第二一八話、忍び寄る影
アーテム川に沿って東へ移動しながら、はや三日。岩場だったり、さほど高くない山だったり、森を進むが、いずれも左に目を向ければ豊かなアーテム川が流れていた。
騎乗用の小型竜コンプトゥスの背中に揺られながら、慧太は気を配る。
周囲は森だ。比較的開けているのは、ここを動物が多く通過するためだろうか。数十センチ程度の高さの草を小型竜は踏みしめる。
昨日からキアハは小型竜に一人で騎乗していた。普通なら長距離移動しながら乗り方を教えるのは余計な時間を消費するだけである。だが、そもそもコンプトゥスはアルフォンソであり、乗り手がたとえド素人でも皆に遅れないように配慮するだけの頭は持っていた。
その代わり、慧太の小型竜には少女形態のサターナが乗っている。
先日の告白があったものの、セラ自身は普段どうりだった。少なくともそう振る舞っている。ただキアハを除く面々は、何となく慧太とセラの間で何かあったことを察しているようだった。
前を行くユウラが口笛を吹けば、先導するリアナがコンプトゥスを止めて、その場に待機した。順次追いつきながら、一行は集まる。慧太は声をかけた。
「そろそろ、休憩の頃合か?」
「ですね」
ユウラは頷くと、小型竜を降り、ポケットから地図を取り出した。周囲の地形と見比べているが……。――そんな詳細な地図だったっけか。慧太は小首を傾げる。
セラとキアハもコンプトゥスの背中から降りる。周囲を見渡した彼女たちは、近くの茂みを指差し、そちらへ移動する。
……何となく見当はついたが、いちおう慧太は声をかける。
「おしっこ?」
「小用です!」
セラが噛み付くような勢いで言った。羞恥に顔を染めながらも、やや怒った様子の銀髪のお姫様と、どこか呆れ顔のキアハ。茂みの向こうで済ませてくるのだろうが……慧太は何か言いたげな仲間たちの視線を感じながら、肩をすくめた。
「……デリカシーがない言い方だったとは思う」
ですね――とユウラは頷き、そばで同じように地図を見ていたアスモディアでさえ首を小さく横に振った。
「その……ユウラ。西方語で、小便に行く時とかのお上品な言い回しとか教えてくれよ」
「え? 嫌ですよ」
青髪の魔術師は地図を覗き込むフリをしながら逃げる。
「なんで!?」
「周囲の雰囲気をよくするために、たまにはあなたがお馬鹿なことを言ってもいいと思いましてね」
「……お前らの笑いはとれても、女性陣からの評価は下がるぞ」
「では、その女性陣から聞いてみるのは?」
「正気かよ。それは色々ダメだろう……」
「アスモディア、答えてあげて――」
「いや待て。そいつは黙らせておけ」
慧太は遮った。シスター服をまとい、清楚なフリをする女魔人は、変態である。この手の話を聞く相手としては、ろくな答えが返ってこない気がしてならない。
慧太の背中で、サターナが楽しそうに笑った。他人事だと思って……。
「なあ、リアナ、こいつらこんなんだけどどう――」
狐人の相棒に顔を向け、そこで慧太は言葉を切った。
無表情が基本のリアナが、どこか警戒するように来た道へと視線を向けていた。立った狐耳がぴくぴくと動き、緊張感をたぎらせている。
「どうした?」
「何か……嫌な感じがする」
リアナは視線をゆっくりと右から左へと流していく。
「……何かに、見られているような」
何か――リアナにしては要領の得ない答えだ。それゆえに、慧太も一気に警戒の度合いを高めた。
「いつからだ?」
「……時々、嫌な感じはしていた。数日前から。……昨日あたりから、何となく気配のようなものを感じるようになった」
リアナは眉間にしわを寄せる。
「だけど、確認しようとすると消える」
「消える?」
慧太は小首をかしげ、後ろのサターナを見やる。彼女も肩をすくめた。
「あ……」
リアナが唐突に視線を上げた。どうした?
「狼か犬だとは思うけど、何かやりとりしてる……」
聴覚に優れる狐人の耳が、その見えないやりとりを捉える。慧太は耳をすましたが、鳥の声や葉の揺れる音などでよくわからなかった。遠吠えみたいな音が聞こえたような……?
サターナの黒髪の間から、ひょっこり犬――狼耳が現れる。魔人形態での本来の耳だ。慧太は呟くように言った。
「わかるか?」
「……リアナ。これ、いつから?」
「やりとりが気になりだしたのは昨日」
リアナは即答した。
「ただ会話らしきやりとり自体は三日前から。ひょっとしたらそれより前からかもしれないけれど、特に気にしていなかった」
リアナとサターナのやりとり。その意味は分からないが、何か深刻な問題のように慧太には思えた。だから聞いた。
「何なんだ? 何が問題なんだ?」
「このやりとりを行っている動物、あるいは獣人かもしれないけど、その声の発生位置がほとんど変わっていない」
「……?」
「ワタシたちは移動している」
サターナが眉をひそめる。
「にも関わらず、声の発生位置がほとんど変わらないということは……そのやりとりしているモノは、こちらからほぼ同じ距離をとってついてきているということよ」
「ついてきて……!?」
それが本当なら、確かに問題だ。何者かはわからないが、こちらを追尾しているということだから。獣、あるいは獣人かもしれないというが、何故こちらを追いかけてくるのか?
「単にこちらを獲物と認識した肉食獣とか――」
自分で言ってみて、その可能性は低いと思った。案の定、リアナは否定する。
「それなら距離を詰めるか諦めるか、別の動きを見せるはず。距離をとったまま追ってくる理由が不可解」
「こいつらは獣ではないわ」
黒髪の女魔人は自身の狼耳を撫でた。……こいつら?
「ほとんど終わりの部分だったけど、これはレリエンディールの魔人……正確にはルガルーの符丁ね」
「魔人、だと……?」
ナルヒェン山での戦い以後、遭遇することなく、こちらの遥か後方にいると思った魔人――それがこの近くにいる。レリエンディール軍がアルトヴュー王国にすでに進出しているというのは、ライガネン王国を目前としている今、ショッキングなことだった。
「ワタシたち、どうやら厄介な連中に追跡されていたみたいよ」
サターナが苦虫を噛んだような顔になる。
「ルガルー隊。……リッケンシルト風に言えば」
「ヴェーアヴォルフ」
ユウラが口を開いた。
「狼男、ですか」
アスモディアが顔をしかめた。
「擬態を得意とするレリエンディールの特殊工作部隊。破壊工作はもちろん、暗殺行動もこなす少数精鋭――」
小用を済ませたらしいセラとキアハが戻ってくる。一同の深刻な顔に互いに顔を見合わせている。
「そんな奴らが狙うとすれば」
慧太の視線は、自然とアルゲナムの姫へと向けられる。サターナは頷いた。
「ええ、おそらく、セラを暗殺するつもりでしょうね」
白銀の勇者の末裔。アルゲナムの戦乙女。
あと――彼女の紅玉色の瞳が、赤毛のシスターへと注がれる。
「いつから奴らに追尾されていたかわからないけれど、場合によってはワタシやアスモディアも『敵』と認識されて消されるかもね」
次回、『ヴェーアヴォルフ』
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本日はもう1話投稿予定。22時から0時ごろまでには更新したい……。




