第二一九話、ヴェーアヴォルフ
狼男。つまりはそういう意味の言葉だ。
レリエンディール軍における正式名称はルガルー隊であるが、彼らは人間の言葉でのヴェーアヴォルフを名乗っていた。それは人間たちに紛れて行う特殊な作戦行動ゆえ、人間の言語――ここでいうところの西方語を習得し、それを常日頃から用いるように訓練されていたのだ。
オルドルは、ヴェーアヴォルフ隊の指揮官だった。古い傷によって左目が塞がっている男で、耳もとから顎まで伸びたひげは、獅子の鬣を思わせる。灰色の肌、尖った耳は獣のそれだ。しかしそれを除けば、革鎧をまとった成人の戦士に見える。
きらめくアーテム川に沿って立ち並ぶ木々、その一角に立つ魔人オルドルのまわりには、やはり同種の鎧や、黒い外套のような戦闘服をまとった人型や獣顔の魔人たちがいた。
「どうだ?」
オルドルが問うたのは、緑色の肌をもったトカゲに似た顔を持つ魔人。カラドレザンという名の、肌の色を周囲の色に合わせて変えることができる種族の兵だ。
「厳しいです。なかなか距離が詰められません」
「やはり、狐か?」
「はい。あと、どうもこちらの気配を勘ぐり始めたようで、警戒の仕草が増えております」
「これ以上はかえって悟られる危険が高まるか」
オルドルは自身の顎ひげを撫でる。傍らに立っていた副官である狼魔人のスュードが口を開いた。
「仕掛けますか?」
「いや。万一、初手で狐を仕留められなかった場合、森で奴と交戦するのはリスクが高すぎる……」
オルドルらヴェーアヴォルフの面々は、セラフィナ・アルゲナム率いる傭兵団と人間の盗賊団との交戦を目の当たりにしている。馬車の屋根から恐るべき射撃の腕を発揮した狐人の女に狙われたら、相当の損害を覚悟せねばなるまい。
「いったん、連中の索敵範囲外に出よう。それで奴らの警戒心を溶くんだ。幸い、連中の行き先はわかっている」
オルドルは地図を取り出して広げると、地面に置いた。周囲の部下たちがそれを囲み、指揮官の言動に注意を払う。
「ライガネン――西方諸国の中ではもっとも強力な軍備を持っている強国だ。アルゲナムの姫は、そちらに逃げ込むとみて、ほぼ間違いない」
その指が地図上のアーテム川に沿って動く。
「国境のこの山だ。ここで待ち伏せする。……何か質問は?」
部下たちは首を横に振り、スュード副官が言った。
「ありません」
「では、次……敵の編成の再確認だ」
地図を巻きながら、オルドルは告げる。
「標的は、アルゲナムの姫だ。何はなくとも勇者の末裔であるこの娘の始末が最優先だ。他は逃がしても最悪よしとする」
「可能なら」
スキロデ人の部下の一人が口を開いた。
「全員始末するんですよね」
「そうだ。我々は痕跡を残さない」
オルドルは鋭い視線を部下たちに向ける。
「我々は戦場で名を上げてはならない。何にやられたか、それすら悟らせずに目的を果たすことが最大の誉れだ」
「ルーワン」
了解を意味するヴェーアヴォルフ隊内でのみ使われる返事を一同が揃って返した。
「このアルゲナムの姫は空を飛ぶことができる。飛び上がられると、こちらは攻撃手段が限られる」
「うちは飛翔兵がいませんからな」
副官が言えば、オルドルは頷いた。
「ゆえに地上にいるうちにケリをつける必要がある。そのための奇襲だ。敵は狐人の狙撃手、オーガという近接型亜人、トリッキーな動きを見せる戦士と、魔術師……」
ヴェーアヴォルフの指揮官は声を落とした。
「アスモディア・カペルとサターナ・リュコス。それとシェイプシフター」
部下たちの顔が一様に真剣なものに変わる。
「五頭の騎乗竜が――」
「いまは六頭です」
斥候を務めたトカゲ顔のカラドレザン兵が訂正した。オルドルは首肯する。
