第一四〇話、それぞれの道
グラル山脈最南端であるナルヒェン山を越え、東へ出た。目指すライガネン王国へはこの地点から北東方面へ向かう。
事ここに至り、追尾していた魔人軍は追跡を諦めたと慧太たちは判断した。数度にわたる偵察でも、その姿を確認できなかったこと、念のために配置した小分身体も、追ってくる魔人を見かけなかったからだ。
かくて下山し、大きく広がっている草原を進む。吹きぬける風に、さらさらと草が波打つ。温かさを感じさせないその風は秋の風か。ナルヒェン山では雪に見舞われたが、暦の上ではまだまだ冬は先だ。
ちょうど太陽がほぼ真上に差し掛かった頃、緩やかな下り坂の先に、地面がむき出しになっている細い道に出た。幅は二メートル半ほど、それが南北に走っている。一行は、そこで止まった。
親衛隊兵は二列に並ぶ。ひとり列から離れているウィラー十人長が振り返り、兜を小脇に抱えると頷いた。
「では、我々はメルベンへ向かいますので、ここで」
向かい合う形でセラとユウラは、ウィラーの前に立つ。
「ここまでご苦労でした」
リッケンシルト親衛隊は、ゲドゥート街道のある南へ。さらにその先にある城塞都市を目指す。そこにはリッケンシルト王家の王妃やアーミラ王女らがいる。彼女らを警護する親衛隊は合流を目指すのだ。
「あなた方には感謝してもしきれません」
ウィラーは微笑を浮かべた。
「正直に言って、魔人軍を足止めすると聞いた時、皆全滅を覚悟していました。それが――」
十人長は、整列している兵たちを一瞥する。
「こんなにも生き残った。……ええ、よく生き残ったものだ。ナルヒェン山でも、あなた方がいなければ全滅してた。命の恩人です」
「……」
セラは俯いた。感謝の言葉――だがそれを素直に受け取ることができなかったのだろう。
慧太は銀髪のお姫様の背中を見やり思った。彼らを巻き込んでしまったという思いを初めから持っていた彼女だ。
「姫殿下」
ウィラーの声。彼は頷いた。
「あなた様と共に戦えて光栄でした。我々も任務がありますから、最後までお供することができないのが心苦しいのですが、どうぞご無事で。道中の安全を祈っております」
「はい……」
セラは、そう答えるので精一杯のようだった。何か言わなければ、という思いとは裏腹に、言葉が浮かばない。
ウィラーは続けた。
「魔人軍は強力な軍事力を持っています。リッケンシルトも今や風前の灯。……できるだけ早く、人類側が結束して魔人軍に対抗しなくては、大陸全土が連中の手に落ちるでしょう。殿下がライガネンに赴き、敵の脅威を伝えなくては」
「……ええ、そうですね」
「幸運を」
ウィラー十人長が踵をあわせると、兵たちは一斉に敬礼をアルゲナムの姫に向けた。
・ ・ ・
親衛隊兵と別れ、慧太たち一行は道を北上していた。
アルフォンソは馬車の姿になる。慧太たちは荷台に乗り、彼方まで広がる草原と、ときおり見える林や森などを眺めていた。
御者台の上で手綱を握るのはアスモディアだった。慧太はわざと彼女を指名した。どうしてわたくしが、という彼女に「お前はユウラを働かせるつもりか?」と言えば、あっさりと従った。
荷台の上は、慧太、セラ、ユウラ、リアナ、キアハの五人。馬車のサイズは前の時と変わらず、座ろうと思えばまだ余裕があるが、少し手狭にも感じた。
慧太は、視線を正面に向けた。
「何だ、ユウラ?」
「いえ、別に」
何となく居心地悪そうな青髪の魔術師。慧太は押し黙る。
ちらと荷台を見回す。セラは難しい顔で俯いていた。ウィラー十人長の言葉、自らの使命を考え、気持ちを整理しているのだろう。
リアナは馬車の右側の景色を眺めていた。狐娘は相変わらず無表情で、何を考えているのか窺い知ることができない。彼女はいつもどおりだ。
