ようへいとつかいまっ!
製作時のテーマは「バトル描写の作成」、「三角関係系ラブコメ」、「ファンタジージャンル製作」というテーマで製作いたしました。
『ちょっとバッちゃん! ホントにこっちの方角であってんの!? こっちが街の方角だって言って歩いてるけど街どころか樹ばっかりじゃない!』
「黙れ、やかましいぞ。お前の声は一々直接脳に響くんだからな。少しは声を抑える事くらい憶えろ。
それに俺は、ちゃんと地図の指し示す方角の通りに歩いてる、間違ってる筈が無い。後俺の名をバッちゃん等と呼ぶな、俺の名はバックスという名がある」
ああ最悪だ、旅をしていて何時もの様に耳障りなあの声が響いてくる。これ程五月蠅い声が脳に直に聞こえてくるのなら、こんなバケモノと契約してしまったあの時の俺をぶち殺してやりたい。
そんな思いに駆られつつ俺はこの鬱蒼とした森の中を、道なき道を歩き続ける。
この森の中を歩き続けてもう三日は経った筈だ、日が頂点に上がり、明るく照らしている間に森を抜けたいものだ。
ああ早く街に着いて早くこの背中の鞄内の荷物を売り払いたい、そして宿に入り遺跡に入って汗と泥塗れになったこの衣服と身体の汚れを洗い落としたい。そんな焦燥に心が染まっていく中、又もや何時もの耳障りな声が響いてくる。
『一々バッちゃんは口が悪いんだから! そんなだから何時まで経っても友達も仲間も作れないんだよ! 唯でさえバッちゃん顔がアレで不気味なんだから』
「黙れ、顔は余計だ。そんなもの俺にどうにも出来ん」
二メートルはある背丈に、長年鍛え上げた結果筋骨隆々となった日に焼けた身体、鍛えた腕や脚は並の子供の胴回り以上はあると自負している。だがそれ以外の部分は贔屓目で見ようとも、とても人に受ける様な顔立ちや風体では無かった。寧ろ嫌悪感すら抱くだろう。
頬にはニキビが湧き、角ばった武骨な形状の骨格は整っているとはとても言えない。頭には癖の強い黒髪と顎には無精髭、職業柄故身体のあちこちに刻まれた古傷、そして何よりも昔負った、頭の左半分を覆う焼け爛れ黒ずんだ火傷痕が俺の顔の醜さをより大きく目立たせる。
この顔の為に同業や周囲の者からは、山賊の首領と名乗った方がピッタリだと指を指し、嗤いながら言われた事もあった(その後俺を嗤った馬鹿はその場で徹底的に叩き潰し、お返しに顎の骨と指を粉々に砕いた)。
アイツは仲間内でも悪名がそれなりに高かったので特に問題は無いはずだ。
それに悪名が高ければ俺に寄ってくる人間は居なくなるというもの。仲間の信用などに惑わされる事も無く楽になるに違いない。
「俺は仲間なぞ作らん。それはお前も知っている筈だ。何年一緒に俺と旅をしている」
そうだ、あんな打算と悪意でしか行動しない様な奴等と、共に背中を預けて行動などしたくもない。どうせ奴等の事だ、
『仲間は助け合いさ!』
『友との友情は尊いものだ』
等と世迷い言を表では笑顔で吐き散らし、裏では俺を見下し嘲笑い言葉巧みに利用して、用が済めば容赦無く使い捨てる様な奴等、それが人間だ。誰が、誰があんな奴等なぞ信じてたまるものか……。
そう考えていると俺の考えを読み取ったのか、エリザの声が俺の脳に響く。
『もう! バッちゃんてば何時もそんな被害妄想なんかに入るなって昔言ったよね、だから余計に人が寄り付かないんだよ!? そんな徹底的に他人を拒絶する偏屈な人間なんて殆ど見ないわよ!』
「よかったな、今ここで見られるぞ。後そろそろ黙っていろ、地図と方角が集中して読めん」
人が集中しているというのに、俺の思考を妨害するかの如く、又もやエリザの言葉が聞こえる。
『・・・・・・バッちゃん!』
「ええいなんだ喧しい! 俺が折角集中して『その地図、よく似てるけど此処の土地の地図じゃないよね?』・・・・・・」
そう冷えた様な、ため息を付くような呆れきった声が脳に響いた。
『バッちゃんの馬鹿! 役立たず! ドジっ子!』
「うるせぇ! さっき謝っただろうが! いい加減しつこいぞ!」
……後ろでフワフワ呑気に気楽に浮きながら罵詈雑言を上げている使い魔兼相方はエリザベート。通常の人間はおろか並の悪魔淫魔とは一線を画すモノである事は、姿形からして疑いようが無い存在である。
膝まで届く長い髪は高級な銀細工の様に綺麗に輝く銀髪であり、瞳は磨き抜かれた青水晶の如く美しい。
背丈は百七十はある長身で全身の肌もシミ皺一つ無い磨き抜かれた大理石の如く白い肌。脚や腰等の引き締まっていなければならない部分は美しく締まっていながら胸や尻など出ている部分は強烈に飛び出ている。
それでいて身体のバランスや顔立ちは、崩れるどころか一流の彫刻の作った彫刻の如く完璧に整っているのが性質が悪い。声は何処までも響く様に甘く透きとおり、老若男女問わず聴いた者全ての心を溶かす心地よさを秘めている。
姿形の全てが美しく完璧で、そしてなにより心の底が煮えたぎる程苛立たしい美貌である。
その身体に纏っている胸元や背を大きく曝け出した黒いドレスの様な服も、まるで此処がパーティ会場であるかの如く堂々とした存在感を示し、全く場違いである森の中だというのにまるでこの服装は場違いでは無いかの如き錯覚を思わせた。ここまでスラスラと褒め讃えているかの様な説明をしてしまったのは非常に腹立たしい。
俺と一緒に遺跡に入ったというのに全く汚れても無ければ汗一つかかず涼しい顔をしているのは、どうせ身体と衣服に防護魔法でも掛けていたに違いない。
だがその美貌よりも先に何よりも目を引くのは、腰や尻から生えた蝙蝠を思わせる皮膜のある一対の翼に蛇の如き尾、そして羊の様に歪に捻じれた二本の角、それこそがこのエリザが人間では無い何よりの証であった。
あの使い魔だけは例外だ、俺の不運と油断が招いた若気の至りだった。契約時の記憶があいまいだが、今まで従順に従ってくれているのだから、今は気にする必要もないのだろう。
言っておくがこういう事は例外中の例外である。こういうモノを連れている傭兵は数少ない、そう考えると俺は運に関してはそれなりに恵まれているのだろう。
(まぁそんなドジっ子なところが堪らないのよねぇ、グヒッ)
「おい、何か変な事考えなかったか?」
『べっつにー? 何も考えてませんよーだ。あら、もしかして私の事、き・に・な・る・の?』
「……聞いた俺が馬鹿だった」
……まあいい、思考が逸れた。だが俺はおとぎ話に出てくる様な正義の味方だとか勇者様の様な選ばれた存在である訳が無いし、そのような存在の様に必殺技だとか大魔法等といったようなものが使える筈も無い。精々簡単な火を出したり、洞窟を照らす魔法位しか使えない。
