第一三五話、夜営
結局、その日は、マラフ村跡地に留まった。
慧太たちは、地面を掘ってマラフ村の住人の遺体を埋葬した。
キアハは何度も涙をこぼした。別れは辛いものだ。死者に対する生前の記憶が、よぎっては悲しい気持ちへと誘うのだ。
その間、リッケンシルト兵は雪や土を掘って、風を凌ぐ即席の壕を作り、夜営の準備を整えた。掘った地面を壁に、屋根には革布を張る。多少の雨風、雪なら凌げる工夫だ。壕自体は浅めに彫られているので、地面に尻をつけて座っても屋根が近い、つまり手狭である。……どうせ一晩だけの仮の宿だ。
日が落ちる前の偵察では、魔人兵の姿は確認できなかった。それでも警戒は怠らず、兵たちと共に交代で見張りが行われた。
どっぷりと日が暮れる中、慧太は村の周りに張られた壕を見回った。最も魔人が来る可能性が高い西側にはリアナがいて、次に地形的に集団が進軍しやすい南方向をアスモディアが監視していた。
見回りが終わり、ユウラのいる本部に戻る前に、慧太はとある壕に立ち寄った。
革布の屋根をめくると、わずかな明かりがこぼれる。中にいたのはキアハとセラだ。
「ケイタさん……」
地面に座りながら、魔石灯の明かりを見つめていたキアハが顔を上げた。全身の肌が灰色だった。前頭部に小さな一対の角が伸びて彼女の黒髪から覗いている。
やあ、と声をかけ、壕に入る慧太。セラは地面に布を敷き、外套を毛布代わりに寝ようとしていたようだが、目を瞬かせた。
「見張りの時間ですか……?」
「いや、まだだ。……寝ていいぞ。時間がきたら起こすから」
「……聞いたキアハ? 彼、絶対朝まで起こさないつもりよ」
セラは横になりながら、黒髪の少女に言った。前髪の間から覗く右目を、セラから慧太へと向けるキアハ。
「そうなのですか?」
「……まあ、君らはな。昼間、魔人と大立ち回りを演じたから、見張りに立たなくても誰も文句言わないと思うぞ」
「あなただって、そうでしょう?」
セラは左腕を枕にしながら、睨むような眼差し。
「でもあなたは働いてる。リッケンシルトの兵たちだって、ここに来るまでに消耗しているけれど、見張りに立っているわ」
「……大丈夫か、セラ?」
慧太は、銀髪のお姫様の顔を覗き込む。
「少し具合が悪そうだが」
「……ええ、少し。大丈夫よ」
「もしかしたら、ミュルエに中ったのかも」
キアハが心持ち眉を下げた。
「初めて口にした人が、よく気分が悪くなるみたいで。……あなたは平気ですか、ケイタさん?」
「何ともない」
シェイプシフターの身体になってよかったこと。食中毒などに中らなくなった。
「酷くなるのか?」
セラを案じて言えば、キアハは首を横に振った。
「いえ、大抵の人は、少し休めば大丈夫みたいです」
それはよかった――慧太は安堵した。横になっているセラを見やり、次のキアハを見つめる。彼女もまたじっと慧太を見つめていた。……とっさに、何か言うべきだろうかと考えてしまう。
「……やはり、変ですか?」
先に口を開いたのはキアハだった。少し羞恥なのか、あるいは自嘲なのか分からない小さな笑みを浮かべながら、視線を逸らす。
「私の肌の色……気味が悪いですよね」
灰色の肌。少なくとも、人間でそのような肌の色を持つ種はない。……とはいえ、亜人や獣人に範囲を広げれば、実はまったくないということもなかったりする。
「慣れてるからな、そんな風には思わない」
慧太は、臆面もなく言った。
「キアハは、綺麗な肌をしているよ」
色ではなく肌の艶など、そちらを褒める。
「な、何を言ってるんですか……!」
動揺を露にするキアハ。灰色の肌、その頬が赤く染まる。……そこは赤なんだ。元は人間だがら、そのあたりまでは変わらないのかもしれない。
「それじゃ、オレはユウラのところに戻るよ。何かあったら呼べよ。あと、明日出発だから、キアハも寝ておけよ」
「ケイタさん」
革布の屋根をめくって壕を出ようと立つ慧太を、少女は呼び止めた。
