第一三八話、魔術師クルアス
くそったれ。
キアハを抱えて、飛び退いた時、大蛇の化け物の顔が一ミータと離れていないそばをすり抜けた。
倒れた慧太とキアハの身体に、魔獣がかき割った雪が降りかかる。
くそが! ――起き上がりざまに慧太は罵った。
白銀の鎧、そして白き翼を展開したセラが上空から、光の槍を投擲する。しかし大蛇の化け物にとっては、小石をぶつける程度の威力しかなかった。
だが牽制にはなっている。大蛇が、魔法攻撃を鬱陶しがっている間に、慧太はキアハの手をとり、大蛇から離れる。周囲を囲まれ、締め付けなどされたら、慧太はともかくキアハが危ないのだ。
「ケイタさん……!」
こわばった顔のキアハ。
「私のことは、いいですから……っ」
そんな泣きそうな顔で言われて、放置なんてできますかっての――慧太は、リッケンシルト兵と黒ローブ集団の戦う場から距離をとる。敵を巻き添えにするのは構わないが、味方を犠牲にするわけにはいかない。大蛇の化け物は、執拗にキアハを狙っているようだった。
このまま逃げ回るだけでは埒が明かない。だんだん頭にきた。
――そんなに喰いたいか、この野郎……!
視線を走らせる。ひとり我関せずといった態度で、ポツンと立っている山羊、アルフォンソを見やる。
――基本指示しないと動かないとはいえ、何とも暢気そうじゃないか、ええ?
ちょうどいい。こちらも何か身体の足しになるようなモノを探していたのだ。これだけでかい蛇なら、さぞ喰いごたえがあるだろう。
「セラ、アスモディア! このデカブツはオレとアルフォンソで相手する。向こうで高みの見物を決め込んでいるあの黒ローブをぶっ飛ばせ!」
「大丈夫なの、ケイタ!?」
セラが翼をはためかせて空中で滞空する。その姿は天使の騎士、いやまさしく伝承にあるようなヴァルキリーを思わせる。
「任せろ! ……リアナ、アスモディア! セラに傷をつけさせるなよ!」
わかった、とリアナが踵を返せば、アスモディアもまた魔獣から距離をとる。
「気をつけて」
セラが黒ローブの魔術師にかかるべく飛び去る。慧太は怒鳴った。
「アルフォンソっ!」
キアハの手を引きつつ、慧太はシェイプシフターの分身体のもとへと走る。大蛇の化け物はこちらの後を追ってくる。身体をうねらせて這うように進み、その距離はみるみる縮まった。
「お前のところにデカブツを誘導するから……思いっきり喰らえっ!」
それを聞いたアルフォンソは、山羊だった形が崩れる。まるで砂になったように、その場に沈むように雪原と一体化する。
「ケ、ケイタさんっ!?」
目の前で山羊が身体を崩壊する異様な光景を見やり、キアハが目を見開く。
「大丈夫だ!」
慧太は力強く叫ぶ。
軋むような咆哮。間近に迫る大蛇の化け物。その口が開く。人間など丸呑みにするのも容易そうな巨大な口だ。……一瞬、あの口から中に入って暴れてやったら、という考えがよぎる。
いや、そんなのツヴィクルークで十分だ。慧太は思い直す。あの鼻も曲がるような臭気は二度とごめんだ。
すっと、足元を影が通過した。
アルフォンソだ。慧太たちとすれ違い、次の瞬間、影の塊が大蛇を頭からかぶりつくように包み込んだ。
魔獣は何が起こったかわからなかっただろう。十メートルほど、その巨体を滑らせたが、頭にべったりと張り付く黒い塊の前に、その身を震えさせた。――そうだ、てめえは手がないからな、振りほどけまい。
胴体をくねらせ、尻尾が持ち上がるが、慧太に言わせれば無駄な足掻きだった。やがて大蛇の動きが鈍くなると、黒い塊――アルフォンソが獲物を喰らい始めた。
シェイプシフターの捕食だ。