こんなものそれなりに訓練すれば大抵の人間に使えてしまう、全くクソッタレな才能の無さだ。
仕事に関しても街や国を救う一大事なんてモノには一切関わる事などある訳も無く、主な仕事は賞金首の悪人を捕まえたり、戦争時に軍の鉄砲玉として前線に駆り出されるのが傭兵という職業だ。
前線でしこたま敵を殺しながら、戦いが終わる迄幾度も死ぬ思いをしても雇い主からは大層な金が貰える筈も無く、二束三文の金しか貰えない。それでも何処の店で大勢の人間共に媚び諂いながら働いて貰う金よりは遥かに高い賃金だが、正規兵と比べると如何しても見劣りするものだ。
だが傭兵なんて者はごく一部の有名所以外、大抵が適当に募集すれば金を求めて勝手に集まってくる様な、いわばその場凌ぎの駒の様なものだ。正規兵よりも存在が軽んじられるのもまあ分からなくもない。
それに、あの煩わしい人間に殆ど心を許さなくて済む、そう思えば俺にとって傭兵という職は中々に天職だった。
だが傭兵業の最大の欠点として、戦争は何時も起こる訳でも無い為、傭兵という職だけでは纏まった金が稼げないのも事実であり、唯一の欠点である。
だから基本傭兵は傭兵と他の仕事を兼業している訳だが、俺の場合その兼業が財宝探しや賞金稼ぎというだけの話である。
人間と必要以上に関わらず何も失わない、そんな天職だったのだ、それだというのに・・・・・・。
そんな事を考えていると、急に頭の上に人が乗る様な感触を感じた。この身体の力を奪い尽くし、心を堕落させるような忌まわしい程柔らかい感覚、そして心地よい温かみ、この感覚はいつも慣れ親しんでいる物であった。
どうせアイツが俺の頭に身体を預けてでもいるのだろう。正直言って重く疲れる事仕方がない。そして俺の頭上から声を掛けられた。
「しっかしバッちゃんみたいなもんよー? 私って世界中の男が狂ってケダモノのようにベッドに押し倒しちゃうような絶世の美少女じゃない?そんな私が使い魔なのにこんなに毛嫌いするとか、人生の全て損してない?」
エリザがジト目で俺を睨む。
「黙っていろバケモノめ、お前は人間より遥かにタチの悪い魔族だろう。お前の口車に乗ったら今後どうなるか分かったものじゃないからな。自分で自分を可愛いとか言う奴に劣情なんざ抱くか。馬鹿」
「ぶー、つまんないのー。なんでこんな可愛い子嫌うかなー、もう」
魔族。エリザ曰く「私こそこの世で最も美しい悪魔なのよ!」等と、実にうっとおしい高笑いをしながら自慢げに話していたがこの際どうでもいい。
魔族とはこの世界に無数に存在する人とは異なる、人の姿をした異形の存在である。
姿形こそ人に似ているものの、何処か必ず人間とは異なる存在。身体構造や人では有り得ないような特殊能力、強大なる力を持つなど、この世の常識に囚われない正真正銘の人外である。
腹立たしくも今のこの社会は、魔族という忌まわしい存在無しでは上手く機能しないようになってしまった。軍事、文化、経済その他諸々、全て魔族が潜り込んでいるため、排除しようにも排除出来る魔族は精々、人を積極的に襲う様な今となっては殆ど見なくなった一部の魔族位しか討伐出来ないのがこの世界の現状だ。
全く忌々しい、このままだと人類は魔族に依存し切らないと生活出来ない様な存在になりかねない。これはもしかすると魔族の永い時を掛けた侵略ではないのか? もしそうだとするとこのままでは……。
「ストーップ! 私を置いてきぼりにしといて何独り勝手に過激な事考えてるの!?」
むう、何やら邪魔が入ったようだ。
「……また思考を読んだのか。断りも無く脳の中は覗くなと、何時も言っている筈だが?」
そう俺が内心イライラを溜めながらも注意すると、エリザは逆にそれはこっちの台詞だと言わんばかりに怒りながら文句を言いだした。
「アンタねぇ! 私を無視するのは何時もの事として、何私達の事全員悪だとか思ってんのよ!? アンタの考えてるような事してる魔族なんてもう居ないわよ! それ何年前の話よ!」
「何年も前もたった三、四百年以上前の話だろう。お前たちは寿命が人間よりも遥かに永いんだ、これ位の陰謀は考えていると思うのが普通ではないのか?」
言い伝えでは四百年前、どこかの勇者様が魔王とやらを倒し、この大陸に平和が戻った。これにより世界には平和が訪れ魔族や人間は共に和解し今の社会を創り上げた。なんでも魔族達が人類と戦っていた原因は魔王の力が大部分を占めており、魔王が倒れた事でその力が消え去り永く続いた戦いも終結したのだという。
だが、あんなに戦っていたと云われる人類と魔族が急激に和解するとは、俺にはどうやっても考えにくい。きっと何かあるに違いない、奴等は何か裏で策略を練っているに違いないのだ。
人間も魔族も信用ならない、人間も魔族もどうせ打算で動いてどうせ美味しい所で俺を裏切るに違いない。俺は信じない、絶対に信じない。信じるなら……。
「ちょっとー、又何かトリップしてるけど、またロクでも無い事考えてんじゃないでしょーねぇ?」
……また人が考え事をしている最中に割り込んでくるとは。まあ割り込まれたなら割り込まれたらで仕方がない。他の事を考える迄だ。そう考えて私はエリザに周囲の様子を聴いた。
「エリザ、どうせ今は気楽に宙に浮いているんだろう。空から周囲の様子は確認出来るか?」
そう尋ねた私に、エリザは悩むようにして答えた。
「うーん、バーっと見た感じだとかなり小さいけど街か村っぽいモノが見えなくもないよ? でもかなり遠いかもねぇー」
「目算でいい、だいたいどのくらい掛かるか分かるか?」
「そーだなぁ……、だいたいこのままの速度で行けば二,三日って所かしら」
エリザの返答を加味して俺は考える。予備の食糧は幸いにも三~四日程あるし、疲労も考えると良好だ。問題は無いと言えるだろう。
「ならば問題ないか。このまま森を進み、早めに野宿出来そうな場所を探すぞ。夜になる迄に見つけなければ……」
「でも、そんな場所が無かったらどーすんの? こんな深い森なんだから、そうそう簡単にそんな好条件な場所が見つかると思えないけど」
エリザが気怠く語りかけた。それに対して俺は当然だというかのように答える
「ふん、そうだったらそうだったでやりようはある。……適当に寝れそうな樹に寄り掛かって寝ればいい。そもそもお前は霊体になって休めば地形や寝る所になぞ困らんではないか」
「……予想はしてたけど、やっぱり行き当たりばったりで考えてのね。なんとなーく嫌な予感してたけど、予想当たっちゃったじゃないのよ」
俺の計画を聞いたエリザは凄まじく萎えたテンションになったらしい。声色もそうだが顔の方もジト目で眉間に皺を寄せ、苦虫を噛み潰したような表情になり俺に露骨なまでに呆れと非難の視線を投げかけている。