「何だ?」
「えっと……その……お休みなさい」
「……ああ、お休みキアハ」
慧太は壕を出て、革布を戻す。光が遮断され――といってもわずかな隙間からこぼれているが――あたりは闇の中だ。
――普通に年頃の娘だよなぁ……。
お休みなさい、そう言いながら上目遣いに見上げてくるキアハの顔を思い出す。
慧太は足跡だらけの雪の上をざくざくと踏みしめながら、村にある本部に向かった。
・ ・ ・
本部といっても、作りは他の壕と対して違いはない。ただ、そこを使っているのがユウラだから、そう呼ばれているに過ぎない。
親衛隊を率いていたリンゲ隊長が戦死して以降、残存兵らは軍師として策を練ったユウラを上司のように扱っていた。
指揮官というならセラが正しいのだが、仮にも一国の姫である。どちらが話しやすいかといえば、傭兵だが礼儀正しく、魔術師である青年のほうだ。
革布を被せた屋根の一角から光と共にうっすらと煙が漏れる。中で火を起こしているのだろう。昨日よりマシだが夜ともなると冷え込むのだ。
壕には、その青年魔術師であるユウラと、リッケンシルト親衛隊の十人長がいた。慧太が入ってくるなり、ユウラは口を開いた。
「どうでした?」
「村のまわりは異常なしだ。ま、異常があったら、報せが来るさ」
「そうではなくて」
ユウラは、温めていたお茶を寄越した。
「彼女のことです」
「肌の色が変わって、小さな角が二本」
慧太は自身の前頭部を二箇所指し示した後、ユウラからお茶の入ったコップを受け取った。
「例の生き残りの娘ですか?」
親衛隊の分隊を束ねるウィラー十人長が壕の中の焚き火で暖をとっていた。三十代、小柄な男だが、中々不敵な面構えをしている。ここ数日の野外行動ゆえに、無精ひげが目立っていた。
「本当なんですかね。人間と魔人を掛け合わせた……半魔人、でしたっけ?」
視線を向けられたユウラが、小首を傾げた。
「魔人とではなく、他の獣や魔獣の類と、だと思います。古代の魔術や失われた術……そういった類で、生物同士を掛け合わせたような存在があったと聞きます」
「神話やおとぎ話だと思ってました」
ウィラーが正直に言えば、ユウラも頷いた。
「まさか、本当に『それ』を目の当たりにするとは、ですね」
キメラ――キマイラともいう化け物が浮かんだ。ライオンの頭、山羊の胴体、蛇の尾を持つ想像上の生き物。
だが、慧太は、ユウラやウィラーが言うほど珍しいものとは思わなかった。何せ、この世界にきた身とあっては、獣人や魔人、亜人だって十分ファンタジーな存在だ。
ユウラは焚き火を見やる。
「何はともあれ、情報が不足しています。キアハ嬢やこの村の人々は、彼女の言葉どおりならば、元は人間だった」
魔術師は慧太へと視線を寄越した。
「最初から生まれたものと、作られたものは大いに違います。これは大変なことですよ」
オレの心を読んだのか――慧太はわざとらしく眉を動かした。ユウラはお茶をすすった。
「いったい何者が、このような事をしたのか……」
外で風が吹き、隙間から冷気が吹き込んだ。焚き火が煽られたが、消えるほど酷くはない。
「トラハダス」
ポツリ、とウィラーは言った。
「邪神を崇める狂った連中の噂を耳にしたことがあります。連中、人をさらって神への生贄としたり、伝説の怪物を甦らせようとしているのだとか」
「この村の人たちを改造したのが、トラハダスという連中……者たちの仕業だと?」
ユウラが聞けば、ウィラーは首を横に振った。
「いえ、確証があるわけでは。……ただ、何となく話を聞いて、そいつらならやりそうかと思いまして」
トラハダス――何だろう。どこかで聞いたような気がする。
慧太は考える。はたしてどこだったか。直接聞いたわけではなく……誰か。慧太が取り込んだ誰かだったような。
しかし誰だったか、思い出せなかった。
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