第一七二話、最後の朝
世の中は理不尽にできている。
故郷があった。山間の小さな村だ。
家族がいた。お父さんにお母さん。
けれども、故郷と家族は奪われた。炎に焼き尽くされ、両親は殺され、気づいたら黒ずくめの大人たちのところにいた。
苦痛と恐怖。
そこに自由はなかった。悲鳴や泣き声、怒鳴り声に耳を塞ぐ毎日。
痛みを伴う手術や実験。弄られたことで変化していく身体。
怖かった。
どうして私はこんな目に遭わなくてはいけないのか。
運命を呪い、嘆き、絶望した。
そんなある時、事故にあった。
実験施設間の移動の際、乗っていた馬車が横転したのだ。トラハダス――黒ずくめの男は死んだ。同乗していた私と同じ境遇の人たちは、そこから逃げ出した。
私も、彼らに連れられ、表に世界に出た。眩しい世界。自由の世界――それがよくわからなかったが、周りの人たちの表情から、それは素晴らしいものに思えた。
だが、表の世界は、彼女たちを受け入れなかった。
化け物、怪物――人々は石を投げ、武器を持って襲ってきた。
世の中、理不尽なのだ。
逃亡の果て、ナルヒェン山の廃村に隠れ住んだ。
物はほとんどなかった。仲間たちは次々に弱っていった。ひとり、またひとりと亡くなっていくのは寂しかった。
だが、生活自体は苦ではなかった。あの黒ずくめの連中といた頃と比べたら雲泥の差だったのだ。何より、ここでは誰にも傷つけられない。
けれども、その生活も長くは続かなかった。
表の世界からの介入。マラフ村は全滅したが、遅かれ早かれ私以外の者は死んでいただろうと今では思える。
ひとりぼっち。
そこから手を差し伸べてくれた人たちがいる。ひとりではどうすればいいのか分からない私の、道を指し示し、照らしてくれるかもしれない人たち。
しかし、それもまた閉ざされた。
黒ずくめの大人たち――トラハダスが、どこまでも付きまとっていた。
私は、今日殺される。
トラハダスの大人、クルアスを拒んだから。
魔人のスパイとして、人間たちに裁かれる。
ほんと、理不尽だ。
・ ・ ・
何故、人間に化けるのか――そう言われてキアハは殴られた。
身体がこうできているから、と正直に答えたら、また殴られた。
クルアスに聞け、と言ったら、鈍器で殴られた。
嘘つきの魔人め、クルアス殿の言ったとおりだ、と看守は言った。嘘つきのいうことは信じられ、本当のことを言っているこちらが殴られる。
鉄の手枷で固定されてなかったら看守を殴殺してやりたいくらいに腹が立った。そしてとても悲しかった。
お腹がすいた。手を後ろにまわした格好で手枷をかけられ、鎖で繋がれた。複数の看守が周囲を固める中、キアハは朝日を浴びながら守備隊本部を出た。
本部の外には、守備隊の兵が数十人整列していて、順次、移動用の馬車に乗っていた。……ひとりの処刑のためにこんなに警備の人間を使うのか。キアハは不思議な気分になった。
アスモディアさんは? ――そう聞いたら、あの魔人女は今頃死の淵を彷徨っていると言われた。おそらく昨晩からの拷問で死に掛けているのだろう。かわいそうに、と自分のことを棚上げにして思った。
ケイタさんやセラさんたちはどうなっただろう?
