第一八〇話、私刑
よく晴れていた。吹き抜ける秋の風が、さらさらと街道沿いの木の枝葉を揺らす。
セラは外套をまとい、フードで髪を隠しながら、木陰で休んでいた。
夜明け前、セラの姿に変装していた慧太――ではなく、アルフォンソが部屋を訪れた。慧太の使いできたというシェイプシフターは、セラにこれから町で起こることを一通り話し、先手を打って脱出するように言った。
キアハの処刑、囚われているアスモディアの救出など、セラも手伝いたかった。
だが、セラの姿のシェイプシフターは、聖教会の使いがいる前で迂闊なことはしてはいけないと自重を求めた。……セラ自身、その思いはあったので、後ろ髪は引かれたが従った。すべて上手く行けば、聖教会との関わりも含めて諸問題は解決するという慧太の言葉を信じたのだ。
丸投げしているようで、引っかかるものはある。
だが慧太ならやり通すだろう。仮に上手く行かなかったとしても、彼を責めることはない。信じた以上、責任まで押し付けるつもりはないのだ。信じるというのは、そういうものではないだろうか。
待つことしばし、細い街道を辿って猟師じみた男たち、大荷物の旅人などが通過した。セラは木に背を預けて休んでいる風を装いながら、彼らを見送った。向こうも声をかけてくる者はいなかった。
日が高くなり、馬車が一台、ヌンフト方向から走り去るのを見た。一瞬、慧太たちかなと思ったが違った。
暇だった。
本当は、脱出する彼らが守備隊側に追撃された時などに備え援護できる態勢にしたかったのだが、慧太はやはり聖教会との立場を考え、そういう手出しもここではするなと言っていた。……ただ待つだけというのも、結構しんどい。
このまま来なかったら、どうしよう――嫌な考えがもたげてくる。待つというのは、そういう不安との戦いでもあった。
我慢だ――セラは心の中で呟く。それは彼女にとって、一つの呪文でもあった。
そういえばお腹すいた。そう思っていた頃、ようやく待ち人が現れた。
先頭を行くのは慧太。他の面々も全員が顔を見せた。
セラは、パッと表情がほころんだ。ユウラさんも、リアナもキアハも、アスモディアも全員無事だった!
自然と木陰を離れ、彼らのもとへ歩み寄る。慧太が手を振ってくれた。気づけばセラは小走りになって、先頭の黒髪の少年傭兵に抱きつくように抱擁をかわした。
「無事でよかった! 心配してたんだからね」
「お待たせ」
慧太もハグで返し、セラの背中を軽く叩いた。
「こっちも君が上手く脱出できたか心配してた」
「あなたの寄越したアルフォンソの言うとおりにした」
セラはハグというのは少し長く、彼を抱きしめる。
暗闇のうちに白銀の鎧を展開、その翼を用いて都市を囲む巨大な壁を越える――ひとりだけでなら、この程度はわけもない。
城壁には守備隊員が巡回していたが、夜のうちだったから幸い見つからずに済んだ。……まあ、仮に通過時に発見されたとしても、そのまま飛び去ってしまえば振り切れるのだが。
「セラ……?」
「……よかった」
そう言って、ようやくセラはその身を離した。続いて、ユウラ、リアナともハグを交わし、無事を確かめ合う。そしてキアハには慧太と同じくらい長い抱擁。
「無事でホッとした。大丈夫? 酷いことされなかった?」
「ええ、かなり酷い目に合いました」
キアハはセラに抱きとめながら、苦い笑みを浮かべた。
「正直、もう死ぬのかと思いました。人間たちの敵意を一身に浴びて……。まだ胸が少し痛いです。でも――そんな私でも受け止めてくれる人たちがいる。魔人化する身体を持つ私を抱きしめてくれる人がいる。……それだけで救われた気持ちになります」
「キアハ……」
ギュッと力強く抱きしめる。辛いのはキアハの方なのに、セラは涙ぐんでしまう。
「よかった。また会えて」
「私もです、セラさん」
抱擁のあと、セラはアスモディアを見た。自然とハグを――交わす前に二人とも静止した。
「やっぱりわたくしにはなし? 魔人だから」
「……いいえ」
エッチなのはなしですよ――セラはそういうと、アスモディアとも抱擁を交わした。
