第二三三話、セラ、手紙を書く
ノードゥス城の中央塔、王族居住区の一角に来賓用の部屋がある。セラはしばらくこの部屋で寝泊りしている。
部屋に戻った時、セラの背後には、一人の女性が着き従っていた。
名を、マルグルナ・シェードという。
二十代半ばから後半。黒髪を後ろに束ね、人形のように表情の動かない、淡々とした人物だ。メイド衣装をまとい、セラの世話係として、すでに十日ほど行動を共にしていた。……会議堂の傍聴席にも、聖王との会話中もセラの後ろに控えていたが、極端に存在感を薄くすることができる妙な特技を持っていた。
「ライガネンは動けないかもしれない」
セラは疲れた表情で、思わず口走っていた。
「アルゲナムからここまで、あれだけ苦労してたどり着いたのに……無駄になってしまうかもしれない」
魔人に追われ、命を狙われ、あわや死にかけた。つらく苦しかったあの日々。セラを守ってくれた頼もしき傭兵たちがいなければ、ここにいることもできなかった。
椅子に腰掛け、思わず右手を額にあてながら天井を見上げる。温かな魔石照明の光が目に優しい。……さすが王族来賓用の部屋。その照明器具はかなり高価な代物だ。
「無駄ではありません、セラ姫様」
マルグルナは、事務的な口調で言った。
「ライガネン王国に魔人の脅威を伝えられたのです。アルゲナム王のご遺言はきちんと果たされました」
「……ありがとう、マルグルナ」
セラは小さく笑んだ。自嘲ともとれる、ささやかな笑みだったが。
「それに、今夜アルダクス陛下と会食がございます」
やはり淡々と、セラに仕えるメイドは告げた。
「そこで再度ライガネンに動くよう、お願いされては」
「もちろん、この機会を逃すつもりはないわ」
アルダクス王の突然の談話。別れ際に、今夜一緒に食事を、と誘われた。王との個別で話をする機会である。セラは喜んで受けたのだ。
「私の行動ひとつで、アルゲナムの未来も変わる。……気が重いわ」
弱音が、口をついて出た。仰いだ天井、魔石照明の奥、描かれた天使の絵を注視する。
「セラ姫様……?」
その声は、セラの耳には届かなかった。銀色の髪の姫の青い瞳には、ここにはいない黒髪の少年――セラを守り、共に旅をした傭兵の姿が映る。
「ケイタ……」
視線を下げると、セラはすっと背筋を伸ばして椅子に座りなおした。机に向かいながら、メイドに顔を向ける。
「マルグルナ、紙と書くものを――」
「ハヅチ様への手紙ですか?」
視線だけを動かし、メイドは問うた。セラは頷く。
「そう。いつもの」
「かしこまりました」
軽く一礼したあと、マルグルナは控え室へと下がる。少しして戻ってきた彼女はセラの前に羽根ペンとインクの入った小瓶を置いた。
「差し出がましいですが」
マルグルナは、特に感情を込めずに言った。
「セラ姫様もまめですね」
「?」
セラはきょとんとしてしまう。いったいどういう意味だろう。
「ハヅチ様への恋文を毎日したためるというのは――」
「こ、恋……!?」
途端にアルゲナムの姫は顔を真っ赤に染めた。
「ち、違う! 恋文とかじゃなくて……!」
ぐっと唇を噛み締める。青い瞳は救いを求めるようにあらぬ方向へとブレる。
「じょ、情報の共有! それはとても大事なことじゃないかしら? とくに、離れている時は」
「情報の共有、ですか」
マルグルナは、あからさまに肩をすくめてみせた。
「要するに業務報告ということですか」
「そ、そうよ」
「そうですか」
黒髪のメイドは、すまし顔で言った。
「それでは紙は一枚でよろしいですね?」
「……」
セラは拗ねたような顔になる。――意地悪だわ。この人。どこかの誰かさんみたい。
「二枚、ちょうだい」
「はい、セラ姫様」
マルグルナは、セラの前に手紙用の紙を二枚置いた。
「それでは隣で控えております。書き終わりましたら、お呼びくださいませ……」
深々と頭を下げて、メイドは隣の部屋へと移動した。
セラは、羽根ペンをとり、その先にインクをつける。一枚目の紙には、さらさらとペンを走らせる。近況の、といってもほぼ毎日書いているから今日あった出来事、議会の動向などを書く。これにはさほど時間はかからなかった。
そして二枚目……。
手が止まる。
しばし考えている間に、一枚目を書き上げた以上の時間が経ってしまう。ただ悩んだのは最初だけで、一度書き始めるとスラスラと書き上げた。
インクが乾くのを待つのは時間がかかるので、細かな粉――吸い取り砂をふりかける。余分なインクを吸い込ませて、折りたたんだ時にインクが紙につかないようにするのだ。面倒であるが、手紙の内容の秘匿性が高い場合は、書いた当人が処理をする。……恋文などと言われたが、実際そのとおりで、その内容をマルグルナに見られるなど憤死ものである。
手紙だから本来は折りたたむところだが、輸送手段が通常のそれとは異なるため、ロール上に丸め、専用の筒に入れる。蓋を閉め、それを持って席を立つと、隣の部屋へと向かった。
「セラ姫様」
マルグルナが窓のそばに立っていた。窓のヘリには漆黒の鷹がいて、視線をセラへと向けてくる。伝書鳩ならぬ、伝書鷹である。これが手紙を運ぶ輸送手段。
「お呼びいただければ、取りに参りましたのに」
「いいのよ」
セラは手紙の入った筒を、マルグルナへと渡した。
「お願いします」
「承りました」
さっそくマルグルナは、鷹の背中に筒をくくりつける。セラは口を開いた。
「その鷹って、ケイタのシェイプシフターよね?」
「はい」
メイドは手早く作業を終えると、伝令役の鷹を窓から外へと放った。
飛び去る鷹の後ろ姿を眺めながら、セラはマルグルナがメイドとしてついてから気になっていたことを聞いてみた。
「あなたとケイタは、どういう関係?」
「傭兵時代からの付き合いです」
マルグルナは淡々と答えた。
「こちらに住んでおりまして、ケイタ……ハヅチ様より声をかけられました。ご自身が留守のあいだ、あなた様のお世話をするように、と」
「ケイタにメイドの知り合いがいたというのが驚きだけれど」
セラは苦笑する。すっとマルグルナの黒い瞳が、銀髪姫を見た。
「個人的に親しい間柄ではありませんので、ご心配なく」
「そ、そう……」
別に男女の関係を聞いたわけではないけれど――。そう受け取られてしまったのが恥ずかしくて、セラは視線を曇り空へと向けた。
「ケイタは、いまどのあたりかしら?」
「昨日の報せどおりでしたら」
マルグルナも視線を辿った。
「ライガネンとアルトヴューの国境、ジュルター山にいる頃でございましょう」
次回、『銀竜漁り』




