第一九六話、シアード町の出会い
一日が経過した。
カーフマンの馬車は、目的地であるシアードの町に到着した。
大きな町だった。四方を取り囲む石の壁は、城塞都市ヌンフトのそれと比べたらぜんぜん低かったが、こちらのほうが遥かに規模が大きかった。
白レンガ積みの無骨な建物が並ぶ町並み。人通りも多く、街道沿いの大通りは、露店がひしめき、人でごった返していた。
「ここまで来ればもう大丈夫だ」
カーフマンが言えば、慧太たちは馬車から降りた。
「最後の仕事で、まさかあんな――」
「道中は何もなかった。いいな?」
慧太が念を押すように言えば、カーフマンは御者台の上でコクコクと頷いた。
「ああ。……何にせよ、あんたたちがいてくれてよかった」
「こちらこそ。ここまで乗せてくれてありがとう」
慧太は運送業の青年と握手を交わした。
「あんたは、この仕事辞めたら、どうするんだ?」
「実家の仕事を継ぐ。運送業は、死んだ相棒が始めたことでね。幼馴染みというか、まあそういうこと」
「……お悔やみを申し上げる」
「ありがとう。まずは奴の家族に報告しないとな。……気が重いよ」
そこでカーフマンは眉をひそめた。
「本当に、馬車いいのかい? あんたたちに譲渡するって契約だったけど」
「こっちで当てがついたからな。……それに相棒の遺族がいるんだろう? そちらに任せるよ」
アルフォンソが充分な余剰分を確保している。他に馬車は必要なくなったのだ。
「何から何まで済まないな。それじゃ、元気でな」
カーフマンは馬車を走らせ、シアードの町、その奥へと消えていく。
腰に手をあて、サターナは去り行く馬車を見やる。
「てっきり、あの運び屋も盗賊の仲間だと思ったけれど……」
「は?」
慧太は、黒ドレス姿の少女に怪訝な表情。
「どうしてそう思った?」
「だって、ワタシたちを護衛に雇ったのよ?」
「おかしいか?」
獣人傭兵団所属の慧太から見たら、何がおかしいのかわからない。サターナは嘆息した。
「この面子を見て。怪しいでしょ?」
ドレス姿の自身はもちろん、赤毛のシスター服のアスモディアに視線を寄越し――
「ワタシなら遠慮するわ」
「どうしてわたくしを見ていうのよ!」
アスモディアが声を荒らげた。慧太はそれを無視して問うた。
「カーフマンが盗賊の仲間だと思った根拠は?」
「酒場でワタシたち、奢ったでしょう? あれでこちらがお金持ちだと判断して盗賊たちの標的になった」
サターナは、半ばうんざりしたように言った。
「で、盗賊の仲間である彼は、ワタシたちを連中に引き渡すために、声をかけてきた」
馬車の手綱を握るのはカーフマンだ。逃げるようとしながら、盗賊たちにとって有利な地点へ馬車を操ることができる。
そう言われると、確かにそれもありうるかな、と慧太は思った。だがすぐに首を横に振る。
「単に、オレたちに声をかけたのは渡りに船だったかもしれないぞ」
「というと?」
「彼の話を聞いた限りじゃ、運送業は死んだ相棒が主導していたみたいだから、カーフマン自体は交渉事には慣れてなかっただけかも」
サターナは腕を組んで思案顔。……納得はしていないようだった。
「何にせよ、オレたちは無事にここまでこれた。仮に、カーフマンが盗賊の仲間だったとしても、シャンピエンは壊滅したんだ。何もできやしないさ」
そう、何もできないはずだ。だから、深く考えるだけ無駄だ。実際、彼が盗賊の仲間という証拠はない。
「それより、これからだ」
慧太が言えば、セラやユウラ、仲間たちの視線が集まった。
「馬車については、シャンピエンとの一戦でアルフォンソが十分な余剰分を手に入れたから心配はない。あとは、この町から次への道筋と、そこにたどり着くまでに十分な食料の確保だな」
ユウラへと顔を向ければ、青髪の魔術師は小さく首を傾げた。
「僕も、このあたりの地理はさほど詳しくないので、ちょっと情報を集めたいのですが」
そうなのか――おそらくこの中で一番、地理や情報に長けているユウラが、そういうのであれば否応もない。
「幸い、このシアードの町には大図書館があるので、そちらに寄っても?」
「大図書館?」
意外な言葉に、慧太は片方の眉を吊り上げた。
「としょかん?」とキアハが首を傾げれば、隣のセラが「本がいっぱいあるところです」と囁いた。
「このシアードの町はアルドヴュー王国の中でも有数の大都市で、数少ない図書館があるのです。シアードは別名、学術都市とも言われています」
――へぇ……。このあたりの地理に疎いといっている割には詳しいな。
「せっかくなので、皆さんも図書館へどうですか? 知識の宝庫ですから、何かしら得るものがあるかもしれませんよ」
ユウラはそんなことを言った。……ひょっとして、地理に疎いというのは嘘で、単に図書館に寄る口実が欲しかったのではないか、と邪推してしまう。
セラが声を弾ませた。
「図書館は少し興味があります。あまり時間をかけなければ、私も一度見てみたいです」
銀髪のお姫様が好奇心を覗かせれば、アスモディアもその大きな胸を持ち上げるように腕を汲みながら口を開いた。
「人間の書物にはわたくしも関心があります。お供いたします、マスター」
「あの……私は字が読めないので、遠慮します」
キアハが申し訳なさそうに身をすくめた。年齢の割りに大柄な彼女だが、邪神教団の実験体としてまともな教育を受けていないので、読み書きできなくても仕方がない。
と言うか――
「オレもあまり字は得意じゃないんだよな」
この世界の言語については、西方語の基本はわかるが、ちょっと方言入っていたり、聞いたことない言葉が出るとお手上げである。これまで喰った連中も大半が学のない者ばかりで――そう考えると、この世界、いや西方諸国の識字率というのはどうなんだろうか。
学校とかあるところにはあるだろうが、一般的な町や集落では見かけたことはない。
――日本じゃ、読み書きできて当たり前だけど。……案外、そうじゃない国ってのもあるんだよなぁ。
「それなら!」
セラの顔がパッと明るくなった。
「私が字を教えるから、一緒にどうです。キアハ、ケイタ」
「ケイタ……?」
ふと、近くから知らない男の声がした。確かにいま、名前を呼ばれたような――慧太は振り返る。
そこにいたのは商人じみた服装にくたびれた外套をまとった男が立っていた。
三十代くらいか。黒々としたあごひげを生やしているが、その顔立ちは東洋人のそれ。
「あんた、ひょっとして……日本人か?」
男は言った。その言葉に、慧太とサターナを除く全員が怪訝な顔つきになった。
皆が首を捻るのも無理はない。何故なら、その男の言葉は『日本語』。この世界の住人が基本的に知ることがない異世界言語だからだ。
「あなたも、日本人ですか?」
慧太は問うた。日本語で。
次回、『異郷の日本人』