その非難の目に抗議しようとも考えたが、ふと空を見上げると無数の木々の葉の間から、うっすら覗く陽の光の角度がやや西へ沈んでいる様に思えた。どうやら雑談を繰り返している間にそれなりの時間が経っていたのかもしれない。そう思うと脳の中に沸々と焦りが浮かんでくる。
「急ぐぞエリザ」
「ん、どしたの?」
「要らん雑談で時間を無駄に潰したかもしれん。森を駆けるぞ。ロスした分の時間を潰さなければならん」
だが俺が伝えた後エリザは、空を見上げると疑問覚えたような表情をした。
「そんなに時間経ってる? 私にはそんなに時間が経ってるとは思えないけど。それに急がないといけないって程話してないでしょ」
「だが急いでも問題はあるまい。食糧的にもそれなりに余裕があるが、万が一の事があるかもしれん。余裕を持って着けるならそれに越したことはない」
「途中でトラブルに巻き込まれるよりはとっとと着いた方が良いって事?」
「まぁ、そういう事だ」
そう呟き俺は脚に手を当て、脚に脚力強化の魔法を掛ける。押し当てた手と脚の隙間から白みがかった魔力光が漏れ、脚が熱くなると同時に、強い力が漲り、じわりと染み渡る感覚を覚える。
身体強化の魔法は数ある魔法の中でも基本的な物ではあるが、汎用性が高く、何より扱うのにそれ程苦労が要らないという利点がある。脚力強化を掛けておけば今までより格段に速く森を行く事が出来るだろう。
ただし、俺自身の魔力量が並の人間よりはそれなりに多い程度なのでそれ程多用できないのが欠点でもある。内の中の魔力を空にしてしまえば途端に疲れが普通に疲れるよりも遥かに大きくなってしまう。
他の奴等よりも十二分に肉体を鍛えていると自負してるとはいえ、流石に必要以上に疲れるというのは森の中では自殺行為だからだ。そう考えながら俺は強化した脚を使い、自身が出せる全力で森の中を駆け抜けた。
「しかしバッちゃんって『人は信じないぞ!』なんて言ってる割には私の言う事は割と素直に聞くよね。大体予想付くけどどうして?」
「・・・・・・分かってるなら別に聞かんでもいいだろうに」
そういうとエリザは明るい笑顔で答えた。
「久々に聞こうかなって。たまには変わった答えかなーっと思って」
「使い魔の契約を交わせば使い魔は主人に決して逆らえん。不必要に心さえ許さなければ使い魔が裏切る事は無く、使い魔は主人が契約を解除して放さない限り契約は俺が死ぬまで続く。
どっちにしろ唯の人間を信じるよりかは幾分マシな程度だ」
「夢が無いわねー、いつも同じ答えじゃない」
「だから言っただろう。答えは変わっていない」
そうエリザから一方的に振られてくる雑談に適当に相槌を打ちながら、俺は森を駆ける。恐らくかなりの距離を稼げるに違いない。
やや傾き始めてきた陽を横目に挟みながらそう考えた。
◆ ◆ ◆
「お前が例の火傷男か、人相書き通りの醜い貌だ! 仮面でも着けた方がいいんじゃないか? 人からバケモノ扱いされるのは堪るまいて」
もうすぐ森を抜けようという所で、俺はこの馬鹿の姿を見た。何となく見覚えのある姿だ。
身体を覆う鎧は陽に照らされ銀に輝きながらも、所々に装飾の様な模様細工が施され腰に帯びた剣の柄にも同様の飾り模様が刻まれている。
見るからして金持ち貴族が自身の見栄えの為に高い金ばら撒いて作らせた物だろう。装備には傷も殆どなく、小奇麗に光っていることから殆ど使用はされていないだろう。
だが目を引くのは、その整った顔である。
顔立ちは優しげであり心優しいというオーラを発している様だった。金の髪はさらさらと風に綺麗に流れ、瞳は赤く自信に満ちた強い視線を送っている。その外見なら社交場に行けば引く手数多だろうに、この森の開けた草原だとお前の居場所が違うだろうと突っ込みたくなる。
これで多少は日に焼けたような所があるならば別だが、その肌は全く焼けていない白くまぶしい肌である。
顔を見てふと思い出した、確かこの近辺の領主であるマックイーン家の男爵の息子だった筈だ。
軍人の家系でありながら、軍事では無く書斎に引き籠って内政に務めている男。
『心優しいご子息様』
『意気地なしのお坊ちゃん』
『マックイーンの恥晒し』
等々、この近辺では有名だった筈だ。だが俺はこんな坊ちゃん相手に喧嘩を売った事も関わった事も一度も無いのだが。
「……そういうお前は、確か男爵様のお坊ちゃんかい。お供も無しにこんな辺鄙な場所に何の用だ。男爵様に可愛がられているのだろう?
とっとと家に帰って風呂に入ったらどうだ。こういう場所は似合わないのはお前も分かっているだろうに」
そう言うと坊ちゃんは自信満々で偉そうに俺に話しかけてきた。
「まあそんな事は百も承知さ。それに生憎、君の様な外道には用は無くてね、私が用があるのは君の相方の方さ。早く呼んでくれたまえ、私は彼女に逢いに来たのだからね」
この糞ガキのモヤシ野郎、俺を見下して馬鹿にしてやがる。叩き潰して即刻その鼻っ面をへし折ってやりたいが、その衝動を抑えて横の元凶だろう馬鹿悪魔に呼びかける。
「……だそうだ、ご指名らしいぞ」
『へぇ、バッちゃんじゃなくて私なんだ。というか誰だっけこの子』
「マックイーン家の三男坊だ、・・・・・・まさか男爵の息子すら骨抜きにしていたとは、相変わらず恐ろしいバケモノだなお前は、いつもいつもお前に会いに来る馬鹿な間抜け共が後を絶たんぞ、これで何度目だ」
『さぁね、それだけ私が魅力的すぎるって事でしょ?』
「お前がフラフラ彷徨い歩きやがるのが原因だろうが、それにしてもお前の様な悪女を気に入る等、この世も随分物好きが増えたもんだ。正直引くぞ」
『失礼ね! 私のどこが悪いっての!? というか少しはあの子みたいに私の魅力にちょっとは照れたり振り向いてもいいじゃないの!』
そういってエリザは胸を張り何かしら変なポージングを取り出した。しかも顔が妙に自慢げだ。……淫魔故か、顔がムカつくのにポージングも下品に見えかねぬというのに、この上なく似合っていて……正直美しく色っぽく見えるのが腹立たしい。
「淫魔悪魔に恥ずかしがる? 冗談じゃない、そんな事になったら破滅するのがオチに決まってるだろ」
『相変わらず減らず口を! 女の子の扱い悪いにも程があるわよ!』
「女の子……? 何処がだ」
『なんですってぇぇぇぇ!?』
そう悪態をついた瞬間、エリザの顔が一気に真っ赤に染まる。怒髪天を突くという奴だろうか。しかし一々叩けば響く反応をするものだ。エリザの存在は気に入らないが、こういう反応だけは面白い。
「ええい! 何を小さな声でぼそぼそと言っている、何時まで僕を待たせるんだ! 分かっているぞ、そこにあの方が居るのだな!?
