第一七一話、決行前夜
聖教会の少年司祭とトラハダスの魔術師の密会場面を目撃した――クルアスの姿をとる分身体が渋い声で告げた。
ユウラは問う。
「それは確かですか?」
「確かだ。だが内容までは聞き取れなかった」
鷹揚に頷く分身体に、慧太は言った。
「それはつまり……子供司祭はクルアスと裏で繋がっている?」
「その可能性は否定できんな」
「……」
押し黙る慧太。ユウラは眉をひそめた。
「たまたま廊下で顔をあわせたから挨拶しただけ……ではないですよね?」
「そんな風に見えたか?」
「さっきも言ったが、内容はわからん。故にユウラの言うとおり、単なる世間話だった可能性も捨てきれない」
そういう中途半端な情報が一番面倒なのだが――慧太は思った。
何せ現状、確認しようがないからだ。今から子供司祭なり、クルアスの元へ言って尋問するなら話は別だが、最優先事項である仲間たちの救出プランもまだ細部を詰めなくてはならない状態である。
ユウラは腕を組んだ。
「もしかしたらトラハダスと聖教会に繋がりがあるかもしれない……その疑いが払拭されない以上、聖教会にセラさんを委ねるのはなしだと思います」
「……そうだな」
「教会全体なのか、あるいは司祭が個人的にトラハダスと関係があるのか……またはまったく関係ないのか」
「単なる偶然であったとしても、白だという証拠もない」
それはつまり――慧太は自身の黒髪を荒々しくかいた。
「これ、事態がさらに難しくなったんじゃないか?」
「セラさんも連れ出す――その方針は決まりましたよ」
随分、前向きな発言だった。いや、ひょっとしたら皮肉だったのかもしれない。
ユウラの言うとおり、方針は固まった。教会の司祭がいる中でとうやって連れ出すか、という難題はあるが。
すっと、リアナが腰を浮かせた。その狐耳がぴくぴくと動く。
「気配――」
慧太とユウラもとっさに膝立ちになった。……守備隊の連中か?
部屋の外の通路を向かってきている、のか? 足音がまるで聞こえないが。
リアナが扉の横に立った。手には慧太の分身体の一部から作った短刀。愛刀である『光牙』『闇牙』は守備隊に捕まった時に没収されたままで手元にないのだ。
――彼女の武器も取り戻さないといけないのか。
慧太も腰のダガーに手をかけながら思った。リアナの刀は、希少価値のあるものだ。簡単に諦めるようなものでもなく、取り戻す方向で考えなければならないだろう。
とりあえず、今は接近する者への対応だ。慧太は思考を切り替える。部屋の外に感覚を研ぎ澄まし……ふと、気配の正体を感じ取った。
敵ではない。
そう感覚が察してダガーの柄から手を離したのと、リアナがそっと息を吐いて警戒を解いたのは、ほぼ同時だった。……どうやら狐人の少女も相手が守備隊兵ではないことがわかったらしい。
彼女は扉を開けた。その向こうから、「あら?」と女の声がした。
姿を現したのは、艶やかな黒髪をなびかせた、漆黒のドレス姿の少女――サターナだ。
「ドアを開けてくれるなんて、大した歓迎ね」
妖艶に笑んで見せれば、慧太は呆れ気味に唇をゆがめ、ユウラは虚を突かれたような顔になった。
「アルフォンソ……ですよね?」
「あー、言ってなかったな、そういえば」
慧太は、どうしたものかと髪をかいた。
「彼女は、サターナ。元レリエンディール軍の将軍で七大貴族のひとり」
「筆頭」
サターナは訂正を求めた。慧太は「七大貴族の筆頭」と言い直した。
「……それで、一年前オレが捕食した結果、つい最近シェイプシフターとして復活した。いちおうオレの娘で、いまはアルフォンソの身体の中にいる」
「娘……? あなたの」
ユウラが思いがけない単語に目を瞠る。気持ちはわかる――慧太は手を振った。
「いちおう、だ。正確なところはオレにもわからん」
「味方、でいいの?」
リアナが淡々と聞いた。元をたどればレリエンディールの魔人である。人間に敵対的な種族だから、確かめずにはいられない。
「味方、でいいよな、サターナ?」
しばらく静観する、と言っていた彼女だ。初っ端の戦闘こそあったが、サターナ曰く親子のじゃれあい。慧太は父娘……というより秘密を共有する友人じみた感情を抱きつつあった。
「ええ。今のところ、私が敵対する理由はないわ」
サターナは部屋の中央で座ろうとする――と、彼女から分離した身体の一部が黒い椅子を形作り、少女の尻を支えた。
「今までどこにいたんだ?」
「あら、ご挨拶ね、お父様。あなたたちが全員捕まってしまったから、私とアルフォンソは連中の手を逃れて、町に潜伏していたのに」
サターナは、その手にカップを作ると、紅茶を嗜む淑女じみた風をよそおった。
「自分たちだけ脱走したら、声もかけてくれないなんて……冷たいわ」
「方針が決まったら迎えにいくつもりだった」
慧太のそれは、どこか娘に言い訳する親のようだった。サターナは「ふふっ」と笑った。
「まあ、そうでしょうとも。あなたが私やアルフォンソを頼らないはずないもの」
「わかってるじゃないか」
慧太は腕を組んだ。もともと、サターナやアルフォンソは慧太の身体から作られた分身体に自らの意識を宿しているに過ぎない。頼るといっても、元は慧太の身体であるわけだから……という考えは、この際どうでもいいなと自嘲した。
「なら、オレがこれからお前たちに何を頼むかもわかるか?」
「ええ、もちろん」
サターナは自信たっぷりに返した。
「この町の主要な建物、道路、城壁と門の構造や配置などの情報」
そう、それらはこれからの救出計画はもちろん、脱出ルートの選定に役立つ。
「でもね、私たちも何も遊んでいたわけじゃないの。……お父様の望む情報はすでにすべて収集済みよ」
感謝しなさい――サターナは上から目線だった。聞きに徹していたユウラとリアナは顔を見合わせ、肩をすくめる。
「うむ、さすが」
慧太は感心を露にした。実によくできた娘だ。サターナは手にしたカップを扇子に変えて、慧太を差した。
「さあ、何から聞きたい? 私が何でも教えてあげるわ」
・ ・ ・
目が覚めたのは、慣れない場所にいるせいだろうか。
セラは目を瞬かせる。
見慣れない天井――ヌンフトの領主であるボルツァー伯爵の屋敷、その賓客用の部屋だ。
まだ夜明け前らしく部屋は暗かった。……目が覚めてしまった。二度寝しようか――ぼんやりとした頭でそう考えた時、ふと人の気配を感じた。
ひとりのはずなのに――視線を動かす。
暗がりのなか、銀色の髪の女が立っていた。
――うう、ん? ……えーと。
どこかで見た顔だ。知っている人なのだが、何だか奇妙な感覚に陥る。どうしてそこにいる? ……私、だよね?
鏡でもあったかしら、と思うが、脳が覚醒した。
いるはずもない女。
それは紛れもなく、セラフィナ・アルゲナム――セラ本人だったからだ。
「!?」
彼女は小さく首を傾けると、驚く本人とは対照的な、微笑みを向けた。
次回、『最期の朝』
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