皆、ここの連中に拘束された。魔人ではないが、やはり酷い目に合わされているんだろうか。セラさんはお姫様だそうだけれど……。
ふと自嘲したくなった。
最期の時が近づいているのに、つい先日知り合ったばかりの人たちのことが心配になってしまっている。あの人たちが来なければ、こんな目にも合わずに済んだというのに。そう思えば、恨みの一つも湧いてもいいのだが、むしろ心配のほうが先になっていた。
護送馬車に乗せられる。都市中央の広場まで――そこで絞首刑になるらしい。できれば苦しみが少ない処刑にしてくれないか、と思った。
だが冷静でいられたのはそこまでだった。馬車が移動を開始し始めると、キアハは自然と身体が震えてきた。
怖い。
死ぬ。
殺される。
嫌だ――その思いが胸を締め付け、息苦しさをおぼえる。自然と奥歯を噛み締めていた。目頭が、熱かった。
・ ・ ・
ヌンフト守備隊本部は奇妙な緊迫感に包まれていた。
守備隊本部付き護衛隊長であるニーダ騎士長は、都市地図が置かれた作戦室にいた。
三十代後半の、がっちりした中に精悍さを併せ持つベテラン騎士は、じっと都市地図を眺めている。
本日、中央広場において、昨日捕らえた魔人スパイの公開処刑が行われる。公開処刑となれば、娯楽や行事と同等に見ている住民らが中央広場へやってくる。領主であり、守備隊司令であるボルツァー伯爵も観覧なさる。
だが、この予定のある日に限って、トラブルが発生した。
今朝、都市北部にある遺産採掘場で暴動が発生したのだ。昨日の脱走者の捜索のために、ふだんより人員が多く派遣されていたため、採掘場の囚人らが外に出ることはなかったが、以前として衝突が続いており、可及的速やかなる増援を必要としていた。
結果、魔人女の処刑の警備につく兵も引き抜いて、さらなる援軍を採掘場に派遣することになった。……キアハが出発時に見た兵たちの集団がそれだ。
「それで鎮圧できればいいが」
ニーダ騎士長は呟いた。
もともとヌンフトの採掘場で働いている者たちは、アルトヴュー王国内の犯罪者で占められている。ヌンフトでの古代文明技術発掘は、国家事業であるため、その発掘ペースを上げるべく使い潰してもかまわない犯罪者を用いている。言ってみれば強制労働である。故に、反乱騒動が起こると採掘場全体に影響が及んでしまうのである。
暴動を鎮圧できればいいが――それが、守備隊本部に残る者たちの正直な気持ちだった。採掘場を出て、町に逃げ込まれたりするとなると鎮圧するのがさらに面倒になるのだ。
胸騒ぎがした。昨日から何かがおかしい。
採掘場に送った新しい囚人――今日処刑される魔人女の仲間が脱走した。
はじめは一人。だが気づけば三人全員が消えた。目撃者の話では、最初の囚人が消えた後、看守の一人が残る二人を本部へ連行していたらしい。
だがその馬車は現れなかった。ちなみにそんな移動命令は出ていない。
その看守が脱走者だったのだろうと思われたが、何故それが見破れなかったのか。
目撃した兵を尋問したところ、名前は思い出せないが守備隊で見た顔だ、と言っていた。それが余計に事態を複雑化させた。
守備隊の誰かが手引きしたとでもいうのだろうか……? 昨日ここへ来たばかりの奴に対して? そんな馬鹿な。
さらに採掘場では、囚人十数名が惨殺された。それも例の脱走した奴がやったらしい。
昨夜は守備隊が町中を捜索したが、結局逃げた三人は見つからなかった。魔人らを取り返しにくるかもしれない、と言った部下の進言を聞き、本部に部隊を待機させたが、現れなかった。
現在、ヌンフトの東西二箇所の門の守備隊に厳戒態勢をとらせつつあったが、公開処刑の準備と採掘場の暴動鎮圧のため、脱走者捜索のために兵を割けない状態だった。
――もし、まだヌンフト内に潜伏しているようなら、伯爵閣下に都市内の家宅捜索許可をもらわなくてはならないな。
すべては公開処刑と採掘場を制圧した後の話だが。
「騎士長!」
兵の一人がやってきた。ニーダは睨みつけるように視線を寄越した。
「何だ?」
「門よりの定時報告です。現在、さしたる問題はなし」
「……わかった!」
声に幾分か苛立ちが混じっている。早く採掘場でのトラブルが解決しないものか――そればかりが、ニーダ騎士長の脳裏を占めた。それが最大の懸案事項なのだ。
「……いっそ、『ゴレム』を出すか」
ヌンフト守備隊が保有する戦闘兵器。あれを採掘場に二、三台投入すれば囚人どもも大人しくなるのでは、と思う。
「カーマリアン!」
ニーダ騎士長が吠えるように言えば、作戦室の端に待機していた騎士が席から立ち上がり直立不動の姿勢をとった。
「念のため『ゴレム』を起動させろ! とりあえず二個分隊あればいい」
「は! ……は、六台も動かすのでありますか」
騎士カーマリアンは怪訝な表情になる。ニーダ騎士長はギロリと睨んだ。
「嫌な予感がする。何もなければそれでよし! だが! 何かあった時のためだ。責任はオレがとる!」
命令を受けた騎士が退出する。ニーダ騎士長は、再び難しい顔で地図を眺める。
その足元で、すでに賊が行動を起こしていることなど、知る由もなく。
次回、『行動開始』
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