私です! このルドルフシュタイン・フォン・マックイーン、また再び貴方にお逢いする為に遠く困難な道のりを越え、今ここに参りました! その御姿を今一度私にお見せくださいませ!」
怒り狂ったエリザも相当だが、コイツも一々五月蠅いガキだ。だが最近この悪魔を訪ねる馬鹿共が多すぎる。コイツの放浪癖が原因だろうが、それにしても面倒過ぎる。
しかし何故だか知らんが無性にイライラする。ここ最近の事だ、昔はこんな事など全く無かったというのに、最近この類の馬鹿共を多く見過ぎた性だろう。よく原因は理解出来ないがエリザの名前が他人から聞こえる度に妙にイライラする。それだけ最近ストレスが溜まってるのだろうか。
ストレスならば仕方ない、使い魔が厄介事を誘き寄せてくる度に誘き寄せられた馬鹿共を叩きのめす心労と疲労が、このストレスの原因に違いない。
「・・・・・・此処からお前さんの屋敷まで、そんなに道のりは険しく無いとは思うのだが」
「ふん! 貴様には関係ない事だ、早くエリザベート様を出せ!」
真面目に訂正してやったというのに何て言い草だ、またエリザベートの名前を聞いた、イライラする。
「・・・・・・よく見慣れているが、何時もながら随分と熱烈なラブコールが掛かってるじゃないか。早く答えてやったらどうだ、エリザベート様?」
『めんどくさいなぁー・・・・・・』
エリザベートは言葉の通り、心底やる気の無い声で返答した。
「面倒臭いも糞もあるか。そもそもお前が女の勲章なんて意味不明な理由で、不必要に人前で姿を見せた
りするからこうなるんだ、自業自得だ。とっとその女の勲章って奴を見せてやれ、正直あの坊ちゃんが五月蠅くて堪らん」
そう答えると、声のトーンを変えずにエリザは諦めたように了承した。
『はいはい、分かりましたー分かりましたよー、姿出してテキトーにあしらえばいいんでしょー』
やる気の皆無な声と同時に、エリザベートのその絶世の美貌がうっすらと空中に現れ、そして完全な実体として現れた。その美しい美貌は無気力という言葉がピッタリと合うような顔だった。
「私に何か用かしら、えーっと・・・・・・ルドルフ様?」
「おお、エリザベート様! このルドルフ、再びお逢い出来る事を心からお待ちしておりました。ぜひともあの時のお返事を!」
お目当ての相手に出会えたのが原因なのか、ルドルフのテンションはさっきのふてぶてしい態度とは一転して凄まじいまでに上がっている。恋は盲目という言葉があるが、コイツの今の状態は正にそれであっ
た。しかし奴の言葉に、どうしても気になる一言があった。
「あの時の返事とは何だ?」
全く以って初耳である。もしや又もや厄介事を連れてきたのかこの悪魔。
「あの時の返事? あの時の……、あの時の……、あー、もしかしてアレかなぁ……?」
当の本人はその事を今まで完全に忘れていたようだ。
遂に痴呆症でも始まったかと思ったが、この顔を見るとただ興味が無くて忘れていただけに違いない。興味の無い事には殆ど興味を示さないエリザの事だ、多分間違いあるまい。
「あの後すぐ貴方は消え去ってしまいましたが、貴方と出逢って今日までの数年間、ただひたすら貴方を探し続けました。
今日この日の為、我が家の財力を注ぎ込み、地位も名誉も捨て、ただひたすら貴方に逢うが為に探し続け、遂に今日この時、お逢いする事が出来たのです!」
おい、俺はそんな事この馬鹿淫魔から一言も聞いたことないぞ。どういう事だ。
「ほう、そんな話は初めて聞いたな。詳しく聞かせて貰おうじゃないか。こんな疫病神の馬鹿息子なぞ引き寄せやがって」
途端にエリザの眼がせわしなく動き、顔から汗が滝のように流れる。おい、やっぱり自覚アリかテメェ。
「えーっと……、確か数年前だったかなぁ。バッちゃんと街に寄った時、暇つぶしにぶらぶら歩いてた時に会った事があるのよ。ギラギラしたかなり豪華な服着てたし、多分合ってる筈よ。それで向こうから話しかけてきたからテキトーに話をして別れて・・・・・・」
「今に至る、か」
正直溜息が止められない。やっぱりこいつが全ての元凶なんじゃあないか……?
「あの時、私は貴方に対し今まで感じた事のない強烈な感動を受けた。身も心も業火に焼かれるかの如く熱く、そして心が引き裂かれるような感覚・・・・・・、この例え様の無い衝撃、これこそ恋なのだと! だから私はこの感覚を・・・・・・」
ルドルフは、こっちの話にも気づかず、満面の笑みで酔ってるかのようにスラスラ話し続けている。エリザに逢えた事の喜びと、エリザへのアピールも兼ねているのだろうが、正直傍から見たら暑苦しいだけである。
「重症だな、どうするんだコイツ」
「私に聞かないでよ……。こういう子ってめんどくさいし」
ぼそりと最後の言葉がかろうじて聞こえた。元は自分の行いが原因だろうに何て言い草だ、責任を取れと言いたいが恐らく従うまい。
コイツは自由気ままな一面がある。契約による強制力で無理矢理やらせてもいいが、その後に自分にどんな災厄が降りかかるか分からない。逆に収める所か更にややこしい状態を造りかねない。
仕方なくはあるが没としよう、それに厄介事は自分の手で片づけた方が心配が無い。
しかし何故かコイツがエリザを語る度に、落ち着かないしイライラが積もっていく、何という不快感だ、こんなのは生まれて初めて体験する。コイツの事よりもまずは、この不快感をどう処理するべきか考えなければならない。
そう思っていたのに目の前の奴が更にイライラを増やしていく。コイツは何だ、叩き潰されたいのか。
「話を聞くと、何でもそこの薄汚い男の使い魔にされているというでは無いですか。貴方の様な可憐な御方がそのような男に付き従う必要も無い、かといって僕が傭兵や冒険者などという職になるというもまた論外、ならばどうするかは貴様でももう分かるな?」
「……俺を殺して、契約を解除させる気か」
「その通り! 契約の解除法は使い魔自身を主が捨てるか、その使い魔の主が死ぬ事。貴様さえ居なくなればエリザベートさんは、傭兵も使い魔も汚い仕事もしなくて済むんだ。
それになにより、貴様と可憐なエリザベートさんが一緒に行動し、尚且つ貴様に扱き使われるその姿自体が私には耐えられないのだよ。愛しい人を赤の他人に扱き使われて腹の立たない人間など居ないからな!」
確かに使い魔契約の解除はそういった方法が一般的だ。遥か昔には使い魔自身が力づくで契約を破壊したという事例もあったらしいが、それは遥か過去の話でしかない。使い魔の契約を打ち砕くような魔族や魔物、それはもう神代か大魔族クラスの者しかいないだろう。
もし仮に破ろうとしても、それには凄まじく大量の魔力と時間がかかる、そんな事をすれば一般人でも一瞬で分かってしまう位大がかりな準備が契約破りには必要なのだ。
つまり今の時代において、使い魔が自力で契約を破るという事は不可能というのは、この世界では常識だというのが今の考え方である。それにしても魔族と結婚とは久しぶりにそんな馬鹿を見た気がする。
「悪魔と結婚するだと? 気は確かかお坊ちゃん?」
「正気も何も、今時魔族と人間が付き合い結婚するなんて光景はそう珍しくもあるまい、貴族でも異種族での貴族の夫婦はよく居るのだからね」
「コイツ、いやそもそも魔族なんぞを妻にするなど、正直俺には吐き気がするがな」
俺の忠告もこの坊ちゃんは聞き入れてはくれないようだ。全くこの男を見ると、魔族の色気に惚け切った人間と言うのは実に愚かだと心から思う。
「貴様ぁ……。薄汚い口で、私の将来の恋人を罵るかハイエナめ!」
俺の言葉に逆上したのか、眼前のルドルフは端正な顔を憤怒に歪め、あからさまに俺に向けて殺気を送っている。素直に忠告してやったというのになんという奴だ。しかも何時の間にか恋人にまで飛躍している。これが恋する青年の情熱というものなのか。理解などしたくもないが。
腹が立つし、こうなれば徹底的に挑発でも何でもしてやろうじゃあないか。どうせコイツの性でさっきからイライラしていたんだ。その鬱憤も兼ねて、その喧嘩を買ってやる。そう考えると自然と身体が熱くなり、気分が高揚してくるようだ。
「もう魔族を恋人呼ばわりとは、気が早いにも程があるぞ」
「黙れ! 貴様を倒し、エリザベートさんを助け出してみせる!」
ああ腹が立つ。自然と額の血管がピクピクと蠢く感覚が鮮明に感じる。こんな言葉は耳が腐る程聞いたのに、今まで何も感じなかったのに、今日は何でこんなにイライラするのか分からない。
……まさか、俺がエリザに執着しているとでもいうのか?
