第二二六話、魔術師の本気
アスモディアはユウラが撃墜した銀竜ズィルバードラッケを追った。
強力な電撃を浴び、全身麻痺を引き起こした銀竜は地面に激突したが、絶命したわけではなかった。
――トドメを刺さねば。
身体の一部が火傷でもしたのか、薄く煙が上がっている。痙攣を起こしつつ横たわっていたズィルバードラッケだが、すぐに麻痺から回復したのか、接近するアスモディアに長大な尻尾による攻撃を繰り出してきた。
「ちっ――!」
鞭のようにしなる尻尾が風を切り、アスモディアをかすめる。……一瞬、あれに当たったらどんな衝撃を受けるのか体験したいという衝動にかられたが何とかこらえる。敬愛するマスターを失望させるわけにはいかない。
しかし、どうしたものか。
ズィルバードラッケは、まだ痺れを残しているのか、その場から動かず尻尾だけを繰り出している。おそらくその一撃は本気のそれからは程遠いが、人間程度なら軽く潰せるだけの威力はあるだろう。
――こちらの火力では、ドラッケの防御を抜けないのよねえ……。
銀竜が咆哮を上げる。――ああ、うるさい!
ふと、やや離れた後ろを駆け抜ける音がした。地面を砕く尻尾攻撃をかわしつつ、視線を向ければ、慧太とシェイプシフターの分身体たちが、こちらを無視するように横断していくところだった。
「ちょっと、ケイタ! こっち手伝ってよ!」
「悪いな、アスモディア! セラがやばいんだ。そっちは自力で何とかしてくれ!」
「あ、ちょっと――!」
その切羽詰った表情は、冗談の類ではなく本当にセラ姫が危ないのかもしれない。アスモディアは紅槍を構えて、ドラッケを睨み返す。
「もう、わたくし一人でこれの相手をしろっていうの!?」
口にしてみて、胸の奥がドクリと跳ねたのは内緒である。――というかサターナは援護してくれないの? ……仕方ない。それなら、わたくしの華麗なる竜退治の勇姿を見れなかったこと、後悔させてあげるわ!
アスモディアは前に出た。動けない敵など離れてしまえば攻撃も届かなくなる――と思いがちだが、こちらも攻め手に欠ける以上、時間をかければ敵に利するだけである。
正面から突っ込み距離を詰めたことで、ドラッケの尻尾がアスモディアを攻撃しにくくなった。このまま超至近に迫って――
ドラッケが前の半身を持ち上げた。前足、いや手でアスモディアを潰そうというのだろう。しかし、麻痺の残る身体から繰り出す一撃など、避けるのも容易。
アスモディアは翼を使って飛び上がる。ドラッケが地面に腕を叩き込んだ隙に、一気にその頭頂部へと降り立つ。
相手の攻撃の死角だ。だが魔法武器であるスコルピオテイルを持ってしても銀竜の厚い鱗を穿つことは叶わない。それであるならば――その大きなお目々を穿つ!
アスモディアの切り札。巨獣をも一刺しで仕留める猛毒を持った尻尾による一撃。ふだん隠している……魔素の構成体である現在、消すことも可能な部位である、それが姿を現す。
そしてその尾の毒針を、比較的弱い銀竜の目に叩き込む。
銀竜は目を潰される形となり、絶叫した。
だがそれで終わりだ。アスモディアの投入した猛毒は、やがて銀竜の全身を駆け巡り、血管という血管を毒で冒し焼け爛れさせて死に追いやるのだ。
やがてドラッケはその身体を地面に食い込ませ、絶命した。アスモディアは強気の笑みを浮かべる。
「見なさい! 竜だってわたくしに掛かればイチコロよ!」
誰も見ていないのが寂しい……。
アスモディアは気を取り直すと、マスターたるユウラのもとへ戻ろうと視線を転じた。だが飛び込んできたのは、青髪の魔術師の前に武器を構えて立っている魔人兵たちの姿。
「ユウラ様っ!!」
思わず声に出た。あの魔人たちは、カラドレザン――周囲の景色に同化して姿を隠すことができる種族。それが突然現れて攻撃してくれば避けることは至難の業だ。
――こんなところで、青の鬼神と呼ばれたあの方を失うわけには……!
