第一五九話、キアハの復讐
アイレスの町はずれにある廃教会。トラハダスの隠れ拠点は制圧した。
慧太たちは抵抗する教団戦闘員を排除したが、目的のひとつであるプレトゥ司教捕縛には失敗した。
地下三階に、慧太、ユウラ、アスモディア、セラ、キアハがいる。アルフォンソとリアナは上層に残っていた。
セラは上層での経緯を説明した後、最後にこう付け加えた。
「司教は女性信者に対して、性的、肉体的な接触行為を行っていたようです。武器を携帯せず、抵抗しなかった者については監視付きで保護していますが……彼女たちは、どう扱うべきでしょうか?」
慧太は、ユウラへと視線を向けた。青髪の魔術師は、務めて平静な調子で告げた。
「そうですね。普通なら町の治安組織に引き渡すとべきなのでしょうが……聖教会あたりが出張ってきたら、投獄の末、ヘタしたら死罪でしょうね」
死罪――キアハは顔を引きつらせる。慧太もまた、かつて学んだ魔女狩りの歴史と、教会が行った行為を連想して顔をしかめた。
「アスモディア」
ユウラが、赤毛の女魔人を見た。彼女は普段のシスター服姿に戻っている。
「あなたの『魅了の目』ですが……確かあれ、暗示もかけられましたよね?」
「はい、マスター」
アスモディアは背筋を伸ばした。
「とりあえず、保護した女性たちから教団関係の情報を引き出してもらえませんか? ええ、殺さず傷つけないのなら、あなたの好きなようにやっていいですから」
「好きなように……!」
女魔人の目がらんらんと輝いたのを、皆見逃さなかった。
「それはその……エッチな――」
「任せます」
ユウラは遮るように言った。セラは不快な表情を浮かべ、慧太はやれやれと首を振った。
「情報を引き出した後は、教団に関わったという記憶を消すなり封印する暗示をかけてもらえるとありがたいのですが……」
「記憶、ですか」
アスモディアは、わずかに顔をしかめた。
「軽い暗示はかけられますが、記憶関係は、早々都合よくできるほどでは」
「できなくはないですよね?」
ユウラは淡々と言った。底冷えするような冷ややかさを感じたのは気のせいか。
「はい、マスター。しかし、余計な記憶にまで作用する可能性も……」
「聖教会に壊されるよりはマシだと思いますが」
そんなにヤバイのか聖教会ってのは――慧太は心の中で思った。もとよりあまり宗教に関心がなかった慧太である。この世界に転移して以降も、獣人の傭兵団にいたせいか、実は聖教会と言ってもあまり知らなかった。
ユウラに促され、アスモディアは地下区画を離れた。
「さて」
青髪の魔術師は、鬼娘を見た。
「キアハさん。ちょっと面倒でしょうが、あなたの力でここにある実験器具を全部破壊してもらっていいですか?」
「私が……ですか?」
驚くキアハに、ユウラは視線を周囲へと走らせた。
半魔人や魔獣を作るために繰り返された痛ましい実験、精神を砕く拷問――血と怨嗟が染み付いた実験器具。……もし世の中に呪いというものがあるなら、明らかにここの道具や器具類は有しているだろう。
「あなたにはトラハダス……いや、あなたを半魔人の身体にした連中に積もる恨みもあるでしょう。ここにある道具は、あなたをさらに痛めつけ壊していたかもしれないものだ。……あなたには復讐する理由も権利もあると思いますが。あなただけではない。半魔人たちや、マラフ村の住人たちの分も」
「……! はい!」
キアハは背負っていた金棒に手をかけた。静かだった感情は昂ぶり、その瞳には強い怒りの感情が浮かぶ。小さく息を整えたあと、キアハは歩き出した。金棒を振り上げ、声を張り上げた。
「こんなものがなければ――!」
金棒が大気を切り裂いた。渾身の一撃が実験器具を潰し、砕き、折れ曲げる。半魔人となった身体――その常人離れしたパワーは、皮肉にも彼女の力を極限まで高めた実験道具類を破砕した。
キアハの力は、すさまじかった。金棒で殴られたベッド型器具が宙を飛び、壁にぶつかり派手にはねた。机は叩き割られ、無数のトゲのついた拷問器具がへこみ、騒音を立てながら床に倒れた。
マラフ村の住人たちの仇――キアハは着々を復讐を果たしていく。
それを遠巻きに見守るユウラ、慧太、そしてセラ。
「なあ、ユウラ」
慧太は口を開いた。
「オレも、キアハを手伝っていいか?」