……有り得ない、そんな事は有り得ない、アレは唯の下僕、使い魔、役立つだけの道具な筈だ。そんなモノに俺は執着しているとでもいうのか、信頼し、心を寄せているとでもいうのか。有り得ない、絶対に気の間違いだ。
「その口、二度と開けない様にしてくれる! この外道が、決闘だ! エリザベートさんを僕に引き渡して貰うぞ!」
その言葉を切っ掛けとして決闘が始まった。
ああ、やっとこの訳のわからない感情から逃れられるんだ。徹底的にぶちのめせばそんな感情も消し飛ぶだろう。そう思うと自然と口角が吊り上りそうになる、相手は只ひたすら怒り狂っていて気が付がついていないようだが。
「うおぉぉぉぉぉぉぉ!!」
そう大きな雄叫びを挙げ、ルドルフが剣を構えて突撃してくる。他人から見れば俺とルドルフとエリザの関係は、まるで美しい姫を攫った悪魔を倒そうとする、勇ましい勇者様にでも見えるかもしれない。豪華な武具を構えた姿が一層その構図を目立たせる。
だが俺から見るとそんな姿は正直滑稽にしか見えなかった。勇猛そうな瞳もよく覗けば不安と恐れが蠢き淀んだ瞳ではないか、きっと命がけの戦いなんて初めてなのだろうこの坊ちゃんは。戦いも初めてでどうせ筋トレだとか剣の訓練だとか、そんな練習ばっかりで命のやり取りは初めてだろう。傷を負い土に塗れ泥水を啜り、戦場に出た事も戦闘で恐怖の余り、小便を洩らしたり脱糞した事すら無いに違いない。そんな初心者なぞに敗れる筈も無い。
「ハアッ!」
盛大な声を挙げて、逆上したルドルフが剣を力強く振るう。風を切って振るわれる剣を見る、それなりに速かったのには驚いた。ヒョロヒョロの坊ちゃんと思っていたがそうでも無かったらしい。
「食らうか、そんな見え見えの攻撃」
そう言って腰に帯刀した片刃の斧を使い、襲いくる一撃を受け止める。だがルドルフは受け止められた事もあるのだろうか、俺の呟いた言葉に対し更に逆上したようだ。
「なっ、馬鹿にして! うおおおおおおおおっ!」
その言葉と同時に攻撃のスピードが上がる。綺麗に軌道を描いていた剣はまるで荒々しく、連続で振るわれる様になった。同時に今まで受けていた衝撃も上がり、受ける度に鈍い衝撃が連続で斧に当たり、腕に痺れる感触が伝わってくる。そうとう怒りの沸点が低かったのだろう。
凄まじい猛攻ではあるが、その攻撃は逆上したせいで殆どがむしゃらに近かった。結果一撃一撃は重く手数も増えたが、体力やスタミナもそれに比例して大量に消費していた。結果攻撃を捌き続けていると、勢いも遅くなっている。
それなりに訓練はしてるみたいだが、太刀筋丸わかりな上に元々が貴族の坊ちゃんだ、もう息が上がりすぎている。
「隙がありすぎるな、流石貴族のお坊ちゃま」
「う、うるさい・・・・・・!」
俺の言葉に反論した瞬間、ルドルフの身体がガクッとグラついた。我を忘れてがむしゃらに猛攻した代償だろう。その隙を突き、ふらついたルドルフに全力を以って斧を叩きつける。グシャリと鎧から鈍い音がすると同時に、ルドルフは呻き声を挙げながら吹き飛んでいく。
「ぐえっ・・・・・!」
斧の衝撃で、まるでボールが跳ねるようにルドルフの身体が転がっていく。この際徹底的に叩いておこう、後々逆恨みされると面倒だ。ルドルフには悪いとは思うが、俺に喧嘩を売ったコイツが全部悪い。
一撃が叩き込まれたルドルフの鎧を掴んで持ち上げ一気に拳を顔面に叩き込み、すかさず斧を腹部に叩き付ける。ルドルフは顔面に直撃した拳によって、鼻と口から血が噴き出て悶絶していた。
「ぐおっ、がぎっっ・・・・・・」
倒れ込もうとするルドルフにすかさず膝蹴りを叩き込む、蹴りの衝撃で身体が浮かび上がり、更に顔が苦悶に歪みきっていた。もう剣も取り落としていたようだが知った事か。続けざまに顔や身体に拳や蹴り、斧による一撃を入れ続ける。ルドルフの身を守っていた鎧はダメージに耐え切れず所々ひび割れ、もう鎧としての機能も失いかかっていた。きっと鎧の構造が脆い安物だったのかもしれない、デザインなんかを重視するからこうなるのだ。防具にデザインなんて求めるなんて馬鹿のする事だ。鎧なんてただ頑丈で、出来れば軽い物が良いというのに。半端物を掴まされた、その点だけは同情するとしよう。
だが同情と手加減は別だ、自分の事では無いので気に掛ける必要も無い。そのまま気にする事無く続行しよう。
「ひっ、ぐぎゃっ……! おごぁぁぁぁ……!」
何か呻き声が聞こえるが気にしない。そのまま戦いを続行する。
「何でこんな……が、ぐああああああ!」
殴る、蹴る、殴る蹴る叩きつける、そして適度に締め上げる、これを死なぬ程度に与え続けた。ああそうだ、手の指も折っておこう。反抗は出来なくなるし効果的だ、だが相手は家を飛び出したとはいえ貴族の子供だ、利き手は可哀想だからな、反対の左指にしよう。街の神父辺りに頼めばそれなりに治るだろう、何て俺は慈悲深いのだろう。では早速取り掛かろう。
「い……痛いぃぃ……も、もう止め……」
そう世迷い事を呟き、大粒の涙を流して悶え苦しむ足元のガキの髪を引っ張り上げる。
「喧嘩を売ってきたのはそっちだろうに。何、もうすぐ終わる。特別サービスだ。最後に左手の骨を砕いて終わりにしてやるさ」
「そ、そんなぁ……」
顔が絶望に染まっている。いい気味だ、ならばもう一押しトラウマを刻んでやろう。ルドルフの身体を俺の足元に落とし、手斧をルドルフの左手目がけて構える。右の足でルドルフの背を踏み付け逃げられない様にするのも忘れない。それに刃の無い方を向けておけば、そうそう死ぬ事も無い、なんと安全なのだろうか。激痛の余り悶え苦しむ事位はあるだろうが、そんな事は細かい事である。俺が気にする必要は無い。
「ま、まさか……や、やめろ! やめてくれ……!」
足元で助けを求めるルドルフの視線と顔を無視して、私は手に持った斧の刃の無い部分を思い切り左の手の甲目がけて叩きつけた。
鈍く、そして肉と骨が潰れ砕けるような、独特の柔らかい感触がしっかりと手に伝わってくる。もう数度斧を叩き付けるていると、足元のルドルフが何か喚いているが気にはしない。
「ぎ、ぎいいいいいやああああああああああああああ!! ぼっ僕の、僕の手がああああああああ!?」
醜くギャアギャアのたうち回る音と声が聞こえる。だが未だ足りない、もっとだ、もっと叩き潰さなくては。気を抜けば、手を抜けば次にやられるのはこっちの方だ。
