第一二四話、抱き合う二人
外気の冷たさは、外套を変形させた寝袋もどきに入っている限りは無縁だった。
露出している顔や首もとが若干冷たい程度。慧太が体温を高めてセラを温めていたから、寒さはほとんど感じられない程度にはなっているはず……だ。
「ケイタ、温かい……」
背中を丸め、くっつくセラ。寝袋もどきの中での彼女はいま全裸だ。慧太もまた裸であり、この外套からこしらえた狭い寝袋の中、逃げ場はなく肌を触れ合わせている。
普通に考えれば、若い男女が密着しているわけで、恋人でもないなら羞恥心が勝ってもおかしくないが、少し前まで凍えていたセラは、恥ずかしさよりも、温まることのほうに意識が向いているのかもしれない。
――そういや、エッチなことしたら互いに体温上がるから、こういう場合もありなんだろうか……って、何考えてんだオレは!
一人、邪な感情を抱いている自分が悲しくなってくる。すべては直に身体を寄せ合っているせいだ。慧太自身、セラのことは憎からず思っているし、人間だったら彼女のことを……人間、だったら。
――好きになっていたんだろうな。
身を寄せる彼女の背中をさすってやりながら、慧太は思う。
――オレはシェイプシフター。……人間じゃ、ないんだよな……。
「不思議」
セラの小さな声が、慧太の耳朶を打った。
「私たち、抱き合ってる」
「……お、おう」
改めて指摘されると、気恥ずかしくなってくる。彼女は、聖アルゲナム国のお姫様という高貴な身分。そんな少女を、低体温から守るためとはいえ素っ裸になって温めているのだ。
「何だか、恥ずかしく、なってきた……」
そう言うと、ぽん、とセラは頭を慧太の首筋にうずくまるように触れさせる。顔を見られないようにするためか。
慧太の視界には、セラの銀色の長い髪がある。グノームの集落でもらった魔石灯の明かりに反射して、きらきらと輝いていた。
「悪いな、セラ。その……君が凍えそうだったから……他に、手がなくて」
なくはないが、自らの正体――シェイプシフターであることを気づかせない手が思いつかなかったというほうが正しい。
だが何にせよ、言い訳じみているなとは、慧太も思う。
「……」
「セラ……?」
「恥ずかしい……」
小さな声。拒絶する響きではない。身を寄せたままである。嫌なら離れるだろうが、それはしなかった。慧太は髪をかこうとしたが、セラを抱いている態勢上、無理だった。
「ごめん――」
「恥ずかしいから……少し、お話しない?」
甘えるような声だった。
慧太は救いを求めるように洞窟内に視線を向けたが、当然ながら何の助けにもならなかった。……しかし、こうやって会話を求めているということは、少なくとも最悪の方向からは脱していると見ていいのではないか。
「いいぜ、何を話そうか……」
いざお話しましょ、と言われてもネタが浮かばなかった。漠然とし過ぎて、かえって難しく感じてしまうというやつだ。
「何でもいい」
セラは慧太の身体により身を寄せた。何でも、というのはこういう場合難しいような。慧太は苦笑してしまう。
家族……のネタは避けるべきだろう。
セラは故郷を魔人に滅ばされて、父親を失っている。そういえば、母親とか他に兄弟姉妹とかいるのだろうか? 気になったが、現在彼女の置かれた状況を考えれば、あまりよい話は聞けそうにない。同様に故郷の話もNG。
「……そういえば、セラのこと、オレあまり知らないんだなぁ」
思わず呟く。日本に居た頃、野球をやっていた時は、よくチームメートに話しかけて家族や趣味などは一通り把握していた。……捕手ってのは色々気を使うのだ。
「ねえ、ケイタ」
セラの声。
「あなたの話が、聞きたいな……」
「オレの話か」
慧太がセラのことを知らないように、彼女もまた慧太のことを多分知らない。シェイプシフターであることはもちろん、異世界から来たなんてのも周囲には言っていないし、言う気もない。だがそれ以外のプライベートな部分、例えば趣味や好みの話なども、ほとんどしたことがなかった。
「何が聞きたい?」
「家族とか……故郷のこと」
セラは言った。避けようと思っていた話題だが――慧太はぼんやりと岩の天井を見上げ、やがて口を開いた。
「オレは羽土慧太、日本生まれ……つっても、このあたりじゃ、オレの国の名前を知っている奴はいない。それだけ遠い国ってことだな――」
慧太は話し始める。自分のことを。
家族や故郷の話。セラが聞きたがっているならしょうがない。一種の開き直りだった。
・ ・ ・
自分のことばかり語るのは、人から嫌われるという話をしたのは父だったか母だったか、慧太は思い出せなかった。
だが、セラが口を挟まず聞きに回っていると、どんどん喋られなければならないのではないか、と慧太は思った。
少なくとも話しに集中している間は、裸で抱き合っているという状況でも正気でいられた。
セラは聞き上手で、人の会話を途中から切ったりすることはほとんどない。だから、彼女が寝息を立てているのに気づいたとき、はたして彼女はいつから寝ていたかさっぱりわからなかった。
雪山で寝るというのはまずいというけれど、少なくとも寝袋もどきで寝てからは身体は温まりだし、凍えている状態を脱していたので、無理に起こすことはないだろう。穏やかな寝息を立てている時点で問題はないはずだ。これが止まったら、マジでヤバいだろうけれど。
昨日から、ほとんど寝ていないのだ。ゆっくり休ませてやろう、と慧太は、銀髪のお姫様の寝顔を眺めるのだった。
――可愛いなぁ。
あと、胸とか柔らかい……。
身体が接している分、ちょっと動くと彼女の女性としてのふくらみの感触を味わう。寝ているなら、もっと直接触ってもわかりはしない気もするが――心は健全な男子だと、皮肉を感じる慧太だった。
じっと眺めているうちに、外が静かになったような気がした。嵐は過ぎ去ったのか、だとしたらありがたい。
退屈を悶々とした気分で紛らわせたら、やがてセラが目を覚ました。
うっすらと開いた目、その青い瞳が見つめてくるのを見て、慧太は心底安心する。同時に、どっと疲労感にさいなまれる。
珍しく、眠かった。
「おはよう、セラ」
穏やかに声をかけた後、慧太は目を伏せた。
・ ・ ・
彼は優しく朝の挨拶をかけた。セラが目覚めると同時に、今度はケイタが寝始めたのだ。
どうして、こんなに彼の顔が近くにあるのだろう。
ぼんやりとした思考。起きたばかりの脳を働かせる。温かなものに包まれている。そして彼と抱き合っているという状況に、セラは完全に覚醒した。
そうだ、いま自分は裸なのだ。しかもよりにもよって、異性の、それも同年代の男子と肌をじかに触れさせている。
もちろん、生まれてこの方、他の男子に肌を触れさせたことなどない。生まれたままの姿を異性にさらしたことも当然ない。……と、考えて、そういえば先日、狼獣人に誘拐された時、彼らに服を脱がされて見られたことを思い出した。
同時に助け出された時に、やはりケイタにも裸体をさらしていた。
――そっか、ケイタには二度目なんだ……。
セラの手は、彼の腰まわりから胸もとへと伸びる。戦士としては細い身体つき。けれど引き締まっていて、意外と胸板があって――
いまセラは彼に自身の胸を押し付けている格好だ。よくよく考えれば、淑女たるもの軽々しく異性に素肌をさらすものではないし、婚約もしていない殿方の身を寄せるなんてハレンチ極まりないのだけれど。……嫌では、ない。
彼なら抱かれてもいい、とセラは思った。
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