第一二五話、気持ち
ケイタは、ここまでずっとセラを守ってきた。
何度も助けてくれて、こちらの考えや意見を可能な限り尊重してくれた。
もちろん、すべてが思いどおりにはいかなかったし、厳しいことも言われた。でもそれも、セラのことを考えればこそのものだとはわかっている。
彼は優しい。そして強い。
どのような状況でも果敢に立ち向かう勇気。
困難な状況でも、次に何をすべきかはっきりとさせる判断力と行動力。
戦士としての素養はもちろんだが、機転が利くうえに、周囲のことをよく見ているのだ。
セラはケイタに学ばなければいけないと思うことが多々あった。
白銀の英雄の末裔としてそれに恥じない行動を、と考えているセラは、見習うべき存在として彼を見ていた。
――ほんと。
セラはケイタに身を寄せる。セラに仕えていた侍女や親衛隊の女騎士らが見たら、はしたないと怒るだろうけれど……。いまケイタは眠っている。おそらくセラが寝ている間、起きて守ってくれていた彼。
そのぬくもりを、アルゲナムの姫は堪能する。
――彼になら、肌を許してもいい。望むなら、身体を触らせても……って! 何を考えてるの、私!?
羞恥に思わず顔が熱を帯びる。状況がそんな思考をさせるのだろう。けれど……だけど――離れたくない。
彼の身体が温かくて、対して外が寒いせいもあるだろう。外に出たくない。
セラはケイタを頼もしく見ている。彼の背中は温かくて強かった。けれど、目と鼻の距離で見るその顔立ちは、歳相応の少年そのものだった。
歳は近いはずだけれど、本当のところはどうなのだろう、と思う。なにぶんケイタはこのあたりの人種とは違う、東方人のそれだ。見慣れていない、というとどこかエキゾチックに感じてしまうものではある。
静かな寝息。何も不安を感じていないような寝顔。
安心を与えているというのなら、こうして傍にいるセラは少し嬉しくなる。そもそも人前で寝るなんて、相手を信じていなければ中々できないことだ。それがどれだけ貴重なことか。
――そんな人の前で、私は寝ていたんだ……。
自分のことを思い出し、またも赤面してしまう。彼を信頼しきっている。それは隠しようのない事実だった。
頼もしい彼。セラはケイタの顔に、そっと自分の顔を近づける。求めるように動く唇……そこでセラは我に返る。――いま、何をしようとした私!?
羞恥心で身悶えしてしまう。すると彼の手がセラの腰を掴み、思わずビクリとしてしまう。
だが彼は寝たままだった。軽く抱きしめられる格好。自身の胸を押し付けている状況も、今は抵抗する気もなく受け入れる。
――私の肌で、彼も温まってくれているならいいけれど。
彼は守ってくれた。だから私も、彼を守る――セラは思うのだ。守りたい、私に、守らせて……!
セラは寝袋もどきの中でケイタの身体を抱きしめた。こういう状況でなければ、おそらく将来を決めた殿方としかしないだろう行為だ。
ふと、セラは思う。女に生まれたからには、いずれ殿方と添い遂げる。相手は、親が決めた相手なのだろうと思っていた。
王族というのはそういうものだ。
だが、父王はもういない。魔人軍による侵攻で死んだ。そして国もまた滅びた。
――ひょっとして……。
セラは、はたと気づく。ひょっとしたら、婚約相手を自分自身で決めなければならないのではないか?
――私が、決めていいの……?