人間程、約束というものを信用出来ない種族は存在しない。敵に情けを掛けてしまえばその後憎悪と怨念を持って殺しに来る。味方に無駄に心を許せば、その隙を突いて味方が裏切り者となって刺し殺そうと襲い掛かる。他者に情けを掛けてしまえば相手は調子に乗って約束を忘れ、再びまた襲ってくるのだ。
昔の如く集団で囲み、殴り、蹴り、罵倒し、肉体を焼く。それが人間だ。それがヒトだ。それが心を持つ存在の本性だ。昔の様に情を持てば、情をかければそいつは馬鹿を見て、どんな者であろうと唯の大間抜けとなる。遥か昔俺が敵に情けを掛けた結果、その後徒党を引き連れて襲撃され、生きながら貌を焼かれたように。
情などかけてはならない、倒した敵は徹底的に精神を、肉体を、叩き潰した相手の全てを壊さなくてはならないのだ。今までと同じ様にしなければならない。そうしなければ殺られるのはこっちの方だ。
もう少しだ、もう少し痛めつければ二度と襲い掛かる事も無くなるだろう。次は何処にするべきか、肋骨を砕き、より肉体と心に傷を与えてその後は……。
「ちょっとー? 今回はちょっとやり過ぎじゃない? 怒りに身を任せるのは何時もの事だけどさぁ」
……邪魔が入りやがった。今からが最も肝心だというのに。
「何処がやり過ぎだというのだ。まだ利き腕は壊していないし脚もへし折って無い、何時もよりは遥かに上等ではあると思うが」
そう至極当然の事を伝えると、エリザは呆れたようであった。
「……何時も言ってるけどさぁ、頭の中に入ってる? 喧嘩を買うのは良いけどここまでやる事は無いでしょ、ちょっとは落ち着きなさいよ」
エリザの視線がこっちに向かって投げられる。まるでこっちが悪いみたいではないか、訳が分からない。そう思ってるとエリザはその考えを読み取ったようであった。
「相手だって何時もの傭兵や冒険者相手じゃないし、それにまだこの子二十にもなってないんだしさぁ……」
「歳も糞も関係あるか、喧嘩を売ってきたコイツの責任だ。俺は悪くなどない」
「でもこのままやっちゃうと男爵に真っ向から喧嘩売る事になるわ、それだとちょっと拙いのよ。アンタ唯でさえ色々目を付けられてんのに・・・・・・」
「知るか、その時はその時だ。何であろうと買ってやるさ」
「『知るか』で済んだら世の中苦労しない! 傭兵なら兎も角、この坊やは男爵の子息よ? 「だから少し手加減して・・・・・・」 何処がよ!? もしこれ以上やったら私達は指名手配、延々と追っ手に追われて金を稼ぐ事すらも出来なくなる。アンタそうなると、傭兵仕事も賞金稼ぎも何もかも出来なくなるわよ。それに追手ももわーんさかゾロゾロ。
……将来と個人的感情、どっち選ぶかは、流石にバックスでも分かるわよね?」
……まぁ、確かにコイツの言っている事は正論だ。貴族を怒らせればその面倒は今よりも更に跳ね上がるだろう。父親や家族が私兵を率いて復讐に来るという可能性が浮かび上がる。そうなれば貴族の狗に追われ続ける逃亡生活の始まりだ、賞金稼ぎの報酬も受け取れなくなる可能性もある。傭兵稼業すら不可能になるかもしれない。
だが、見逃すのか? 見逃してしまえばコイツも昔の様に俺に復讐しに襲ってくるかもしれない。どうするべきか、何故か何時の間にかこの男を見逃すか続けるかの二者択一を迫られている、どうしてこんな面倒な事態になったんだ・・・・・・。
「……」
「バックス?」
「うるさい! チッ、言われずとも分かっている!」
悩んでいる俺に、エリザは咎める様な視線を送ってくる。
畜生……何でこんなに悩まなければならないんだ。何時もならコイツも何も言わないというのに、何故今日に限ってこれ程悩まねばならないのだ。
……妥協か続行かを、こんなに悩むのは何時以来だろうか。
「・・・・・・ちっ、仕方がない」
結果十分近く悩み続け、結局俺は打算を選ぶ事になった。無残になった足元のルドルフの姿を見て腹立たしさが収まったのもあるが、やはりコイツを見逃しておいた方が後々楽になるだろうと思ったからだ。
タイマンでならは上手く立ち回ればどうにかなるかもしれんが、軍という圧倒的な数の前では個人など無力だ。横でフワフワ呑気に浮いてやがる使い魔も、そんな状況に陥れば役には立たない。ならばこの後裏切ってくるという可能性も捨てきれないが、ここは見逃すしかなかった、口止めはしておくが。
「とっとと起きろ屑が」
そう言って足元で気絶しているルドルフの腹を蹴りこみ、無理矢理眼を醒まさせる。
「ごほっ!」
咳き込む音の後、ルドルフは眼を醒ました。取りあえずこの事の口封じをしなければならない。胸ぐらを掴み上げて無理矢理地面から起こす。
「……おい、馬鹿息子」
「は、はははははいぃぃ!」
そう返事をしたルドルフは顔面蒼白でガタガタと震え、眼からはさっき迄の強い意志の光も消えて酷く怯えきっていた。あれ程痛めつけてやったんだ、こうなってくれないと、さっき迄やってた事が時間の無駄になってしまう所だった。
「……今回ばかりは見逃してやる、とっとと失せろ。その位の傷なら、髙い金払って教会にでも駆けこめば治るだろう。二度とその面を見せるなよ」
「わ、分かり……まし……た」
胸ぐらを引っ張り上げて締め上げつつ、ルドルフを脅しておく。青ざめていたルドルフの顔は更に蒼白となり、最早完全に白くなっていた。
ルドルフにとって俺という存在は、完全にトラウマになっているようだ。眼に強い媚の視線を持たせ、頭を引きちぎれるかのように上下に振り続けている。いい気味だと心の中で呟いた。
「とっとと行くぞ。本当に無駄な時間を過ごしたもんだ」
掴み上げたルドルフを地面に適当に投げ捨て、街へと向かうルートを進む。だが急に背中にエリザのしだれかかる感覚が感じると同時にどこか嬉しそうにした声が耳元で囁かれる。
……正直嬉しそうにする理由が分からんが、気にする事のものでも無いだろう。魔族の考えてる事なんて人間如きが理解出来る訳も無い、理解しようとも思わないが。
「でも大丈夫なのぉ? 言いだしっぺの私が言うのも何だけど、男爵様に告げ口とかするんじゃないの」
「その心配は無い、大概の貴族というのはプライドや見栄を何より重視する馬鹿ばかりだ。
