第二四四話、されど、その意志は固く
この日は雪が吹き荒れていた。王都フェルムランケアの空は、厚い雪雲に覆われ、強烈なる寒波が人々の日中の行動を阻害した。
ノードゥス城の会議堂、北方産の魔石暖房によって温められた室内には、主な貴族議員が揃っていた。
議長席につくアルダクス王は、貴族らの席から離れた場所にいたセラを指名した。
白銀の国の姫は、その銀色の長い髪をなびかせながら、貴族たちに淑女の一礼をとった。
「ライガネン議会の皆様、そしてアルダクス・ライガネン国王陛下。他国の者に発言の許しと場をお与えくださり、誠にありがとうございます」
「……」
「私の国、アルゲナムに起きたことにつきましては、改めて説明するまでもなく皆様はご存知のことと思います」
セラは、ゆっくりと議員たちを見やる。セラよりもひと回りもふた回りも年配者が揃う場だった。みな一様に口を閉じ、白銀の姫の言葉に耳を傾けている。
「また、私も北のガナンスベルグ帝国の侵略行為によって、北部連合諸国が危機に見舞われていることも聞き及んでおります。ライガネン議会におきましては、ガナンスベルグ帝国の暴挙から連合国を救わんと討議を重ねていることも重々承知しています。ですが……」
セラは自身の胸に手を当てた。
「どうか西にも目を向けていただきたい。魔人の国レリエンディールは大陸を東進し、その魔の手を伸ばしています。今まさにリッケンシルト国がその闇に飲まれようとしています」
議員たちの中で、数名が顔をしかめた。今更言われなくてもわかっている、と言いたげな表情。
「リッケンシルトが魔人の手に落ちれば、次はその隣国であるアルトヴュー王国が狙われることでしょう。そしてアルトヴューが落ちることになれば……敵の牙はこのライガネンに向きます」
貴族議員らは瞑目する。
ただでさえ重かった空気がさらに増して、ひとり語るセラの心を締め付ける。彼らは、私の話を聞いているのだろうか。私の願いを聞いてくれるだろうか。バタバタと強風によって窓が音を立てたが、それはセラの心境と重なるかのように揺り動かした。不安、重圧――しかしここで黙るわけにはいかない。
「北部の問題が重要であることは理解しています。もちろん、救いを求めている連合は助けが必要でしょう。ですが、それに気をとられて背後を襲われては、いかにライガネン王国といえども危うい。……魔人の力は、強大です」
魔人の国の侵略に対して聖アルゲナム国は備えていた。暗黒大陸の入り口に通じる国境線では堅牢な城壁要塞が存在したが、魔人軍はそれを夜襲にてわずか半日で突破し、アルゲナム国内を電撃的に侵略した。
「どうか、西に対する備えを! 願わくば、魔人の力を打倒するために力をお貸しいただきたい。私は、多くの人々が魔人の侵略に対して団結し、それを迎え撃つ必要があると考えます」
セラは声を張り上げた。
「いまは、人間同士が争っている場合ではないのです! ……人類の団結のためならば、私はガナンスベルグに赴き、直接和平のための交渉も辞しません」
すっと、セラは静かに息をついた。
「……魔人には交渉ができませんから」
・ ・ ・
やるべきことはやった。だが、それだけだった。
セラは、空になった議会堂、その端の席に座ったまま動くことはできなかった。
悔いだけが胸に残った。俯いたまま、顔を上げることができない。噛み締めた唇。目頭が熱い。
『貴方の話は理解できる。だが物事には優先順位というものがある』
老貴族はそう言った。
『貴方の高潔なる考え、大変胸を打たれたが、誠に残念ながら我らの心を動かしても、ガナンスベルグの皇帝の心は動かせないだろう』
『姫殿下が、帝国との和平を実現できるものなら、我らは喜んで魔人との戦争に注力できる』
ですが――
『かの国の皇帝が、姫殿下の言葉を聞くとは到底思えません。……国を滅ぼされてしまった殿下の言葉では』