大蛇の巨体は、ベルゼ連隊との戦いで予備分を吐き出したのを補ってお釣りがくるほどの量だ。
慧太はそれを見つめる。隣で、キアハが肩で息をするほど消耗していたが、その視線は畏怖と共に魔獣を喰らう黒い塊に注がれる。
「ケイタさん、これは……?」
「シェイプシフター、姿を変える怪物だ」
慧太は淡々と答える。
「オレの分身体でもある……つまり、君に前に言ったとおり、オレは人間じゃない。これセラには内緒な。彼女、魔人や魔物嫌いだから」
「……はい」
一つの決着がついた頃、ユウラもまた、オオサンショウウオの化け物を仕留めていた。彼はゆったりとした足取りで戦場を闊歩する。背後には、身体中を岩のスパイクに貫かれて絶命している魔獣の姿があった。
・ ・ ・
その姿は天使を思わせた。伝承にある天使、いや天上人の戦士か。
漆黒のローブをまとう男――クルアスは、飛翔する戦乙女をそのような感想を抱いた。
実験対象であるキアハを取り戻せば、他はどうでもよかったのだが……。どうもそうもいかないようだ。……天上人であるならば。
白銀の戦乙女が、クルアスから数メートル離れたところに着地した。白き翼は消えたが、戦乙女は手にした魔法剣と思しき剣を両手で握り構えた。
「抵抗しなければ、命まではとらない。……部下にも今すぐに戦いをやめさせなさい!」
まだ少女ではないか――クルアスは思う。しかしその目に宿る光は強く、昨日今日剣を握った素人ではない。戦場を切り抜けた戦士の目だ。命をとらない、と口にしても、いざとなれば斬ることも厭わない目だ。
「名を、聞こうか」
クルアスは聞いていた。口にしてみて、彼女の名前など聞いてどうしようというのだろうかと、自嘲したい気分になった。真面目な返答も期待していなかったが、銀髪の少女は答えた。
「セラフィナ・アルゲナム」
「アルゲナム……」
聖アルゲナム国の名が浮かぶ。待て、銀髪に、銀の鎧――伝説のアルゲナムの勇者の一族、聖アルゲナム国の姫君か。
いささかの驚きと共に納得の感情がない交ぜになる。白銀の勇者の末裔と言うのであれば、我らトラハダスの『敵』だ。
しかし、同時に準備不足でもある。かの伝説にあるような白銀の勇者、その強さがどれほどのものか推し量るにしても、色々と駒が不足している。そうであるなら、ここは一度態勢を立て直すために引くべきだろう。
クルアスは、視界に倒れ伏す配下の魔獣を見やり、その認識を強めた。
「白銀の勇者の末裔、アルゲナムの姫とこのような場でお会いできるとは光栄の至り。今回はあなたに免じて、引き下がりましょう……」
「待ちなさい! あなたには聞きたいことが――」
セラフィナの声を遮るように、クルアスは閃光魔術を行使、とっさの目くらましの光を放ちつつ、その場を下がった。
「風の守護精霊、我が身体を空へと舞い上げよ、跳躍!」
地を蹴る。その勢いでクルアスの身体が飛び上がる。空を飛ぶほどではないが、重力の鎖が解き放たれたように、ジャンプする。
ちら、と後方を確認する。セラフィナが例の翼を展開し、再度追ってくる可能性があったからだ。だが、閃光にしばし足を止められた彼女は追ってこなかった。……勢いのまま単独で追ってくるような猪ではない、か。
「しかし、これは厄介なことになりそうだ」
魔人化実験動物の回収のつもりが、アルゲナムの姫が首を突っ込んできたとなると――ことはトラハダス全体を巻き込む事態に発展する危険性が大いに考えられた。……まずはこの件を早急に報告しなくてはなるまい。
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