特にルドルフの実家は腐っても軍人の家系。プライドも恥も無く親に告げ口するなんて恐らくするまい、したとしても親から『唯の傭兵に無様に敗北するとは何事だ!』と言われて逆に坊ちゃんにとって地獄の軍隊行きか、最悪家を追い出されるだろうさ」
「ふーん、貴族ってのも楽じゃないわねぇ」
エリザは疲れかけた顔でそうぼやいた。
「全くだ、貴族になんかなるよりは傭兵の方が楽なもんだ」
「あははは! バッちゃん如きが、貴族になれる訳ないじゃない」
馬鹿にしやがって、何がそんなに可笑しいんだ。
「……唯の言葉の綾みたいなものだろうに」
「わかってるわよ、そんな事」
そういってエリザは笑顔で笑っている。どうやらからかわれていたらしい、つまり俺は手玉に取られた訳だ。こんな悪魔に手玉に取られるなど今日は散々だ、こういう時はとっとと宿で酒を飲んで寝るに限る。
「……とっとと街まで行くぞ。簡単な宿でさっさと休みたいんだ」
「あっ、ちょっとやる事あるから先行っててー」
エリザの急な一声に一抹の不安が生まれる。またもや厄介事が来るのではないかと不安になるが、その内容を追及するよりも、まずはとっとと宿に行きたいというのが今の気持ちだった。もう何もかも疲れて只々面倒臭いというのが大きい。
だが一応忠告だけでもかけておかなければならない、聞くかどうかは知らないが。
「また厄介ごとじゃあるまいな……」
「違うわよー、まっ、私には気にせず先に先に」
そう言って無駄に清々しい笑顔で手で払うようなジェスチャーをしている。正直ウザい。
「……分かった、何でもいいからやってこい。もうとっとと休みたいもんだ」
「はいはい、じゃあまた宿でね」
何とも適当な答えだ。何時もながらコイツの適当さはどうにかならないのかと少し考えて……止めた。
どうせ言ってもそう対して変わるまい。魔族の寿命は永い。このいい加減さやだらしなさも、恐らく種族の特徴なのだろう。全く面倒な種族だと心からそう思った。
「もしかしたら、明日には何処にも居なくなってるかもしれんなぁ」
「ははは、何を言うかと思えば。私とバッちゃんは契約で繋がってるんだから、どこにバッちゃんが居るかなんてすぐに分かるわよ」
チッ、皮肉すら通じないのか。あの忌々しい笑顔がどうにも心に残る。……最近はこんな事はなかったというのに。
「俺にプライバシーというものは無いのか」
「ある訳無いじゃん、バッちゃんにそんな上等なモノなんてさ」
エリザはやけに清々しい笑顔で返答してきた。本来使い魔の探知は主人から使い魔が逃げ出すのを防止する役割の筈なのだが、エリザはちゃっかりその機能を逆に利用している節がある。
前にエリザの鼻を明かしてやろうと何も告げずにエリザの元を離れた時も、ふと気が付くと何時の間にかエリザが傍に居た時もあった、それから何度も同じ事をやってみたが悉く振り切れなかった上に、その後は何故か頑なに俺の元を離れようとしなくなり、無駄に暑苦しくくっ付いてくる面倒臭さに辟易した俺は、もうそういった事をやる事は無くなった。
それに気のせいか、偶に俺がコイツに終始手玉に取られている様な感覚に陥る。もしかしたら悪魔には俺の知らない能力でも備わっているのだろうか。明日にでも問いただしておくのもいいかもしれない。全く今日は謎の苛立ちといいあの貴族の坊ちゃんといい散々な一日だったと言える。
もう今日はさっさと宿を探そう、発掘したモノの換金はまた明日だ。
「……宿を探しておく。用事が終わったらとっとと来い」
「あら珍しい、バッちゃんがそういうのを教えてくれるなんて」
エリザが信じられないといった視線で俺を見てくる。何だ、こんな事を言って悪いのか。
「今日は疲れてめんどくさいだけだ。とっとと用事でも何でも済ませて来い、厄介事だけは持ってくるなよ? もう今日は何もかも疲れた」
溜息交じりにそう言うと、エリザは妙に気を使ったような口調で返事をした。コイツが気を使うなんて想像は出来んが。
「大丈夫、すぐに終わるわ。どうせ片手間な用事だしね」
「そうか、だが面倒事は起こすなよ? お前はトラブルメーカーなんだからな」
「私を心配してくれるの? もしかして遂に私の魅力に……!」
「そんな事は永遠に無いから安心しろ。とっとと行け」
「ムッキー! また減らず口をー!!」
何時もの戯言を適当に返答したが、その返答にエリザは不機嫌になったようだ。だがこんなやり取りは何時もの事であり、エリザもそれ程真に受けていなかった。俺としては正直真に受けてもらった方が、コイツの落ち込む姿も見れて面白かったのだが。
「ちぇっ、まだ私の魅力に気が付かないの?」
「誰が気付くかそんなもの」
「なら気づくまで憑りついてあげるわ。永遠にね」
「ふん、途中で誰かにでも滅されてしまえ。淫売め」
「あら、悪魔の私に淫売だなんて……。嬉しい、私に褒め言葉をくれるなんて久しぶりだわ!」
……罵倒した筈なのに何故か恍惚としながら悶えてきゃっきゃと飛び跳ねている。
偶に思うが、コイツの感性だけは理解出来ない。罵倒したというのにこうなるとは、被虐癖でも持っているのだろうか。魔族の趣味趣向などは知らないが、きっと魔族は変態ばかりなのだろう。突っ込むのも優しさかもしれんが、下手に突っ込んで余計な厄介事が起きるというのは目も当てられない。故に此処はスルーしておくのが最良の選択だろう。
「……なら私も、この間に後始末するとしますかね」
何かエリザがボソっと呟いたようだがよく聞こえない、いやそれよりもまずは宿だ。宿を見つけねば話にならない。今頃なら宿も空いている所も多いだろうと思いつつ、方向を街に定めて歩き出す。此処からなら街まで歩いても二~三時間といった所だ、ギリギリ夜になる前に着くことが出来るだろう。そう見積もりを経て、街への歩を進めていく。
明日がどうなるかは分からないが、明日なんてものは明日決めればいいのだ。取り敢えず今は宿に泊まりたかった。その思いを以って街へと向かっていく。夜が近いせいか、吹きこむ風が妙に寒く感じられた。
◆ ◆ ◆
「はぁ……、はあ……、な、何で、何でこんな……事に……」
全く話が違う、何で僕はこんな事になってるんだと切に思いながら、持ってきた剣を杖代わりにボロボロになった身体を引き摺って森を彷徨っていた。
「話が、話が違うじゃないか……、こんな事になるなんて、聞いてない……!」
あの時の話した内容では、あの男は契約を解除してエリザベートさんと別れるんじゃなかったのか?
