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第7話 逃走

更新が遅れましたことをお詫びいたします。

 レィトは白い家の中にいた。

【大きな背中】に乗っていたら、気づいたときにはここにいたのだ。


(ここはどこだろう?)


 レィトは、ここまで何が起きているのか全く理解していなかった。

 ただ、母親が死んだことと、自分が森の外の未知の世界に踏み込んでいることを漠然と知っているだけだ。


 レィトの隣には【大きな背中】が立っている。

【大きい背中】とは何か?

 レィトは自分を連れ出した三人を、「見たことないくらいに大きいゴブリン」だと考え、それぞれ特徴から名前を付けていたのだ。


(あと、【いい匂い】と【ひょろひょろ】はどこにいるのかな)


 レィトは昨日の夜に三人の名前を聞いていたはずだが、そんなこと覚えていなかった。

 そもそも、それが名前なのだと思っていなかったし、何を話しているのかもわかっていなかったのだ。


「レィト、疲れたか? だが、もうちょっと待ってくれよ」


 レィト、というのは自分のことだとわかる。

 親からもらった大切な名前なのだから、当然だ。

 しかし、相変わらず【大きな背中】が何を言っているのかわからない。


(わからないことがいっぱいだなぁ)


 何かよくわからないことを言っていた【大きな背中】は、レィトが目を離した隙にどこかへ行ってしまったようだ。

 目の前の命の危険以外には基本的に能天気なレィトは、それに不安を覚えることもなく、興味のままに部屋の探索をしてみることにした。


(地面は、石かな?)


 白い家の床や壁は白い石で作られており、たくさんの石を積み上げて形作られているようだった。

 レィトは、石でできた竃を見つけると、その近くに行き、【大きな背中】を呼ぶ。


『【大きな背中】! これは何?』

「……どうしたんだ?」


 レィトの声を聞いて、【大きな背中】が戻ってきた。

 手にはレィトのための服を持っており、レィトが急に声を上げたことに不思議そうな顔をしていた。


 レィトは竃を指差し、もう一度尋ねる。


『ねぇ、【大きな背中】。これはなぁに?』


 しかし、【大きな背中】にはレィトが何を言っているのかわからなかった。

 ただ、レィトが竃を指差し何かを伝えようとしていることは理解できる。


(竃に関することで、子どもが話そうとする話題……あれしかないだろう)


 そもそも、レィトが竃の存在を知らない可能性など考えていなかった【大きな背中】が、勘違いをしたとしても仕方がないことだろう。


「お腹空いたのか? ちょっと待ってろ」


 そう言って【大きな背中】はレィトに服を渡し、食事の準備をし始める。


(……あれ?)


 そもそも服を着たことのないレィトは、もちろんそれが何なのかということすらわかっていない。

 呆然と立ち尽くしたレィトだったが、気を取り直して部屋の探索を続ける。もちろん、服なんて投げ捨てた。


(こんな大きな家があるなんて、【大きな背中】はすごい!)


 森の中にいただけでは決して見ることができなかったであろう体験に、レィトは興奮していた。

 それは、レィトの未熟な心は母親の死という哀しみに耐え切れず、心を守るために無理矢理に感情を高揚させているようだった。


(これは何だろう? ……あれは?)


 自分の感情に振り回されるままに部屋を歩き回るレィトは、壁の一部が木でできていることに気づいた。

 一般的に、それはドアや扉と呼ばれるものだったが、レィトの住んでいた家にはそんなもの存在せず、それがどういうものなのかもレィトは知らない。


(これは、どうするものなんだろう?)


 しばらく考え込んでいたレィトだったが、ふと【大きな背中】を呼んだ時、【大きな背中】がこの木の裏から現れたことを思い出した。


(この木は、動くのかな?)


 だが、この木をどうしたら動かせるのかがレィトにはわからない。

 レィトは扉の前をうろうろしたり、トントン叩いてみたりしてみる。


 動きそうだが、動かない。


 レィトの開けようとしている扉には取っ手があるのだが、あいにく背の小さいレィトは気づいていないようだった。

 ようやく、レィトが何かしら変なことをしていることに気づいた【大きな背中】がレィトに声をかける。


「……今度は何をしているんだ?」


 レィトの意味不明な行動に戸惑うばかりの【大きな背中】だった。


(俺も、少しは子どもの気持ちがわかると思ってたんだがなあ。言葉が通じないことがこんなにも厄介だとは気づかなかった)


 レィトと【大きな背中】のすれ違いはそれからも深まるばかりであった。

 とうとう扉に体当たりを始めたレィトを止めた【大きな背中】は、レィトが渡した服を着ていないことに気づく。


 なんとか服を着せようとする【大きな背中】だったが、レィトはそれを頑なに拒む。

 レィトからすれば、身体にちくちくと刺激がある違和感が嫌なのだ。


 こうして、たまに【大きな背中】に噛み付いたり顔を引っ掻いたりして抵抗するレィトと、なんとしても服を着せようとする【大きな背中】の攻防は、傷だらけになりながらも力と身体の大きさの差で【大きな背中】が勝った。

 だが、ふと我に返った【大きな背中】は、自分が傍目には幼児を襲う危ない大人に見えることに気づく。


(なんてことを……! 俺はなんてことをしてるんだ!)


