第一五八話、涙
司祭祭室で、プレトゥ司教は法衣を着せられた格好で床に座らされていた。……さすがにあのままの局部を露出した醜悪な身体を晒したままというのは、セラもキアハも気分がよくなかった。特に拘束はしないが、あの身体では例え逃げようとしても立ち上がる頃には捕まえられる。
女たちは、アルフォンソが用意したシーツのようなものを被せて裸を隠しつつ、部屋の隅に座らされていた。……以前、セラが狼獣人にさらわれた時、服を脱がされたことで羞恥が先行して動きが制限された経験が生きている。裸でも抵抗した者もいるが、固めたことで動き難くした上、アルフォンソの用意したシーツもどきは、シェイプシフターの分身体だから、ヘタな動きをしたらまとめて締め上げる寸法だった。
「なあ……」
拘束されたプレトゥ司教は口を開きかける。だが彼の前には鬼魔人の姿のキアハが立っており、前髪の間から覗くその目は黄色に輝いていた。
「黙れ」
金棒を突きつけられて、司教は口をつぐんだ。
セラは視線を転ずる。壊した扉の前には、アルフォンソが守っている。リアナは、先ほどから女たちをじっと観察していた。
皆が見張っている。一応、司教捕縛班のリーダーということになっているセラは、それらを監督しつつ、どうしたものかと思案する。
地下に降りた慧太たちは無事に役目を果たしているだろうか。加勢が必要だろうか。だがもし助けに行く場合、この場はどうするのか――考えなけれならないことは少なくない。
セラの青い目が祭室全体を眺める。そこで、ふと違和感をおぼえた。
リアナの視線が一点を向いたまま動かないのだ。
――何を見ているのだろう……?
視線をたどれば、女たちの一人、長い銀髪を持つ妙齢の美女をリアナは見ていた。顔をこわばらせていたり、敵意を見せている他の女たちと違い、その美女は表情なく狐娘を見つめ返している。
ゾクリ、と背筋に冷たいものがよぎった。銀髪の美女の目――あれは殺しを平然と行える者の目だ。この目を知っている。近くに……そう、リアナと同種の目である。
よく見なければ気づかなかった。
セラは自然と警戒の度合いを強めた。リアナはそれに気づき、先ほどから瞬きもせずに銀髪美女を監視している。
司教の囲う女たち。ただ性的快楽のために集めたかと思えば、とんだ危険因子が紛れ込んでいた。……この女性は何者か? セラは眉をひそめた。
トラハダスの邪神崇拝の熱心な信者? その前は何の職業についていた? 戦士……それとも殺し屋?
セラは、リアナに声をかけるべきか悩む。じっと神経を尖らせている彼女の邪魔をしてしまうのではないか――そう思った、まさにその時だった。
リアナが視線をはずした。右手の壁を見たのも刹那、反対側へ素早く飛び――
「伏せて!」
警告とほぼ同時に、窓のあった壁、その一角に大穴が開いた。爆発によって砕かれた壁の漆喰や木材が破片となって飛び散った。
女たちは悲鳴をあげ、司教もまた驚愕に顔をゆがめた。セラ、キアハもまた、吹き込んだ熱風と破片から顔を守りながら身構える。
銀髪の美女が動いた。女たちの中から身も軽く跳躍して飛び出すと、全裸のまま一直線にプレトゥ司教のもとへ。
助けようと言うの? ――出足が遅れたセラだったが、銀髪美女はその身体をたちどころに黒い肌に変え、真紅の瞳を持つ半魔人へと姿を変えた。
そして司教の傍らに立つと、その場で一回転。高速で振り上げられた右足が鋭く走り、司教の首を刎ね飛ばした。
「……え?」
血が跳ねた。トラハダスの幹部である司教が助け出されることなく、問答無用で教団の信者――いや、半魔人に殺されたのだ。
「くっ……」
リアナが立ち上がり短刀を構えたが、銀髪美女だった半魔人は、そのスタイルのよいボディラインも露のまま、部屋に開いた穴から外へと飛び出した。
セラ、リアナは追う。ここは二階なのに……!