「どういう心境の変化かしら?」
「仲間はずれにするのは、可哀想だと思いました」
「……それが理由? 律儀なのね、あなたは」
まあ、嬉しいわ――アスモディアは呟くようにそう言った。
全員と合流……と言っていいかのか。セラと入れ替わったアルフォンソの姿はない。あのシェイプシフターは、しばらく身代わりに徹するというなら、合流はしばらく先になるのか。
慧太に視線を向けた時、彼は城塞都市のある方向の空を見ていた。セラは小首をかしげ、彼の見ているほうを見やる。
鳥――鷹が飛んできた。最近のパターンだと、シェイプシフターの分身体、慧太の使い魔である。
案の定、漆黒の鷹は、慧太の腕に止まった。
「いい知らせと悪い知らせがある」
黒髪の少年は、皆を見回した。
「まずいい知らせ。オレたちを罠にはめたクルアスを捕まえた」
一同の表情は、小さな笑みを浮かべる者と渋顔になる者で反応が割れる。
「それで悪い知らせな。これからそのクルアスがオレたちのもとへ来る」
慧太は、一番複雑な表情になっているキアハを見た。
「会いたくないと思ってるだろうけども」
・ ・ ・
街道から離れてしばし歩く。城塞都市は遥か視界の彼方。慧太たちの姿は、草はまばら、風に砂埃が舞うような荒野にあった。
日は高く、秋の空にも関わらず、照りつける太陽に暑さを感じた。
クルアスは後ろ手に拘束された上で、むき出しの地面の上に膝立ち状態だった。
彼の背後にはリアナが立っていて、おかしなそぶりを見せれば瞬時に動きを止めることができる態勢だ。
トラハダスの魔術師の前には、金棒を持ったキアハが立っている。冷酷に、蔑みと憎しみのこもった目で、見下ろしていた。
「それで――」
クルアスはその渋い声のまま、正面のキアハを見やる。
「いつまでこの状態なのだ?」
「……」
キアハは答えない。やや距離を置いて見守る慧太、セラ、ユウラ、アスモディアもまた黙している。
「殺すなら、早くしてくれないか? 待たされると、どうにも雑念がよぎってかなわん」
「黙って」
「貴様は私を憎んでいるのだろう。何をためらう?」
「黙りなさい!」
キアハは、クルアスの頬を張り飛ばした。ただでさえ怪力のキアハである。クルアスは地面に倒れてしまう。口の中を切ったのか、血が出た。
見守るセラが、隣の慧太の服を引っ張る。口を開きかける彼女に、慧太は口もとに指を立てて、静かに、と仕草をした。
「これは彼女の復讐だ。周りがどうこう言う問題じゃない」
サターナとアルフォンソに捕まったクルアスだが、慧太たちには城塞都市ヌンフトでの経緯を含め、恨み言程度ではすまない借りがある。だが借りでいうなら、キアハがクルアスに対して人一倍のものを持っている。
身体を改造されたこと、実験動物という扱い、マラフ村でのことも含め。彼女の人生の理不尽さの全ての原因となっている男なのである。
「あなたさえ、いなければ……!」
キアハは倒れているクルアスの腹を蹴飛ばした。苦痛に呻く魔術師に対して、彼女は同情心を持ち合わせていない。
「ヌンフトで処刑台に立たせたこと」
少女は、クルアスの髪を掴み、無理やり引き起こす。
「あの時、私が感じた憎悪、恨み、死を望む声――お前にも同じものを与えてから殺してやる」
「……ふっ、前置きが長いな」
痛みに耐え、しかしクルアスは嘲笑する。
「どうやるというのだ? 私を苦しめるために延々と殴りつけるか? それもよかろう。だがそれでは、いつの間にか私は死んでいて、お前は私に対する復讐を最高の形で終えることなく済んでしまうぞ?」
「そうやって、ひと思いに楽に殺してもらおうというつもり!?」
左の拳をその顔面にたたきつけた。歯が折れた。腫れ上がる魔術師の顔。
キアハの呼吸は荒かった。怒りが全身を駆け巡っていることは、周囲から見ても明らかだった。
「お前は、私に言うことはないのか!?」
少女は叫んだ。
次回、『復讐の形』
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