『ガナンスベルグが和平につくとしても、おそらく法外なる対価を要求してくるでしょう。北部連合国の領土割譲、賠償金――最低でもこのあたりは当然として、さらに厳しい要求を突きつけてくる』
『我らはもちろん、北部連合国が承知できない条件をふっかけてくるでしょうな』
失礼ながら――
『姫殿下は、かの国の皇帝がどのような人物かご存じない』
いいですか――
『失礼を承知で言えば、あなたはかの皇帝のもとへ行き、その靴を舐めることができますか?』
この言葉には、正直セラは絶句させられた。
『要するに、そういうことを敗者に要求するような人物ということです。逆らえば、まるで食事をとるような気軽さで民を虐殺することも行う』
そのような前例があり、焦土と化した国もある。
『魔人は我らと交渉はしないでしょう。ですが、それに負けず劣らず、ガナンスベルグの皇帝との交渉もまた、進展の可能性がないのも事実。……むろん、我々とて魔人に後背を刺されるのは御免被りますが』
実は――
『我々も北部連合も、ガナンスベルグとの休戦ないし和平を目指し交渉を重ねております。しかし、本来交渉によって互いの条件をすり合わせていくものですが、帝国の要求は妥協どころか、ますます厳しいものとなっております。つまり』
奴らに交渉の意志などないのです――
『対話を続けているのは、『無条件降伏』のみ受け付ける、ただその一点のみとしか思えませんな』
我らとて――
『かつての魔人戦争の折、我らの先祖は、姫殿下の先祖と共に奴らと戦った。魔人の脅威は認識しておるつもりです。しかし北と西、双方を同時に相手できるだけの力は我らにはない』
残念ですが――
『ガナンスベルグと魔人、どちらを集中して叩けば早期に決着がつくか……それを考えた場合、まず北のガナンスベルグに主力を投じる。その間、西には一部兵力を割いて、アルトヴューとの間に共同戦線をとり防備を固める。北を片付けたのち、返す剣で魔人を迎え撃つべく西へ転進する――これがおそらく最善の策だと考えられます」
――姫殿下には。
『ガナンスベルグ撃破か、あるいはアルトヴューでの防衛に協力をしていただければ、より早く、貴方様の国、友邦アルゲナム奪回に動くことができましょう』
民は――セラは、その時に口にしてしまった言葉を思い出し、さらに気分が沈んだ。
『民は、いま苦しんでいるのです!』
アルゲナム奪回に人類がまとまることができるのはいつか。半年? 一年? ……数年先。ガナンスベルグとの戦いが長引くだけ、アルゲナムをはじめ、魔人の支配化にある人々は苦しみ、絶望のうちに死んでいく。
待てない。そんなに長く……。
『お願いします!』
セラは、彼らに頭を下げた。
『どうか、民を救うために力を貸してください……!』
だが、貴族議員たちを動かすことは叶わなかった。やがて議会は閉会し、貴族たちはセラに励ましの言葉をかけながら去っていった。……セラは立ち上がることができなかった。
民を助けたい――セラは祈るようにその手を握り締めた。
ふと、そこで人の気配がした。セラの手に温かな手がふれ、握られる。
顔を上げれば、そこには膝をつき、セラを見つめるアルダクス王の姿。
「へ、陛下!?」
一国の王が跪いているのだ。セラは驚き、息を呑む。
「力に慣れなくて」
すまない――聖王は謝った。
こらえていたものが一気に氷解した。セラの目からは涙が溢れ、ぽろぽろとこぼれた。
「いえ……陛下……」
言葉にならなかった。止まらない涙。そんなセラを、アルダクス王は優しく抱きしめた。まるで父のように――亡き父ルクス王のように。
次回、『セラの決意』
少女は立ち上がる。故郷のために――
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