開いた穴の前で立ち止まり、逃げた敵の姿を追う。すでに敷地内の墓地を駆け抜けている。なんて早い逃げ足だろう。
そして、セラは気づいた。銀髪の半魔人が逃げる先に、漆黒のローブをまとった男が立っているのに。
「……あの男!」
リアナが口走った。闇の中、その顔は見えなかったが、おぼろけなシルエットや、リアナが呟いた言葉から、ナルヒェン山で出会った教団の魔術師、クルアスではないかと思った。
「弓があれば、狙ったのに」
珍しくリアナが残念がった。室内戦になるから、今回も彼女は弓を携帯していなかったのだ。
ともあれ、教団幹部である司教の確保に、セラたちは失敗した。
・ ・ ・
研究室からアスモディアが出てきた。主であるユウラと顔をあわせると、赤毛の魔人女は首を横に振った。
「生き残っている者はいません。主な資料は燃やされたようです」
「逃げられましたか」
ユウラは嘆息した。
一仕事だった。地下を制圧したものの、その相手となったのはトラハダスの構成員ではなく、ここで実験されていた半魔人たちだった。
血の跡が生々しい。実験器具や床にはねた返り血、肉の破片。吐き気を催すような臭気に顔をしかめたのは、わずかの間。
「慧太くん」
ユウラは声をかけた。先ほどから最下層を見下ろす床に座り込んでいる慧太はこちらに背中をむけたまま、振り向かなかった。
「……大丈夫ですか?」
返事はない。ユウラは立ち止まる。
無理もない。半魔人、それも十にも満たない年頃の少年少女を、その手にかけざるを得なかったのだ。この、シェイプシフターの少年も、相当なショックを受けたようだった。
かける言葉も浮かばず、しばらく佇んでいると。
「助けられなかった」
ぽつり、と慧太が言葉を漏らした。
「こんなはずじゃ、なかったのにな」
「ええ……」
ユウラは首肯した。
人間と呼ぶにはあまりに禍々しく、醜い姿と化した者たち。襲い来る彼、彼女らはこちらの言葉に耳を傾けなかった。キアハという少女との出会いが最初だったために、話が通じるものと思っていた。
――予想が甘かったというのか?
ユウラは首を横に振る。……そう、通じないという可能性も考えるべきだった。
「あなたのせいではありませんよ、慧太くん」
「……」
例え、そうだとしても、今の慧太には何の慰めにもならない。
すっと、ユウラが視線を逸らしたその時。
「涙が、出ないんだ」
ゆっくりと、慧太が振り返った。それはとても寂しそうな表情だった。
「物凄く腹が立っているし、泣きたいくらい胸が痛い。……なのに、出ないんだ」
そういえば――ユウラは思い当たる。
彼と知り合って、一度も泣いた顔を見たことがないことに。
「ガキの頃、泣かないのがかっこいいみたいに思ってたけど」
慧太は立ち上がり、歩き出す。
「泣けないってのも、それはそれで寂しいもんだな」
ケイタ! ――頭上から声がした。セラ姫の声。靴音が連続して響く。どうやら司教捕縛組が、地下へと降りてきたようだ。
セラとキアハが地下三階部に階段でやってきた。出迎える格好になった慧太は彼女らに声をかけた。
「そっちは片付いたか?」
「それが……ごめんなさい」
セラが謝った。
「司教は捕らえたのだけれど、隠れていた半魔人が彼を――」
「……」
「ごめんなさい。しくじった」
セラが面目なさげに俯けば、キアハもまた唇を引き締めた。
そうか――慧太は、責めるまでもなく、どこか乾いた声で言った。
「怪我はないか?」
「それは大丈夫。誰も怪我はしていないわ」
セラは戸惑い、キアハと顔を見合わせた。
「よかった」
慧太は頷く。いつもの調子――には、ユウラには見えなかった。
「こっちも制圧はしたが……半魔人たちを助けてやれなかった」
黒髪の少年は、キアハに頭を下げた。
「悪いキアハ。君と同じ境遇の連中を、助けてやれなかったっ!」
次回、『キアハの復讐』
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