 身体だけではなく、心に大きな傷を負ってしまった【大きな背中】の意識は、それまでの疲れが急に出たのか強い眠気を訴えていた。

 寝てはいけない。それは分かっている。だが、今まで溜めてきた眠気はそう簡単に吹き飛ばない。


 見れば、レィトも疲れたように欠伸をしている。


(……添い寝。添い寝ならば大丈夫だろう)


 そう考えた【大きな背中】は、レィトを抱き抱え、寝室に繋がる扉を開ける。

 そして、そのままベッドに横になり、数秒で寝息を立て始めた。


 レィトは、そんな【大きな背中】の眠りの早さに驚きつつ、ベッドから出る。

 もともと、森を出てから眠ってばかりだったレィトはそんなに眠気もなかったのだ。


 そして、レィトは見ていた。

 抱き抱えられながらも【大きな背中】が扉を開けていた瞬間を、しっかりと。


(そうか、こうやってやるんだな)


 懸命に手を伸ばして取っ手に手をかけると、扉はゆっくりと動き出す。

 森の中で狩りをしていたときとはまた違う、ドキドキとした興奮を味わいながらレィトは部屋を出る。


(さっき、【大きな背中】がやっていたのは……食べ物だ!)


 そう、【大きな背中】はレィトとの攻防ですっかり忘れていたが、食事の準備をしていた途中だったのだ。

 そんなこととはつゆ知らず、レィトは準備の途中であろうと火で炙ってない臭いのきつい干し肉であろうとパクパク食べる。


 あっという間に、竃に並べられていた分は食べ尽くし、壁に掛けられていたパンや干し肉までも食べていく。

 レィトの計画性では、次の食事の分を残しておいたらそれで十分なのだ。


 どこにそんなに入るのか分からないが、四人分の食事をきっかり半分食べたレィトは、幸せそうに膨らんだお腹を撫でる。

 未知の世界に独りきりという空間を、図太い精神で満喫するために、レィトは次の暇つぶしを探す。


(これって、炭じゃない?)


 レィトが、竃の中から炭を取り出す。

 幸い、まだ火を入れる前だったから炭は熱を持っていなかった。




 過去に、父親が世話をしていたときだけ、レィトの家には焚き火があった。

 何度も、父親はレィトに火の着け方を教えていたが、レィトがあまりにも不器用で全く着けられそうな気配がなく、遂には父親も諦めてしまっていた。


 火の着け方は忘れていても、炭の存在だけは忘れなかったレィトは、それで絵が描けることも覚えている。

 母親が炭で絵が描けることを教え、一緒に遊んだこともあった。




 ぼんやりと、レィトは興奮の冷めた様子で炭を掴む。

 手に黒く残る炭の匂いを嗅ぎながら、遠い思い出になってしまった過去を思い出す。


 そして、昔描いた絵を再現するように壁や床に炭で絵を描いていく。

 不器用なレィトだったから、描く絵は腕を大胆に大きく動かしながら、意外にも臨場感のある絵を描いていく。


(石の方が、描きやすい)


 母親が持ってきていた薄い木の板よりも、白い石は何倍も描きやすかった。

 それに、一つ一つの石は小さくても、並べることで大きな絵を描くこともできる。


 レィトが気がついたときにはもう、絵を描ける場所がなくなっていた。

 手に持っていた炭は途中で何度も取り替えて、とうとう竃の中の炭はなくなっていた。


(お母さん、ごめんね)


 そこには、白と黒で構成された一つの世界があった。

 レィトの全てが抽象化され、線の太さや濃淡だけで豊かな表現がされている。


 レィトは真っ黒になった手のひらを服に擦り付け、床にも広がっている絵を踏まないようにしながらペタペタと歩いていく。

 そして、もう一度扉の取っ手に手を掛け、扉を開ける。


 そこには、森ではない外の世界が広がっていた。

 たくさんの白い家がごちゃこちゃと建ち、はるか遠くに森が見える。


 レィトは、絵を描くことに夢中になっていて、【大きな背中】のいる部屋の扉と外につながる扉の位置を間違えたのだ。


(…………え?)


 そのとき、レィトは扉が二つあることに気づいておらず、いきなり外の世界が見えたことに驚いていた。

 さらに、絵を描くことに集中しすぎて、自分がまだ森の中にいるのだと錯覚を起こしていた。


 レィトの意識は、ぐちゃくちゃとしたまま一つの感情を呼び起こす。


(……帰らなくちゃ)


 帰巣本能とも言えるほど強い感情は、レィトの意思とは関係なく身体を動かす。

 もしも、このときバルトシュが起きていたり、アレクやイザベラが破落戸に絡まれていなければ、未来は変わっていたかもしれない。

 だが、過去を変えることは未だ誰にも成し遂げられてはおらず、おそらくこれからもないだろう。


 ペタペタと歩き出した足は、だんだんと速くなっていく。


「うおっ!? ……なんでこんなところに餓鬼が?」

「痛っ、危ねえな! 気を付けろ! ……って、あれ?」


 森で鍛えられた足は平地でも風のような速さを可能にし、小さい身体を止められるものはだけ一人としていなかった。


(帰る、帰る帰る帰る)


 どこからか漂ってきたあの呪いの臭いが、レィトを包み込み、レィト以外の全てを侵食する。

 いや、レィトも身体以外の、目に見えない部分を侵されていた。


 呪いに囚われたレィトを救える存在は、とうとうレィトが森に着いても現れることはなかった。

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