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第5話 旅立ち

 最後の見張り交代の時間になった。

 アレクはイザベラに声をかける。


「おーい、交代だ。起きてくれ」

「……うぅん」


 レィトを抱きしめているイザベラの腕が、一層強くレィトを締め付ける。

 顔の一部を胸に押し付けられたレィトは苦悶の表情を浮かべている。


 苦しそうだ。

 だが、羨ましい。


 アレクは心を無にしながらイザベラを起こす。


「レィトが辛そうだ。早く起きてくれ」


 声をかけるごとに少しずつイザベラの締め付けは強くなっていく。

 レィトのさらさらの髪に鼻を押し付け、より快楽に踏み寄ろうとする。


 だが、それと同時にレィトはますます寝辛くなっていく。

 苦悶の表情に若干ながら苛立ちが混ざってきている気がする。


 そして、ついに


「うっ!」


 イザベラが短い呻き声を上げる。

 お腹を押さえながらよろよろと起き上がると、何が起きたのか説明する。


「……レィトに、お腹を蹴られた」


 見ると、外套の隙間からレィトの細い足がイザベラに当たっていた。

 レィトの膝がイザベラのお腹を蹴り上げていたようだ。


 鳩尾のあたりを押さえながら立ち上がったイザベラは、開けた外套のかけ直してやる。

 アレクはそんなイザベラを少し冷めた目で見ていた。


「……なによ」

「いや、全裸の子どもを抱きしめて寝るのはどうかと思うぞ?」


 全裸だったレィトが唯一、肌を隠していたのはいたのはイザベラの外套だった。

 そして、その外套に包まって眠るというのはレィトが再び全裸に戻るということだ。


 先ほどのイザベラの醜態を見ていたアレクはレィトが全裸だったことに気づき、さらに引いていた。

 そして、自分の革袋から腰巻を取り出して、レィトに着せてやる。


 寝ている人に衣服を着脱させるのは、案外難しいものだが、アレクは手慣れたように着せていた。


「あら、意外と手慣れているのね」

「…………」


 意外と言いながら、イザベラの声はあまりそう思ってなさそうだった。

 しかし、アレクは何かを思い出している途中のようで、聞こえていないようだった。


 そして、レィトに下着だけでも着せてやることができたアレクは満足そうに頷き、寝る準備を始める。

 しかし、思い出したように荷物を漁り、そこから干しブドウを取り出した。


「これ、食べろよ。少しは腹の足しになるぜ」

「いいの?ありがとう」


 イザベラに干しブドウを手渡すと、今度こそ横になった。

 イザベラは、もらった干しブドウを嬉しそうに見つめると、少しずつ食べ始める。


(よかった。アレク、怒ってなかった)


 イザベラも、自分がレィトばかりを気にしてしまっていたことを反省していた。

 だが、イザベラがレィトに構うたびにアレクが嫌な顔をしていて、内心焦っていたのだ。


 イザベラは、始めはレィト母親イザベラを取られてしまったアレクを見ているような気分だった。

 しかし、パーティは些細なことが原因で崩壊することもある。


 過去に、小さな言い争いが原因でパーティから抜けてしまったことがある。

 そのときは後悔も反省もしていなかったが、結果その町に居られなくなってしまい、だいぶ苦労した。


 それ以来、イザベラはしばらくパーティを組まずに活動していた。

 しかし一人での活動には様々な危険が伴う。一人での活動に限界を感じていたところに、何かの縁があったのかアレクとバルトシュとパーティを組むことになった。


 それから二年が経過した。

 イザベラも、アレクとバルトシュがどんな人物なのかだいたい把握していたが、未だに分からないこともある。


(そういえば、何でバルトシュは他のパーティにしなかったんだろ)


 バルトシュほどの技量があれば、一級のパーティにだって入れたはずなのだ。

 わざわざ自分でパーティを作らなくても十分に活動できただろう。


 バルトシュはアレクと知り合いだったみたいだし、何か理由があるのかもしれない。


『……ママ、いつか、きっと』


 レィトの寝言が聞こえる。

 何を言っているのか分からないが、とても寂しそうな声だった。


 この子もずっと苦しんでいたのかもしれない。

 親元から連れ去られ、一人、ゴブリンに囚われて暮らすなんて信じられない苦痛だろう。


(家に、帰りたいよね)


 できるならば、私はこの子をエルフの暮らす町に帰してあげたい。

 隣の国のサルヴィか、それとも海を渡ったストル大陸か。

 私に出来ることなら、何だってしてあげたい。


 イザベラは寝ているレィトの隣に座り、左手でレィトの手を握り、右手で優しく頭を撫でてやる。

 レィトが安心して眠れるようになるまで、笑って過ごせるようになるまで尽くしてあげるのだ。


(レィト。あなたはきっと、危険な存在になるわ)


