。……わかっているけれど!
セラは悔しかった。結果的に、ライガネンに魔人の脅威を伝えることはできた。しかし故国を救うために、彼らを動かせなかった。
それでは駄目なのに。すぐにでもアルゲナムを救いたい。その一念でライガネン王国を目指し、歯を食いしばって頑張ってきた。
魔人と戦った国の兵士。セラを守り、国外への脱出のため果敢に追手に立ち向かった近衛の騎士や民たち――彼、彼女らの献身、犠牲は無駄にしてしまうのか。
あの苦労の旅は、いったい何だったのか。何度も死を覚悟した。実際、ライガネン寸前で死に掛けた。セラを励まし、共に戦ってくれたケイタたち傭兵にも辛く苦しい旅路に付き合わせてしまった。
その結果が、これではあまりに報われなさ過ぎる!
アルゲナムの民は今も助けを待っているに違いない。
約束したのだ、ライガネンに行き、事を成したら必ず戻ると。
――そうだ……。
セラは顔をあげる。涙を手で拭い、起き上がる。
「戻らなくちゃ。……約束したんだから。たとえ、一人でも」
ここで泣いていても、何も解決しないのだ。
ベッドに座り直す。視線の先には、いつの間にか黒髪のメイドが控えていた。何も言わず、じっと待ち続けていた様子の彼女。セラは少し恥ずかしくなりながら、はっきりとした声で告げた。
「マルグルナ、旅の支度をお願い」
「姫様……」
「アルゲナムへ戻ります」
セラの青い瞳に、迷いはなかった。
「ここにいても、何もできないから」
「承知しました……」
マルグルナは一礼すると、部屋から退出した。
セラはベッドから離れると身に纏っていた青いドレスを脱ぐ。襟元をつかんで、一気にドレスを引き抜く。ついで腰に巻いていたコルセットの紐を緩めてはずした。呼吸が楽になる。パーティーでもないし、そこまで美をアピールする場でもないからとそこまできつくしていなかったとはいえ、あるとないのとでは雲泥の差がある。
クローゼットを開けると、そこにはセラが旅の時に身に付けていたアルゲナムの女性戦士服の王室専用アレンジである白と青の服。純白のスカート、その裾が短めなのは動きを阻害しないためのもの。
しばらく着ていなかったが、汚れもなくきちんと整っている。マルグルナが手入れをしてくれたのだろう。
――彼女にも、何かお礼ができればいいんだけど。
今は何も渡せるものがない。ケイタの手配で、セラの身の回りの世話をしてくれたけれど、それも今日で終わりだ。
新品同様に綺麗になっている衣服をまとう。……なぜか、心がすっとした。
靴を替え、腰にはベルトを締める。銀魔剣――アルゲナムの勇者がかつて愛用した聖剣アルガ・ソラスを腰に下げる。そして胸元、いつもかけている白銀のペンダントに触れ、セラは目を細めた。
――皆、いま帰ります……。
ふと、鏡が目に入る。煌くような長い銀色の髪を持った少女――セラは自身の姿をしばしながめ、唐突にその髪に触れた。
姫様の髪は綺麗で、憧れます――そう言っていた少女がいたのを思い出す。ごめんなさい、不甲斐ない姫で。
セラは銀魔剣を抜いた。そして自身の長い髪を左手でひとまとめに掴むと、刃を当て切断した。皆が褒めてくれた髪が落ちていくのを背中に感じる。
一瞬、そこまでしなくても、と自分を惜しむ声と、それが甘いなんだ、という声が胸をよぎった。
だが、もうここで手を止めても遅い。肩口あたりまでの長さになる銀髪。左手で掴んでいた切られた髪を、机の上に置く。
扉がノックされ、開いた。マルグルナが戻ってきたのだ。
「姫様、その髪は――」
「これは私の覚悟」
セラは振り返る。
白銀の勇者の末裔に恥じない戦いをする。戦いに長い髪は不要だ。
そこでセラは、マルグルナの服装に気づき小さく驚いた。
黒髪のメイドは厚ぼったい外套をまとい、防寒用の帽子を被っていた。肩かけのバッグを二つ、胸元で交差するように二つ、背中にも大型のバックパックを背負っている。どこからどう見ても長旅を想定した格好である。
「マルグルナ、あなた……」
「お供いたします、姫様」
マルグルナは事務的な口調、能面のような表情で告げた。
次回、『ノードゥス城からの脱出』
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