第二三五話、文通
ジュルター山の慧太たちのもとにやってきたのは、ノードゥス城からの伝書鷹だった。
足元に降り立ったそれから筒を回収し、慧太は手近な岩を椅子代わりにしながら中を検めた。……中身は紙――手紙が複数枚。
慧太が手紙に目を通していると、ユウラが口を開いた。
「何か知らせはありますか?」
「マルグルナからの業務報告」
一枚目の簡潔な文面を確認し終えて、青髪の魔術師へと渡す。
「ライガネンの連中は、北の動向を気にしているらしい」
「ガナンスベルグ」
ユウラは王都にいるメイドからの手紙を見やる。
「……アルダクス王、王都へ帰還」
「北部連合の視察から戻ったらしい」
慧太は次の手紙の文章を目で追いながら、上の空のような口調で言った。
「西のレリエンディールの話題がないようで、セラはご機嫌斜めのようだ」
「セラさんにとっては、北の侵略者より故郷を奪った魔人のほうが問題ですからね」
ユウラは、メイドからの手紙から視線をはずした。
「そちらは、セラさんから?」
「ああ。……議会で話題にならないから、国王陛下に直訴しないとダメかも、と書いてある」
慧太は顔を上げた。
「ライガネンはアルゲナム奪還に動くかな……?」
「現状だと難しいのでは?」
ユウラはじっと、慧太の手元を見つめる。ふむ、と慧太は自然と眉間にしわを寄せた。
「それで、二枚目は?」
「は?」
意味が分からず首を傾げれば、ユウラは顎で慧太の手元を指した。
「もう一枚、手紙あるでしょう?」
――目敏いな。
慧太は思わず顔をしかめる。……というか、こういつもだと隠しても無駄か。
「言わせるなよ。恥ずかしい」
「セラさんからの恋文ですか」
苦笑する青髪の魔術師。
「で、何が書いてあるんです?」
「どうしてあんたに内容を教えないといけないんだ?」
「気になったから、ではいけませんか?」
真面目ぶっているが、内心ではからかってやろうという気をひしひしと感じる。
「教えない」
慧太は首を横に振り、セラからの手紙を折り畳み、ポケットに――しまおうとして、すっと横からかっさらわれた。
手紙をとったのは、サターナだった。
「どれどれ……『親愛なるケイタ――』」
「おい、勝手に読むなよ!」
椅子代わりの岩から立ち上がり、慧太は手を伸ばすが、ドレスをまとう少女は軽やかに舞うようにかわすと手紙を読み上げはじめる。
「『今日も雪が待っていますが、そちらはいかがでしょうか? 寒くない? あなたのことだから大丈夫だとは思うけれど――』」
「やめろったら!」
ひらり、とサターナは楽しそうに避ける。
銀竜の鱗を剥がすリアナは、サターナの読み上げる内容を聞きながら作業を続け、アスモディアはニヤニヤと、慧太とサターナの追いかけっこを眺める。岩のように固い鱗を袋に入れながら、キアハは生暖かな視線を投げかける。
「『あの雪のナルヒェン山のことを思い出します。あの時あなたは――』」
「それ以上はダメだ!」
慧太はサターナの手から手紙を取り返す。雪のナルヒェン山といえば、遭難しかけ、セラが寒さで弱っていたから、肌を合わせて温めてやった件だ。……裸で。
「もう、お父様ったら!」
サターナは時々慧太を父親呼びする。その彼女は再度手を伸ばして手紙に触れ、それが慧太の手から離れた。寒風に乗って手紙はひらひらと舞う。サターナは叫んだ。
「アスモディア! 掴みなさい!」
「え!? はっ……!」
思わず手を伸ばしたが、慧太が自身の身体から分離した黒球を放るのが先だった。黒球はアスモディアの手を直撃して手紙に触れさせない。
「いっ、たぁ……!」
手を押さえる赤毛の美女シスター。手紙は、キアハの手に収まった。サターナが駆け寄ろうとするのを、慧太が押さえ込む。
「いい加減にしろって」
「キアハ! いまのうちに手紙の続きを読むのよ!」
「いや、キアハ。読まなくていいぞ! それを畳んでオレに返せ」
「ええっと……」
困ったようにキアハは手紙に視線を落とし、苦笑いを浮かべた。
「すみません、私。字が読めないので」
「あ――」
サターナが絶句した。
忘れていたわけでない。この世界における識字率というのは、さほど高くない。魔人とはいえ貴族であるサターナやアスモディアは当然、字の読み書きはできるし、慧太もユウラもそうだ。だから、ついうっかりしていた。親もなく、邪神教団に改造され半魔人とされたキアハが字を読めないという事実を。
「でも、凄いですよね。遠くにいても、まるで言葉を交わすように相手に伝わるって」
キアハは手紙を丁寧に畳むと、慧太に返した。
「私も字、覚えよう、かな……」
どこか恥ずかしげにキアハはそう言った。身体は大人のそれだが、年齢はこの中ではリアナと並んで最年少である。
騒ぎを他人事のように見ていたユウラが小さく笑んだ。
「学習意欲があるのはいいことです。キアハさんがその気であるなら、僕なりアスモディアに聞いてくれれば教えますよ」
「ありがとうございます!」
にっこりとキアハは微笑んだ。はじめて会った頃と比べたら、随分と彼女も表情が明るくなったものだ。家族を失い、人間としての身体を失い、仲間と思っていた村人も失った。何もかもなくしたキアハが人並みに笑うようになったのは、とても微笑ましく、慧太もまた胸の奥がぽっと暖かくなる。
皆が作業に戻るのを他所に、慧太は身体のほんの一部を分離し、紙とペンに変えた。意識を移さず固定化すれば、それは分身体ではなく本物の紙に変わるのだ。もっとも正確には紙のようなもの、であるが。……材質がどうだろうと書ければ問題ない。
「あなたもまめですね」
ユウラは手紙をしたためる慧太の背中を見つめる。
「そうやって毎日、セラさんに手紙を書くなんて」
「セラが送ってくるからな」
受け取ったらできるだけ早く返事をする、それが慧太のポリシーだったりする。
相手が毎日書いているのに一日でも返事を書かないのは、相手――つまりセラががっかりするのではないかと思うのだ。……彼女が悲しそうにしていると思うと胸が痛い。
「何を書いてるんです?」
「お前らのこと」
慧太は口もとに笑みを浮かべながら、ペンを走らせた。
「――キアハが字を覚えようとしていることも」
「愛の囁きは?」
「たとえ書いても教えない」
正直に言えば、恥ずかしくてそういうのは書けない。ただ、セラが早く会いたいというのに対しては、オレも会いたい、と書くくらいはできる。
そこで慧太の手が止まる。考え深げに視線を遠くに向ける黒髪の少年を見やり、ユウラは怪訝な顔になる。
「どうしました?」
「……いや、この手紙が届くのは二日後なんだなって思って」
「それが?」
「セラの手紙」と、慧太はポケットの上から彼女の書いたそれに触れる。
「これも二日前の彼女なんだよな。昨日書いた手紙はいまごろ空を飛んでいて、今日書いた手紙はもしかしたら、いまこの瞬間に放たれたかもしれない。だから何だってわけじゃないけど少しな……しんみりとした」
もとの世界の、日本にいた頃なら、お互いに携帯やらメールでほぼリアルタイムで話したり、やりとりができるのに。
――だからか。
慧太は空を見上げる。すぐに届かないから、毎日書いているのか。離れているから、それでも相手のことを感じていたいから。
次回、『準備期間』
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次話は、10日夜に投稿しますが、仕事の都合上、いつもより遅くなります。