 イザベラも、レィトが危うい魅了の力を持っていることはわかっていた。

 しかし、それを知っていたとしてもどうしようもないことも、この世にはあるのだ。


 イザベラはこのとき、この世界の変革を幻視していた。

 レィトが、この世の全てを破壊し、作り変える。そんな幻想が、イザベラには見えていた。


「……あ、太陽だ」


 いつの間にか空は白くなり、地平線は燃えていた。

 ぼんやり眺めていた焚き火は燃料を失い、オレンジ色にほんのり暖かく輝いている。


 もうしばらくすれば、二人も起き出してくるだろう。

 もしかしたら、昼までには開拓村に着いているかもしれない。


 イザベラは立ち上がって大きく伸びをした。

 これから、大きな旅立ちのための準備しなければならない。


「これから、忙しくなるわ」





 最初に起きてきたのはレィトだった。

 日が昇ると同時に自然と起きたようだった。


「おはよう、レィト」

「…………」


 イザベラが挨拶をする。


 レィトは目をこすりながら、こくりこくりと首を振っている。

 眠たいだけなのか、返事をしているのか分からなかった。


 だが、イザベラはそんなこと気にしない。

 濡らした布でレィトの顔を丁寧に拭う。


「これでよし」


 少し目の辺りが赤くなっているが、レィトの顔についた汚れは拭き取れた。

 眠気も飛んでいったのか、大きな目もぱっちりと開いている。


「……朝か」


 隣で何かが起きてくる音がする。

 見なくてもわかる。バルトシュだ。


 バルトシュは一瞬、眠気で頭がぼうっとしていたようだが、気合を入れて立ち上がる。

 そのまま、身体を少しずつ伸ばして緊張を取り、イザベラから受け取った布で顔を拭う。


「おはよう」


 相変わらず隙のない男だ。

 寝ている間も手元に剣を置き、今の一連の流れでも攻撃を避けながら武器を手にできるように立っていた。


 しかも、自然とそれが身体に染み付いているのだから驚きだ。


「おはよう、あとはアレクね」


 その言葉とほとんど同時にアレクが起きた。

 仰向けで寝ていたアレクは、唐突に右に三回、左に三回と寝転がる。


「うおぉぉ、痛えぇ」


 呻き声とともに立ち上がったアレクは身体中を摩っている。

 硬い地面の上に外套一枚だけで寝るというのは、想像以上に辛いのだ。


 地面に接していた部分の血流が悪くなり、痛みと痺れが混ざり合ってアレクを襲う。

 定期的に寝返りを打たないと起き出したときに地獄を見る羽目になる。


 バルトシュは地面に寝ることに慣れていたため、イザベラは特製の抱き枕があったために大丈夫だった。

 レィトは適度に寝返りをしていたのか、無事なようだった。


「よし、アレクも起きたな。出発しよう」


 痛がるアレクを心配する人はいない。

 どうせしばらくしたら治るのだ。


 バルトシュは天幕を片付け、イザベラとレィトは焚き火跡をきれいにする。

 アレクはそれを涙目で見ていた。


 出発する準備が終わったころに、ようやくアレクは動けるようになっていた。

 未だに痛みが残る背中を摩りながら立ち上がり、軽い運動をしている。


 バルトシュは開拓村の方向を探るために、太陽と森の位置を確かめる。

 ここから開拓村まではそう遠くない。ゆえにこの地点から村が見えないのであれば森を抜けた方向が違うはずなのだ。


 しばらく位置を確かめていたバルトシュは、北を指差す。


「この方向に、森沿いに歩けば村に着くはずだ」


 こうして、四人は歩き出す。

 レィトはイザベラと手を繋ぎながら、アレクはバルトシュに支えられながらゆっくり歩く。


 どこまでも地平線か、森しか見えない。

 こんな場所では当然、盗賊やならず者だっていないだろう。


 昨日の緊張感が嘘のようだ。

 暖かい太陽と、豊かな自然が新たな出発を祝福している。


 イザベラもアレクも、バルトシュまでも朗らかに笑っている。

 レィトだけは、眩しそうに目を細めていた。


 しばらくして、支えが必要なくなったアレクがレィトに言葉を教え始めた。


「レィト。これが、蜜菓子だ。昨日、お前が食ったやつは高い方だった」


 アレクがレィトに見せていたのは、蜜菓子だった。

 昨日、イザベラがレィトに渡していたものよりも安いものであり、一粒が小さく、蜜の量も少ないものだ。


 しかし、安いとは言ってもひと瓶でおおよそ銀貨一枚ほどはする。

 十分、嗜好品の類に入るのだ。


 しかし、レィトはアレクの話を聞いているのかいないのか、蜜菓子を見るなりあーんと大きく口を開き、待っていた。

 その様子はまるで、雛が親鳥に餌をねだっているようだ。


 アレクは笑いながらレィトの口に蜜菓子を放り込む。

 ぱくんと口を閉じたレィトは満足そうに顔を緩ませる。


(恐ろしいほど、綺麗な顔してやがる)


 アレクはそれを見て、思わず引き込まれそうになる。

 自ら底なし沼に飛び込むかのような感覚に襲われたのだ。


 それではいけないと、気を引き締めるアレクだったが、そんなアレクなどお構いなしにレィトは再び口を開ける。

 アレクも、もう一度口を開けたレィトに蜜菓子を放り込み、レィトの魅了の耐性を身に着けようとする。


 黙々と、口を開けるレィトと自分も蜜菓子を食べながらレィトにも放り込むアレク。

 バルトシュとイザベラは、そんな二人を不思議そうな顔で見ていた。

お読みいただきありがとうございます。

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