その心のうちには、怒りの波動が渦巻いていた。半魔人を作り出したトラハダスへの憤怒が、慧太のなかで破壊衝動を生んでいるのだ。
「どうぞ。あなたの気の済むようにしてください」
察したのだろう。ユウラは慧太の好きにやらせた。
慧太は手にハンマーを握ると手近な器具を殴った。この湧き上がる力のようなものは『怒り』だろう。慧太は感情のまま、ハンマーを振るい、トラハダスの設備を破壊し続けた。
・ ・ ・
闇夜のなか、アイレスの町を出て移動する馬が二頭あった。それぞれ騎乗する者がおり、おぼろけな青い光で周囲を照らしながらの夜間移動だった。
先頭を行く馬を駆るのは、銀髪の女性。二十代半ば、身体のラインも露わな薄手のドレスをまとう彼女は、怜悧な目線持ち、感情の乏しい表情ながらどこか退廃的な美を感じさせた。
続く馬には、漆黒のトラハダスのローブをまとう魔術師クルアスが乗っていた。
――まったく。
クルアスの表情は険しい。
マラフ村のサンプルを取り戻すために戦闘部隊を送ったのはいい。忠実に従う半魔人をつけたのも理解できる。
だがその攻撃の成否もわからないうちに、まさか敵側から教会へ襲撃があろうとは。……やつらはどうやってこちらのアジトを探り出したのか。
おかげで、クルアスの管轄する研究施設が失われる結果となった。
第九神獣課の本拠が潰れたことで、トラハダス内の半魔人研究は大きく後退することを意味する。半魔人自体は第七、第八神獣課も研究しているから、まったくなくなったわけではないが……。
「クルアス様」
先導する銀髪美女――半魔人であるステッラは、馬の速度を落とし、クルアスに近づくと一方向を指し示した。
ぼんやりと青い光点が夜の空を飛ぶ。その光が照らすことで、そのもののシルエットがおぼろげながら見える。
小型の翼竜だ。
トラハダスの長距離連絡用の騎乗竜である。味方を示す青い光点は、地上を行くクルアスたちに気づいたのだろう。ゆっくりと旋回降下をはじめた。
クルアスは、ステッラに止まるよう合図する。馬は足を止め、周囲を回りながら着陸態勢に入る翼竜の様子を眺める。
両の翼を目一杯ひろげて、風の抵抗で速度を殺しながら、翼竜は二本の足を前に突き出し、着地。とん、とん、と地面を数歩走り、勢いを殺すと、ちょうどクルアスらの数メートル先に静止した。
翼竜の背中には、クルアスと同じ漆黒ローブをまとった小柄な人物が乗っていた。フードで顔を隠しているが、背格好からして、少年だとわかる。
「やあ、クルアス。久しぶりだね」
「キャハルか」
クルアスは渋い表情になる。まるで、会いたくもない者にあったと言わんばかりに。
一方でキャハルと呼ばれたフードローブの人物は、少年特有の声で言った。
「お急ぎのようだけど、どうかしたのかな?」
「貴様には関係のない話だ」
突き放すようにクルアスは返した。キャハル少年は小首を傾げる。
「どうかな。ボクはアイレスの町の、つまり君のいた研究施設に用があったんだけど」
「なんだ。半魔人でも借りにきたのか?」
皮肉な調子のクルアス。
「だが無駄足だったな。あの施設は攻撃され、敵の手に落ちた。プレトゥ司教は死に、いま行っても何もないぞ」
「へー、それは初耳だ」
少年は、心底意外そうな声を出した。その小馬鹿にするような言葉に、クルアスは、さらに眉間にしわを寄せた。
「当たり前だ。まだ数刻と経っていない話だ。その報告を本部に報せるべく、向かっている最中だ」
「なら、ボクは君に会えてよかった」
キャハル少年は、どこか楽しそうだった。
「でも、あの施設は君のお気に入りだったろう? 残念だったね」
ちっとも残念そうに聞こえなかった。クルアスは当然ながら、目の前の少年に冷淡な視線を向ける。
「で、どこの組織にやられたの、クルアス? 聖教会かな?」
「盗人だよ。ナルヒェン山から、実験体を強奪した連中だ。……貴様は知らんだろうが」
「いいや、その報告なら知っているよ」
フードに隠れたキャハルの顔、その口もとが笑みの形に歪んだ。
「だから来たんだ」
「どういうことだ?」
「ボクは天使に会いに来たんだ」
キャハル少年は、とても明るい口調で告げた。
「セラフィナ・アルゲナム。白銀の乙女にね」
次回、『旅の再開』
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