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香さん

 目が覚めた朝、また目尻が濡れていた。それを袖で拭うと、僕はベッドから抜け出した。


 また、あの夢を見てしまった。いつになれば、この夢は消えて、見なくても良くなるのだろうか。自分の気持ちに素直になれば見なくなるのだろうか。


 ならば、ずっと、僕はこの夢にとらわれ続けるだろう。









 リビングに行くとちょうど兄が朝食を食べ終わったところらしかった。


 明良に気づくと、


 「おはよう、明良あきら


 朝から大変さわやかに笑った。


 「おはよう、あに。」


 素気そっけなく返して、兄の横を通り過ぎた。兄はそんな明良を細めた眼で何か言いたげに見ていたが、それを横目で一瞥しただけで無視すると明良は洗面所へ入っていった。今が朝じゃなかったのなら立ち止まって、何かと兄に聞くのだが、それでも無言で通り過ぎたのは、そんな眼で見られる心当たりが自分にあるからで。


 鏡の前でボケ〜と自分の顔を見つめる。目とそのまわりが、赤く腫れている。こしこしとこすると更に赤くなってしまった。ただ昔の夢を見ただけだというのに、そんなに泣いていたのか。自分の意識のないところで勝手に涙が流れていた。意識さえなければ、体も感情も素直だ。

 

 瞼が下がり気味になっていて、すごいことになっているのは自覚していたが、泣き腫らした訳でもないのに、こんなに赤くなるなんて。


 「はぁ…」


 いつもの如く、今回も一つため息をつくと水道の水をだした。


 ジャアァ……――。


 お風呂場から洗面器を持ってきてその中に水をため、タオルを放り込んだ。タオルが水を吸って、洗面器のそこへ沈んでいく。その様を無表情で見守る。適量にたまったところで、水を止める。水を張った洗面器へ手を突っ込んで、タオルを絞る。パンと広げて、縦に四分の一に折っていく。


 それを横に一先ひとまず置いておいて、明良はパジャマから私服に着替えた。今日は日曜日で高校は休みだ。


 顔を洗ったりして、とりあえず起きて活動できる支度をする。一通り済ませたあとで、タオルを持って明良は自分の部屋へ数分ぶりに戻った。


 せっかく天気がいいのだから、窓を開けておこうか。明良は濡れタオルを片手に二階に上がってきたその足で空気を換気しに行った。


 そして、まだ寝ていたときの自分の体温の残るベッドへと体を預けた。


 それから絞った濡れタオルを緩慢な動作で瞼の上に乗せる。ひんやりとした冷たさのタオルが腫れた瞼にはちょうどよく、気持ちいい。


 明良はそのまますぐに眠りにおちていった。












 気がついたらもうお昼を過ぎていた。日の傾き加減から、時刻は午後一時過ぎだと思われた。


 目にかぶせていたタオルは濡らしてから既に何時間もたっていて、人の体温で温もりを持っている。瞼の上のタオルを取って、瞼を閉じた上から目に触れてみる。大分目の腫れはひいたようだった。とりあえず、人に会っても何も訊かれない状態に戻ったと思われた。まだ少し瞼が腫れぼったく感じるけれど、冷やしておいたおかげで目立つほどひどくはないだろう。


 「う〜ん…――何をしようか…」


 むくりとベッドから起き上がると、体が軋んだ音を上げた。これは、ほとんど同じ体制でいたせいだ。一応、起きて外に出られる程度に身支度は済ませたが、すぐに寝てしまったから一日の半分をベッドで、同じ体制で過ごしたということになる。だから、体が軋んだ音を立てても仕方がないというものだろう。


 立ち上がると、目眩もした。


 明良は少し乾いた笑いを漏らした。


 「少し…寝すぎたかな…――」


 ぐるりと、一度部屋の中を見渡して、首を傾げる。おかしい。普段から静かな家だが、今日は一段と静かだ。もしかしてもしかすると…今この家にいるのは自分ひとりだけなのだろうか。兄もいないのだろうか。


