第一七三話、行動開始
守備隊本部、捕虜収容区画――主に、尋問ないし拷問のあいだ、捕虜を捕らえておく尋問室や牢屋が並ぶ一角。
その宿直所にいた兵は、人の近づく足音を聞き、帳面から顔を上げた。誰か――それを確認する前に、視界が真っ暗になった。
正確にはぶん殴られ、意識をなくしたのだ。
気絶した牢番の兵の脇を、その人物は通過する。
コツコツと靴音を響かせながら歩き、分厚い扉のある部屋の前に立つ。
その扉は、外から鍵がかけられていた。手を伸ばすと、その手を伝って黒い塊が鍵穴に入り込んだ。そしてガチャリと音を立てて鍵が外れた。
扉を押し開ける。
薄暗い室内。その奥には両手を鎖で繋がれている囚人がいた。
目隠しに、口枷を噛ませられている囚人は、長い赤毛の美女。全裸に向かれ、たっぷりある大きな胸をさらした彼女の肌には無数の鞭で打ちつけられた生々しい傷跡が多数刻まれていた。傷口から流れ出た血が、彼女の足をつたってわずかながら血だまりとなっている。
普通なら、死んでもおかしくない。たとえ生きていたとしても、裂けた肌は傷として残り、その女性的で美しい身体も痛々しいまでの跡が残る。
あくまで、普通なら。
「アスモディア」
部屋にやってきた人物――ユウラは涼やかな声で言った。
死んだように微動だにしなかった女囚人が、かすかに顔を上げた。だが目隠しのせいで姿は見えず、口枷によって声を封じられている。
「またまた、ひどくやられましたね」
ユウラは軽く手を動かすと、彼女を吊り下げている鎖を解いた。ぺたりとその場に膝をつくアスモディアは、直後自身の手で口枷と目隠しをはずした。深く息を吐き出し、少し深呼吸を繰り返して、その長い髪を振り乱す。
「はぁ……昨日ぶりですね、マスター。お助けいただき感謝いたします」
ユウラは手に持っていた黒い布束を投げる。受け取るアスモディア。その傷だらけだった全身の傷は、みるみる消えて、もとの珠のように美しい肌が戻っていく。
「思ったより元気そうですね」
「召喚奴隷であることを、これほど感謝した日はありません」
皮肉げに返すアスモディア。受け取った黒い布が、彼女の身体を覆い、いつものシスター服へと形を変えた。……シェイプシフターの分身体である。
「痛い目にたっぷり遭いましたけど、この身体でなければ愉しむこともできませんでした」
「やれやれ、愉しんだのですか」
今度はユウラが皮肉げに笑みを浮かべた。アスモディアは自らの大きな胸を持ち上げるように触れた。
「破滅の快感とも言いましょうか。取り返しつかなくなることの恐怖がスパイスとなって全身を駆け巡り、この上ない快楽を――」
「ご高説はいずれ、そのうちに」
ユウラは遮った。とにかく出ましょう、と促し、収容区画を出る。
「マスター、状況はどうなっていますか?」
「キアハさんが中央広場へ。間もなく処刑されます。慧太くんがそちらに対応しますので僕らも馬車を奪って中央広場へピックアップに向かいます」
「リアナとセラ姫は?」
「セラさんのもとにも慧太くんが行っています。あ、いちおうアルフォンソが行っていることになっているので、後で口裏を合わせてください」
要するに変身する事態で、その能力を活かすのだろうとアスモディアは思った。
「リアナは……来ました」
通路の出口にはすでにリアナが立っていた。ユウラは相好を崩す。
「得物は取り戻せましたか?」
「……」
ぽんぽん、とリアナは自身が刺してる二本の短刀『闇牙』と『光牙』を叩く。さらに背中に愛用の弓を持っていた。
アスモディアは口を開いた。
「没収されていたわよね? 取り戻せたの」
「この子のおかげ」
リアナの金髪に埋もれるように肩に乗っていた黒い子狐、その顎を優しげに撫でた。
シェイプシフターの分身体――正確には、守備隊に拘束された時に、没収された慧太の二本の短剣である。
守備隊連中は、取り上げた武器や装備をひとまとめに保管庫にしまったが、リアナの愛用武器は慧太の分身体と一緒に置かれたために、所在がわかり、こうして取り戻せたのである。
「では、行きましょうか」
ユウラは歩き出した。
「まだまだ、やることはありますからね」
・ ・ ・
中央広場には、すでに木製の絞首台が組み立てられていた。
またヌンフトの住民らが集まり、守備隊兵が警備する中、これから執行される刑の時を待っていた。ざわめきがあたりに広がる。
広場からやや離れた場所に立つ三階建ての建物、その屋根の上に、慧太の姿があった。……いや、正確に言うと違う。
漆黒のマント、ドクロめいた白い仮面――どこかの怪盗じみたスタイル。だが最大の違いは、いつもより若干背が低く、また、その胸が若干膨らんでいたことか。その髪は肩口まで伸び、色も黒ではなく紺色である。
「……それが、伝説の殺し屋K?」
慧太――いや女性型に変身している今は、慧だろう。その傍らには少女形態のサターナがいた。慧は仮面をはずす。
「まー、なんつーか……若干アレンジしてる。髪の色とか」
そう言いながら慧は自らの髪を撫でた。
「それにこの格好もオーバーだと思うわ。……なんつーの? 今回、正体偽装する必要あるからさ」
男勝りな女といった口ぶりで慧は言った。サターナは肩をすくめる。
「キアハはびっくりするわよ?」
「まあ、オレが人間じゃないことは最初に会った時に言ってるからなぁ。話せばわかんじゃね?」
それより――慧は声を落とした。
「準備は万事整ってるよな?」
「ええ、採掘場での騒ぎは予定通り。収容区画の鍵という鍵を吹き飛ばしておいたから、囚人たちと守備隊は、もう少しお遊びをしているでしょうね。少なくとも、この中央広場で『何か』あったとしても、駆けつけられないわ」
「門は?」
「西門の詰め所近くに爆発物を仕込んでおいた」
高所である屋根から振り向いて、都市を囲む高い城壁、その門へ視線を飛ばす。
「囮として連中の目を引き付けられるでしょう。そして――」
サターナは視線を東にある門に向けた。その巨大な鋼鉄の門は、太陽が昇ったこともあり開け放たれ、都市の内外への通過門として機能している。
「東門には、門の番い部分に爆発物を仕掛けておいた。もし門を閉めようとすれば爆発して蝶番を破壊するから、すぐには閉められなくなるわ」
「なら、退路は万全ということだな」
慧はサターナに快活な笑みをよこした。
「面倒をかけたな、ありがと」
「……ま、まあ、お父様の言いつけですもの」
サターナはわずかに上気した顔を隠すようにそっぽを向いた。
「あなたでも可愛く笑えるのね」
「悪かったな。どうせオレは普段可愛くないよ」
仮面を被り、表情を隠す慧。サターナはニヤニヤ笑みを浮かべながら、視線を眼下の広場へと向ける。
「来たわよ、慧太」
護送馬車が広場に到着した。周囲を数名の騎馬の兵が囲む中、馬車から手枷をかけられ、鎖で牽かれたキアハが現れた。
周囲の民衆のざわめきが大きくなった。今回の犠牲者――公開処刑という見世物における哀れな生贄の登場だった。
次回、『公開処刑』
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