新入りであるキアハは、所在なさげだった。まだ周囲の空気に馴染めていないのだろう。あまり社交的ではなさそうな彼女のことだから、目のやり場にも困っているようだった。
視線を戻す。何かを期待するような目をユウラが向けている。……何となく話題を提供しろと言っているような雰囲気だ。
慧太は嘆息すると、そっぽを向いた。
オレは何もしないぞ、という意思表示だ。流れゆく景気を眺めながら、穏やかな風景に心を洗われるかと思いきや、そんなこともなかった。
ただただ、心の中は激しく暴風が吹き荒れていた。
やがて、日が沈み、夜の帳に包まれた。
道の脇で野宿である。馬車の荷台を切り離し、幌をかけて即席の部屋に。
焚き火を囲み、ユウラのお茶と、いつもの堅焼きパンを夕食にする。それもあまり多くなく、正直これだけで腹を満たせないのだが、それで保存食は最後だった。町や集落に寄っていないので、食糧が尽きたのだ。
慧太は他に食糧を回すために、自分の身体から堅焼きパンの形をしたそれを作り、自分も食べている演技をしながら、キアハやセラに分けた。
ちなみにアスモディアは食事を抜かれた。何か落ち度があったわけではないが、彼女はユウラの契約奴隷として不死の身体になっているため、食べなくても問題ないというのが理由だ。……ただ精神的には食事抜きは苦痛ではあるようで、彼女のテンションは低かった。
「見張ってくる」
慧太は、馬車の反対側、皆の死角になるほうへ回り、一人になった。そういう気分だったのだ。
そういえば、キアハが加わったことで、女子が四人、男子が二人になったか。
――ふふ、ユウラにはしばしハーレム気分でも味わわせてやろうか。
とはいえ、彼がまわりの女子に手を出すとは思えないし、今のところその女子たちも何かしてくるようなのは、アスモディアを除いていなかった。
「ケイタ」
リアナが弓を背負い、慧太のもとへやってきた。
「食糧調達に行ってくる」
明日の朝飯がないからだろう。慧太は少し考える。
「何か獲物になりそうなものがいるか?」
「草原を走っているときに、動物を見かけた」
なるほど。
捕まえられるか、というのは愚問だろう。狐人は優秀なハンターだ。
「わかった。あまり遠くに行くなよ」
「了解。……ケイタ、分身体貸して」
リアナは両手を使って高さ二十センチ程度の大きさを表現した。子狐型でいいか――慧太は自身のそれを分離させる。
「何に使うんだ?」
「何かあった時のため」
彼女は真顔でそう言った。じっと慧太の目を見つめてくる。
――ああ、何かオレから察したな。
リアナとの付き合いは一年未満ではあるが、彼女が狐人の言葉で『生涯の友』と呼ぶ程度には深い仲だ。慧太の昼間の何気ない仕草や態度から、こちらの心境をある程度感じ取ったのだろう。
だが、彼女はそれが何なのか聞かなかった。
慧太はしばしリアナの碧眼を見つめ、やはり何も言わなかった。
子狐の分身体を肩に乗せたリアナは弓を手に暗闇の中へと消えた。
慧太はしばし、夜空を見上げた。
透き通った空気のせいだろう。満天の星空がきらきらと輝いていて、特に星が集まっている部分が、まるで星の川のように見えた。
――日本にいた頃は、こんな風に星が見えることはなかったなぁ……。
地面に座り込み、手をついて、顔を上げる。
星をゆっくり眺めるなんて、いつ以来だろうか……などとセンチメンタルに走ってみたが、そういえばこの世界に来てから、何度かそういうことをしたのを思い出した。
意識を取り戻し、初めて見上げた夜空。
行く宛てもなく、一人彷徨っていた頃に見た空。
ハイマト傭兵団の仲間たちとの野宿の夜、団長と見上げた空。
何もかも懐かしい。すべてこの一年の間にあったことなのに、もっと昔からの経験のようにも感じる。
草を踏む音が耳朶を打った。
ちら、と視線をやれば、やってきたの銀髪のお姫様だった。
ご意見、感想、評価などお気軽にどうぞ。