 明良は自室のドアを開けて、廊下へ出た。


 「なんか、やだなぁ…。寝ている間に自分ひとりだけになってるなんて」


 別にいてもいなくても構わないのだが、家にひとりとなると寂しいものだ。できれば居て欲しいものだ。そう思いながら一理の期待をかけて隣にある兄の部屋へノックのひとつもなしに侵入したが、生憎やはり部屋の主は不在だった。しぃ〜んとした兄の部屋を見ていると、むなしい気持ちになってきた。


 「はぁ…やっぱり今この家にいるのは僕ひとりだけ、か…」


 とぼとぼと自室のドアを開いたと同時にケータイが鳴った。明良はあまりにも静かな環境に慣れすぎたせいでケータイの発する大きな音に文字通り飛び上がった。


 「うわっ!!!な、なな何っ!!?」


 今、ここにいるのが自分だけでよかったと感じられた瞬間だった。もし今の瞬間を誰かに見られていたなら、顔から火が出るという恥かしい状態に陥ったことだろう。


 落ち着けと自分で自分に言い聞かせながら、ケータイに出た。それはメールではなく、電話だった。


 「もしもし?」


 『もしもし、明良くん?私、かおりだけど、いま暇?…暇ならさ、私とどっか遊びに行かない?』


 「…え、ホントですか!!行きます。どこ行きます?」


 『まぁまぁ、それは会ってから決めようね。今から出られるかな?』


 明良は時計をちらりと見た。別に何の用事もないし、いまからでも大丈夫だ。


 「はい。出られますよ」


 『そう、じゃあ、いつものとこで――!』


 「いつものとこ、ですね…わかりました」


 そう返事して通話は終了。


 『いつものとこ』とは、香さんと毎回会うときに待ち合わせに使っている明良の家に程近い喫茶店のことだ。徒歩十分程の距離にあるのだ。


 僕は窓を閉めると、財布とケータイをだぼっとしたズボンのポケットに突っ込んで部屋を後にした。洗面所へ行って、もう一度顔を洗う。


 鏡で今朝腫れていた目を見つめる。思ったとおり、腫れはだいぶ引いていた。良かったとひとりほくそ笑んで、明良は家を出た。


 これで明良も居なくなって完全に家には誰も居なくなった。鍵を閉めると、足を喫茶店へ向けたのだった。












 明良が着いたとき、喫茶店にはもう既に香さんが来ていて、明良を待っていた。香さんは明良を見つけるとふわりと微笑んだ。明良はその笑顔に目を奪われながらも、香さんと向かい合わせの席に着くと謝った。


 「すみません、遅れてしまって…」


 「いいのよ、謝らなくたって。明良くんを待ってる時間も私にとっては楽しい時間なの」


 「…そうですか。で、どこ行きます?香さんはどこに行きたいですか?」


 香さんと知り合ってもう三年の時が過ぎた。恋人という付き合いこそしていないものの、しょっちゅう会う仲だ。


 第一に香さんは兄の元恋人だ。恋人として付き合うとか全く考えられないが、一番身近に感じる女性だ。


 初めて会った時の第一印象は今の香さんには言えない。何故ならその明良が感じた第一印象というのは――。


 『これが自分の義理の姉になるかもしれない女の人』


 綺麗とかそういう外見的な第一印象ではなく、家族になるかもしれない人という印象しか抱かなかった。そんな第一印象を明良に持たせた人はその一年後――兄とはもう、ただのお友達に戻っていた。そんなこんなの理由で――香さんに訊かれる事もあったのだけれど、一生言えそうにない。


 「ん〜…どこにいこうかしら――明良くんはどこ行きたいかな?」


 「僕は香さんの行きたいところであれば、どこでもいいですよ」


 「いや、実は私、特にないんだよねぇ…行きたいところ。だから、明良くんに聞いてるの」


 「そうですか。じゃあ、本当にどうします?――僕もどこに行きたいって言うのが…特にないんですよね」


 『特に』という言葉をやけに使う二人だが、『特に』というより『思いつかない』という心境だ。まぁ、そういう訳でお互い相手を頼りにして『遊ぶ』と言っていたのが明らかになって、それから一時間ほど明良と香さんとで『どこに行きたいか』の譲り合いを始めたのだった。

 

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