「その六頭の騎乗竜はシェイプシフターだ。まずはこの足を止める必要があるが……シェイプシフターの殺し方はわかっているな?」
「はい」
「ええ」
ヴェーアヴォルフの部下たちは頷いて答えた。オルドルは「よし」と皆を見回す。
「行方不明になっていたアスモディア・カペルが何故、アルゲナムの姫と行動を共にしているかはわからんが、祖国を裏切ったと見るべきだろう。異議のある者は?」
誰も何も言わなかった。同意とみて、オルドルは続ける。
「よってアスモディア・カペルは捕縛対象とするが、抵抗した場合は殺害してかまわない。最優先はアルゲナムの姫の抹殺だ」
「サターナ様はどうします?」
スュード副官が問うた。オルドルは視線を寄越した。
「あれは本物のサターナ・リュコスではないな。斥候らの報告を総合すると、あれもシェイプシフターだろう」
一年前に作戦中行方不明になったとはいえ、サターナ姫には変身能力はなかった。斥候がみた、姿が変わるというのは、どちらかといえばシェイプシフターの能力である。本物でないなら、生かしておく理由はない。
「始末しろ」
指揮官は告げた。
「とりあえず、見張りのために出している斥候たちを下げろ。我々は迂回路をとって、敵の先を行く――」
ガサガサと茂みをかきわける音がして、一同は視線を向けた。大急ぎで駆けてきたらしいトカゲ顔の兵は、素早く息を整えると報告した。
「山に先行した物見から報告が」
「なんだ?」
オルドルが問えば、緑色の肌が色を失っていく。要するに青ざめているのだ。
「それが――」
兵の報告に、ヴェーアヴォルフの面々は息を呑んだ。
・ ・ ・
「嘘だろ……」
慧太は、思わず口走っていた。
うっすらと空を覆う雲。遥かな大地を眼下に見やりながら、巨大な飛翔体が通過する。
白銀の鱗を全身に持つその巨体。銀竜――ズィルバードラッケ。それが二枚の大きな翼を羽ばたかせ、視界の中をよぎっていく。
肉食竜じみたやや小ぶりな頭。しかしそれだけでも大の大人と同程度の大きさがある。二本の湾曲した角を生やし、顎の部分にも突起状の角らしきものが左右四本ずつ伸びている。鋭い鉤爪のついた前足、それよりややふとましく大きな後ろ足。身体の半分くらいの長さはありそうな長い尻尾を持っている。
グルント台地の地下で、墓場モグラことマクバフルドや水晶サソリなどを見てきた慧太から見ても、それの倍以上の体躯を持つ銀竜。重量も凄まじそうなのに、空を悠々と飛ぶさまは威風堂々。竜が最強の生物というのを無条件で周囲に認めさせる貫禄に満ちていた。
――なんで奴がいる……ッ!
慧太は歯噛みする。
言い方は悪いが、アルトヴュー王国を荒らしまわっているという銀竜は、もっと南方にいると思っていた。それがよりにもよって、慧太たちの目の前に現れ、あまつさえライガネン王国との国境線であるジュルターの山々の方向へと飛び去って行ったのだ。
「最悪の展開ってやつかこれは――」
慧太が呟けば、硬い表情を崩さずにユウラが言った。
「不可避、と決まったわけではありませんが」
視線を、セラへと向ける。
「遭遇率がグンと跳ね上がったのは間違いなさそうですね」
「……ズィルバードラッケ……!」
セラの顔が強張る。想像よりも大きく、また強大な力を銀竜から感じたのだろう。あれと遭遇して交戦することになれば、勝てるのだろうか……?
「進みましょう」
セラは凛とした表情を浮かべ、皆を見回した。
「ここまで来て、引き返すも迂回もなしです。一刻も早く、ライガネンへ向かわなくては」
たとえ、銀竜がいるとわかっている場所に行くことになったとしても。白銀の騎士姫の決意は揺るがない。
次回、『竜の棲む山』
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