だが、アスモディアの心配は杞憂だった。
何故なら――
・ ・ ・
「なんで、立っている……?」
魔人兵は驚愕の面持ちだった。
対峙した青髪の魔術師、その胸に三本も矢を浴びながら、最初こそ顔を歪ませたが、いまは何事もなく、平然と立っていた。
どこか表情の読めない男だったが、いまは心なしかその視線に怒りのようなものがたぎっている。
「くそっ!」
カラドレザン兵たちはクロスボウに矢を装填する。
だがそれは果たされなかった。何故なら彼らの目の前でクロスボウが突然折れてしまったからだ。
「な……ッ!?」
「……さすがに頭にきました」
青髪の魔術師――ユウラは苛立ちを隠そうともしなかった。
「人を驚かせることは好きですが、驚かされるのは好みではありません。とくに、こういう悪い驚かされ方はね……」
次の瞬間、魔人兵らの身体が内部から弾けた。一瞬で訪れた死、突然絶たれた命が闇に沈む刹那、彼らは驚愕し、同時に理由もわからないまま果てた。
ユウラは、いびつな死に様をさらす魔人兵を、さながら塵を見る目で見下ろした。
同時に、自身が着込む黒い外套、その矢が突き刺さっている少し上をトントンと指先で弾くと、三本の矢は外套の生地に吐き出されるように落ちた。
――さすが、シェイプシフター製の外套。対弾性は抜群だ。
圧倒的に火に弱いのが玉に瑕ではある。だが物理的攻撃に対して恐ろしいまでに平気なシェイプシフター体からできている外套は、クロスボウの矢も防いで見せた。……まあ、ある程度の衝撃は受けたので、まったく痛くなかったといえば嘘になるが。
――しかし……。
ユウラは苛立っていた。この山に来てから、いろいろ思ったことが裏目に出ているような気がしてならない。別にユウラ自身が悪いわけではないが、自分の思惑が欠片も合致しないことが続くと、どうにも面白くなかった。
何より不愉快だったのは、傷を負わなかったが、雑兵ごときに攻撃を当てられたことだった。
竜の咆哮が轟いた。先ほどまでの若竜たちよりも太く、また逞しい声。
顔を上げれば、今までの銀竜が子供と言われても信じてしまえるくらいさらに大きなズィルバードラッケの巨体が、重々しくこちらへ飛来してくるのが見えた。
――これが、例の主か……。
見るものを威圧し、銀竜のさらに親玉とも言える個体が飛んでくるにも関わらず、ユウラは倣岸にも睨みつけた。
「まあ、いいか。……お相手しよう、銀竜の女王」
青髪の魔術師が、軽く右手を銀竜に向ける。出現したのは青白く輝く光の槍。その槍は雷鳴を轟かせ、銀竜の胴体を貫いた。
・ ・ ・
あれは何だ……?
ヴェーアヴォルフ隊の副官である狼系魔人のスュードは、銀竜の親と思しき巨竜と青髪の魔術師が戦うさまを目の当たりにしていた。
恐るべき火力と、強靭な防御を兼ね備える地上最強クラスの生物であるドラッケを相手に、人間の魔術師がたった一人立ち向かう。
いや、それは戦いと呼んでいいのか。
魔術師の放つ青い閃光は、銀竜の岩のように厚い鱗を容易く穿っている。いままさに巨木のごとき銀竜の腕がちぎれ跳んだ。
一方的だった。青髪の魔術師は、一歩も動いていない。銀竜があげる敵の戦意を奪う咆哮も、痛みにのたうつ苦悶の声に変わっている。……竜を圧倒する人間、そんなものが存在するというのか……!
スュードは驚愕する。我々は、セラフィナ・アルゲナムに同行するこの若い魔術師の力量を完全に見誤っていた。
「副長!」
声をかけられて振り返れば、カラドレザン兵らで構成される第四分隊の兵どもだった。
「サターナ様に化けるシェイプシフターを始末しました! ……しかしこれは――」
彼らも、今しがた目にしている銀竜と魔術師の戦いに呆然となっている。
どうするべきか――スュードは思案する。白銀の戦乙女と交戦しているオルドル隊長と合流して、早々に戦場を離脱すべきではないか。……ぐずぐずしていると魔術師が銀竜を殺し、その攻撃がこちらに向く。そうなれば――生き残れる自信がなかった。
「……あら、誰を始末したって?」
女の声。四分隊の兵がビクリと肩をすくませた。唐突に背後からかけられたその声に、一人の兵が振り向いた時、すっとサターナの顔がそばにあった。
「……ッ!?」
「ちょーとばかり詰めが甘かったわよ、ルガルーの諸君」
その兵の胸から鋭い突起――いや一角獣の角を模した剣が飛び出す。
「あはっ!」
カラドレザン兵の影から、ぬっと現れたサターナ=シェイプシフターは舞を舞うようにくるりとターン。妖艶なる笑みを浮かべた時には、魔人兵らの影から鋭い氷柱が飛び出して、一人残らず串刺しにした。
「ほんと、詰めが甘いわよ」
彼らがサターナに炎の矢を放つ寸前。
一瞬の問答の隙に、サターナは魔人兵の一人の影にその身の半分を紛れ込ませることで窮地を脱した。……まあ、半分は燃えてしまったわけだが。魔人兵らの敗因は、自らの影がサターナに重なるほど近くに立っていたこと。その重なった影は、ただの影ではなくシェイプシフターの身体の一部なのだから。
ヴェーアヴォルフの兵を始末したサターナは、視線を転じる。
ユウラと銀竜の戦い――その一方的な差に、サターナは眉をひそめる。
――ユウラ・ワーベルタ……。何か秘密があるとは思っていたけれど……いったい何者なの?
次回、『消えていく命』
第一部完結まで、残り四話!




