第一二六話、無邪気な彼女
服を着るとき、お互いに背を向けた。
肌で温めあったこと。ひとたび身体を離してしまえば、名残惜しさを感じると共に、羞恥心がもたげてくる。
慧太は服を着るという行為自体、誰も見ていなければ瞬時に終わる。だからセラが服を着込んでいる間、その布のこすれる音を聞くだけに留まらず、ちらと視線を向ける。彼女の白い背中――
「ねえ、ケイタ」
セラの声に、思わず慧太は視線を戻した。
「何?」
「あなた、私に隠していることがあるでしょ」
「隠していること?」
慧太はドキリとする。――何だ、隠していることって? シェイプシフターのことか? それとも寝ている間に、胸に触ったこと? いや触ったって押し付けてきたのはそっちで。それとも股間のアレが当たったことか?
何が理由かわからず黙っていると、セラは言った。
「私たちが着てた外套……あれ、普通の外套ではないわよね?」
「……」
分身体のことだ……! ――慧太は心臓が跳ねるほどの緊張を感じた。
「な、何のことかな?」
とっさに否定してしまった。セラは服を着終わったのか、こちらへとやってくる。
「私たちが寝ていたところ、完全に密閉されていた。外套を二枚重ねた程度では、そんなことできるものですか!」
随分と口調が砕けている気がした。身を寄せて寝たから距離が縮まったとか、いや、今はそれどころではない。
「このポーチ」
セラは慧太の腰のポーチを、つねるように触れた。
「これ、アルフォンソの一部ですよね?」
「は……?」
おそらく今、間抜けな顔をしているのだろうなと慧太は思った。セラは、その銀色の眉をひそめる。
「前から不思議に思っていたの。あなたのポーチから色々なものが出てくる。初めて出したのは、たしか『ぐにゃぐにゃ球』だったかしら?」
「……」
「そのあと、色々なものが出てきたわよね? そういえば、いま私が履いている靴もそこから出てきたわ。それにこの服も! その小さなポーチに全部入るとはとても思えない」
反論の余地がなかった。
「あなたが言わないから黙っていたけれど、さすがに度が過ぎる」
かなり怪しまれていたようだ。慧太は返す言葉もない。セラは溜息をついた。
「もう、アルフォンソがシェイプシフターなのだから、隠すことはないのよ? シェイプシフター使いさん」
シェイプシフター使い――セラは慧太のことをそのように判断しているようだった。つまり、慧太自身がシェイプシフターであることはバレていないということだ。
なんだ――思わず安堵する。
「バレちゃあ、しょうがないな」
慧太は潔く認めたフリをする。自身の黒髪をぼりぼりとかきながら。
「そうだ。このポーチの中は、あいつの身体で出来ている。だから、必要な時にそこから色々作ってる」
「私が指摘しなかったら、いつか教えてくれたのかしら?」
「どうかな。いま君が履いてる靴が、化け物の一部と聞いて気味悪がるかも、と思ったらずっと黙ってるかも」
「あくまで、私に気を使ってると?」
「もちろん」
慧太は真顔で返す。セラは嘆息した。
「私たち、もう隠し事はなしにしない? ……その、お互い、素肌をさ、さらした仲、というか……」
急に顔を赤らめ、視線をそらしてしまうセラ。さすがに裸で接したことを思い出すと、恥ずかしい気持ちになるらしい。そんな態度をされるとこちらまで恥ずかしくなってくる。
「お、おう……」
顔をそらしながら、頬をかく。返事になっていないが、セラは返事と受け取った。
「わかってくれたならいいの。……それじゃ、そろそろ出ましょうか」
セラは外へと視線を向ける。これもアルフォンソの一部なのよね――と小首をかしげながら、外套を着込む。
――下はスカートなんだよな、彼女。
冬に女子がスカートで寒そうと思っていた慧太である。シェイプシフターの能力を使うことに関して、縛りがかなり緩くなったので、一つ提案してみる。
「セラ、寒い時に履くものあるんだけど……」
小首を傾げるセラに、慧太はポーチから『それ』を作り出した。
いわゆる、ストッキングである。
・ ・ ・
風が冷たいが、雪が降る気配はなかった。
慧太もセラも、まっさらな雪上に足跡を刻みながら進む。山の天気は変わりやすいというが、少し雲が増えたような……。
「大したものね、これは」
セラが少し跳ねるように回った。彼女の白のスカート、そこから伸びるのは黒いストッキングに包まれたおみ足。白と黒のコントラストが魅惑的な色気を発散する。
「こんなに雪に足を突っ込んでも、この靴冷たくないの!」
靴のほうか――慧太は苦笑する。
セラの靴もシェイプシフター製。この世界の一般的な衣装や靴などとは、はるかに優秀な履き心地を提供している。寒さ暑さ、水の遮断はもちろん、かなり歩きやすいはずだ。……そのうち、衣装全部が、シェイプシフター製になるのではないかと思ったりする。
基本的に衣装やモノに化ける体の一部は、意識を持たないように分離しているから、彼女の身体に密着している、とかそういうことはないが。……やろうと思えばできなくもないのが何とも。
実際、アスモディアの場合は、彼女の魅力的な肢体を包んでいるシスター服や下着には分身体の意識が存在している。……もっともアスモディアの場合は、彼女自身の希望と万が一の時の保険であるが。
元気な様子のセラだが、ふと、その動きから軽やかさが消えた。
「……お腹がすいたわ」
はにかむ彼女に、慧太は、ああと頷いた。
「そういえば、昨日から何も食ってないもんな」
ポーチに手を伸ばしかけ、やめる。
「食糧はユウラたちが持ってるからな。ごめん、さすがにシェイプシフターでも食べ物は……」
「あなたが謝ることないわ。それを言ったら、私も持っていないもの」
にこりと笑うセラ。誰のせいでもない、と言わんばかりに。
銀世界に舞う妖精のようだ――快活な彼女にはホッとする反面、慧太はわずかながらの申し訳なさを感じる。
――ごめんセラ。オレ、昨晩洞窟の主、喰ったんだ。
ベルゼ連隊との戦いで、慧太は自らが蓄えていた分をかなり分身体に割いた。終わったあと、ある程度回収するつもりだったが、増援に対処するために分身体を手放す羽目になった。
なので、自身の戦闘力自体は落ちていないが、分身体を利用した多彩な戦闘は困難となっていた。
ゆえに洞窟の主は倒した後、取り込んだ。セラの食糧に、と考えたが、火を起こせなかったために断念した。生肉を食べさせて、お腹壊すなんて最悪のパターンなのだ。
「ところで、道はわかるの、ケイタ?」
「いいや」
慧太は首を振り、そして空を仰ぐ。
「太陽からだいたいの方角を判断して、北東方向へ抜ける……んだけど、この地形だと東に抜けるほうがいいのかな」
ナルヒェン山でも見通しがよい緩やかな斜面を登る。北東へ行くには切り立った崖になっていて、装備もなしで登るのは難儀しそうである。……いや、シェイプシフターである慧太なら必要な装備も作れるから登れるのだが、おそらくそういうルートはユウラたちは選ばないので、合流するなら、そちらははずれる。
「できるだけ、開けた場所を通るつもりだ。たぶん、ユウラたちがこっちを探していると思うから、見つけやすいところに……」
口にして、慧太は顔をほころばせた。
「噂をすれば、だな。セラ、上を。……アルフォンソの分身体だ」
鷹が上空を通過した。それは慧太たちの上をゆるりと旋回すると、元きた方向へと飛び去って行った。
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