しかし他に決める人間がいない。そうであるなら、自分で決めなくてはならないだろう。
だがセラは、アルゲナムを魔人軍から奪還しなくてならない。大変困難な道のりだが、これは命にかえても成し遂げなければならない使命だった。
そう考えると、頭をもたげた不安も霧散していく。
今はライガネンに赴き、魔人軍の脅威を伝える使命が優先。そして次にアルゲナムの奪還。……結婚だなどを考えるのは、まだまだ先の話だ。
セラはケイタを抱きしめる腕に、わずかに力を入れる。
――もし、婚約するなら、ケイタみたいな人がいいな……なんて。
ケイタではないのか、と自分の思ったことを反芻してみる。
彼は異国人で、しかも傭兵という身分。王族でも貴族でもなく、セラがよくてもきっと周りが反対するだろう。
そしてセラは、自分の好みよりも、国や民のことを優先する性質である。周囲が認めないこと、反対することは、よほどのことではない限り、自分を通したりはしない。自分ひとりが悲しい思いをするくらいで済むなら、自分の思いなど押し殺すことなど厭わないのだ。
ふと、セラはそれがひどく滑稽に思えた。
聖アルゲナムを滅ぼされ、もはや姫ではなくなったというのに。
自ら姫を名乗るのも、おこがましいとさえ思っていた。すべては自分の無力。守れなかった家族、仲間、故郷を思えばこそ。
だからお姫様と言われるのは、自身の無力さを突きつけられるようで嫌になった。以前、ケイタに思わず声を荒げてしまったのもそう。国を失い、大切なものを奪われて日が浅かったことで、自らの感情を抑えられなかったのだ。
それにも関わらず、セラは姫だった。自分がどれだけそうではないと思っていても、まわりはセラを姫だと言い続けている。ユウラたちはもちろん、魔人も、リッケンシルトの人たちも。
姫でなければ、ケイタにもっと素直に好きだ、といえたかもしれない。けれど、立場がそれを許さない。それがセラにはたまらなくもどかしく、胸を苦しめるのだった。
――でも今だけは……。
彼が眠っている間は。
この胸の中で安らぎを得ている少年が目覚めるまでは。
このぬくもりは、セラだけのもの。
他の誰にも、文句は言わせない。
・ ・ ・
昨夜の猛吹雪が嘘のように晴れた空。
ナルヒェン山に降り注ぐ温かな太陽の日差し。だがその空気は、まだ寒々しい。山肌は白一色に染まり、一晩続いた積雪の量がかなりのものであったことを物語っている。まだ外套が手放せそうにない。
洞窟を出て、ユウラは外の空気で肺を満たした。
正直言えば、少々お疲れだ。昨晩、洞窟の中で凍える親衛隊兵らに暖を取らせるために火を起こした。
薪がないので、宙に存在する魔素から薪を『創る』という高難易度の魔法を行使したせいでもある。
……正直、ここにいる面子で、それがどれだけ凄いことなのかわかるのは、アスモディアくらいだろうと思う。寒さに震える兵たちにとって、温かな炎を囲めるならそれが何だろうと気にする余裕はなかったのだ。
「晴れましたね、マスター」
アスモディアがやってくる。
「ケイタや御姫様は無事でしょうか」
「ケイタくんは問題ないでしょう」
ユウラは、ちらと傍らのシスター服の女魔人を見た。
「もし何かあれば、あなたのその服が解けるか、彼に代わるでしょうから」
「!?」
ばっと自らのシスター服の胸もとに手を当てるアスモディア。彼女の衣服は、シェイプシフターの身体から作られたそれだ。
「ひょっとして、突然全裸になったりとか……?」
「……何で、そこで嬉しそうな顔をするんですか?」
ユウラは苦笑しながら、洞窟へと視線を戻す。リアナが身体をほぐすように運動し、リッケンシルトの兵たちも肌寒さに小さく身体を震わせながら、外へ出てきた。
「最近、ご無沙汰なのです」
召喚奴隷であるアスモディアは、そんなことを真顔で言った。
「疼いてます」
「そうですか」
「正直、震える兵士たちを見て、わたくしが温めてさしあげてもよいかと思うくらいに」
それは――ユウラは小首を傾げた。
昨晩、いくら温まる以外にすることがなかったとはいえ、もし彼女の意志を妨げるものがなければ、凍える男たちをあの魅惑の肢体を使って……。
「魔人のあなたが人間と?」
少し好奇心が疼いたので聞けた。ただそれは性的云々よりも、単なる好奇心だったが。シスター服を着た女魔人は表情を崩さなかった。
「男は男ですから」
ふむ――ユウラが口もとに手を当て、考え込む仕草をとる。そこへリアナがやってきた。
「ケイタたちを探しに行く?」
「いえ、僕らは先を急ぎましょう」
視線は、リッケンシルトの兵たちを向く。
「寒さに対応する装備がない彼らの体力も怪しいので。少なくとも慧太くんは多少のことは大丈夫」
「……」
「とはいえ、何が面倒があって身動きできないと困りますから、捜索の手は出そうと思います」
ユウラは、アルフォンソを招く。
「分身体を出して、遭難者を捜索。優先は慧太くんとセラさんです」
「他のリッケンシルトの兵は?」
アスモディアが問うた。昨日の猛吹雪によって、親衛隊兵も脱落、遭難者が相次いでいた。その大半は、戦闘による負傷者とそれを補助していた者たちだ。
「酷なようですが、彼らの生存はほぼないものと見たほうがいいでしょう」
ユウラの目は冷ややかだった。傍に慧太がいるなら、話は別だが。運良く退避場所を見つけられればともかく、そうでなければまず間違いなく凍死している。
アルフォンソの体から、鷹の姿となった分身体が三体ほど飛び上がる。上空からの捜索で視野を広くとるのだ。
それらを見送りつつ、カバンから保存食の堅焼きパンを取り出す。
ユウラは思う。温かいものが食べたいと。これではリッケンシルト兵の体力もさほどもたないだろう。できればさっさと下山したいところだ。
だが、問題は魔人軍の追跡である。昨日の吹雪で、彼らにもそれ相応の消耗を与えたのは予想できるが、できれば早々にお引取り願いたかった。
御意見、感想、評価など、お気軽にどうぞ。
本日は二回更新。夜20時ごろに次話投稿予定です。