アレではまるで、僕がエリザベートさんを奪い取りに来た悪党では無いか。そんなつもりは無かった。確かにあの男に馬鹿にされた時は、酷く腹立たしくてうっかり逆上してしまったが、本来は穏便に解決する気はあったのだ。僕が聞いた話の立場とは全く逆だ、僕は一体・・・・・・。
思考の渦に囚われていると、木の上からあの美しい声が聞こえてきた。僕のずっと愛しく思っていたあの声が。
「ル・ド・ル・フ・さ・ま♡ お身体の方は大丈夫?」
そう言いながら、夜の月をバックに姿を現したエリザベートは酷く上機嫌だった。まるで恋する乙女が告白を叶えた様な、欲情し切っている娼婦の様な、そんなあべこべの様で矛盾しているのに全く矛盾していない、誰が見ようとも美しいと思えるような姿だった。
「エ、エリ……ザ……。こ、これは……どういう事だい? 話と全然違うじゃないか……! ぼ、僕は君が
『あの男に話を付けてあるわ。後は愛しい貴方が私を迎えに来てくれるだけ。もうあんな男と一緒に居るだけで耐えられないの、早く助けて!』
と泣きながら訪ねて来たからその通りに迎えに来たのに、全く立場が違うじゃないか……。ま、まるで僕があの男を殺しに来た殺し屋の様なものだったぞ!?」
半年前の話だ、宮殿の自室で姿を現したエリザベートさんは涙ながらに僕の元に飛び込んできた。何でも『あの男の横暴に耐えられない、早く私をあの火傷男の手から助け出してほしい』
そう言ったから僕は家来を使ってあの男の居場所を探し出し、遂に見つけ出したから向かったのだ。彼女に頼まれた通り、一人で来たし彼女を迎える用意もした。武具も彼女と並んでも見劣りしない様な物を選んだ、それなのにどうしてこうなったのか全く理解出来なかった。だが彼女の言葉は、僕の想像を超えたものだったのだ。
「あー、アレかぁ。実はアレ……嘘なの」
「う、う……そ……?」
嘘……だって? そんな馬鹿な事が……。
「そ、ウ・ソ。 昔から言うでしょ? 涙と身体は女の武器だって。そもそも私か、大好きなあの人の傍を離れて他の奴の所に行く訳ないじゃない。まぁ暇つぶしに離れた所に遊びに行くこと位は偶にあるけどさぁ」
「なにを、言って……」
「今回位は成功するかと思ったんだけどなー。バックスってば、全く何時もと変わらないんだから。今度こそは私を守ってくれると思ったんだけど失敗だったかなぁ……。
このパターンやり過ぎて、こういう状態に慣れ切っちゃったのかなぁ。でも最初の頃よりはマシになってたから良しとするか」
そう僕の前では一切無かった、それこそ歓喜に満ち満ちた美声を発し、美しい瞳に凝り固まった愛欲と狂気を漲らせたエリザ、否、悪魔エリザベートがそこに居た。
「生きてるモノ全部に疑心暗鬼になって、何物も受け入れず拒絶して、全ての生物に怯えきってる。お陰で私を含めた何もかもを拒絶するんだもん、こんなに私は貴方を愛してるのに拒絶しちゃうんだから。
バックスのヘタレ、臆病者、ニブチン。……だけどまぁまぁ、そこが大好きで堪らなくそそるんだ・け・ど♡」
しかめっ面かと思えば不満顔、不満だけかと思ったら逆に笑顔やにやけ面がコロコロ現れる。百面相とはこのことか。
「な、な……」
「あら、まだ居たの。もうとっととくたばってるか街に逃げ帰ってると思ってたわ、とっととウチ帰りなさいな。目障りだわ」
身悶えと百面相を繰り返す彼女からふと投げかけられる視線は、まるで僕が虫や塵芥としか見ていない。無感情な氷の表情と視線だった。
「成功って……どういうことだエリザベート!」
「……いい加減にその薄汚い口で私の名を呼ぶな、生贄風情が」
その言葉と同時に顔面に、長く美しい脚から強烈な蹴りの一撃が叩き込まれた。
「私の名前を呼んでいいのは、私のこの世で最も愛しき人にして主、バックス・ミドラー様、ただ一人しかいないのに」
何もかも理解出来ないまま、僕は大きく宙を舞う。歯と鼻の折れる感触と激痛を味わいながら、地面に落ちた僕は絶叫した。
「~~~~~~!!??」
「たかが歯が砕けて鼻がへし折れた程度で何て無様、バックスならそうやって苦しみ悶える姿も愛おしい
けど、他の塵がやってると吐き気しかしないわ……ホント、醜い姿」
吐き捨てる様に眉間に皺を寄せ、心底嫌なそうな顔で僕を見下している。その声は余りにも感情の抜け落ちた、まさしく氷の様に凍りついた声だった。
あまりの豹変に、僕の思考は全く定まる事は無かった。
『ど、どういうことだ!? 君は・・・・・・僕が好きだったんじゃなかったのか!?』
「モゴモゴモゴモゴ喧しいわね・・・・」
すると虫を見る様な眼でいきなり僕の腹を蹴り込んだ。その衝撃で僕は何も無くなった胃から胃液や血といった液体を垂れ流しながら更に吹っ飛ぶ。
「ゲボッ!う、うう、ああああ……」
「ああそうか、もしかしてあんな嘘を、そっくりそのまま信じちゃったんだ君。残念だったわねぇ」
あはははは! とまるでとびっきりの喜劇を見たかの様に、エリザベートは宙に浮かびながら笑い転げていた。もう何が何だか分からない。何が本当なのか嘘なのか。何なのだこれは。大がかりな芝居ならまだいい。だがこの空気はどう考えても芝居ではありえないリアリティを確実に伝えてくる。
「どうせなら冥土の土産に教えてあげるわ。あなたはね、ただの生贄なのよ。バックスを私の方へと振り向かせる為の」
その言葉を聞いた瞬間、私の心のナニカが大きく崩れ落ちる音を、私は確かに耳にした。
「暇つぶしに使い魔に成りすまして人間界に現れた時バックスと出会った瞬間一目惚れした私は、暗示を掛けて契約するように仕向け、契約後は徹底的に誘惑したわ。身体を密着させるみたいなアピールは当然として、ベットの中に潜り込んで密着したり、寝ている時の夢に私との幸せな将来の夢を見せたりと色々ね。
だけど過去のトラウマで精神がイカレちゃって、誰も彼も信じなくなってたバックスは、どんな事をされても、心が揺れこそすれ、決して私に振り向く事は無かった。
悲しかったわ、本当に辛かった。裏切る筈がないのにすぐ私に疑心感持つもんだから一々暗示欠けてそういう思いを考えないように仕向けなきゃいけないから大変だし……。
一時は振り向かないのなら、彼を殺して私も死のうと思った。無理矢理押し倒して快楽を以って堕とそうとも思った。彼が絶対だなんて思ってる使い魔の契約も、私がやろうと思えば片手間で破れるわよ。それなりに強い契約だけど、私には児戯でしかないもの。彼は気づいていないけどね。
ああ、契約は絶対、逆らう事なんて出来ない。そんな不確かで浅はかな思い込みをしてる愚かな彼も可愛いなぁ、もう、最っ高……っ!」
恋する思春期の少女の様にその可憐な美貌を真っ赤にしてくねくねと
悶えている姿は嫌に扇情的で、あの男がさっき言ったように悍ましかった。
「ああ、話が逸れたわね。殺す事も押し倒す事も、それを確実に実行出来る機会もあった、幾度もあったわ。だけど出来なかった、そんな事をしても、本当に彼が心から私を受け入れたとは到底言えないもの。
私を心の底から愛して、何もかも私に預けて、そして私という存在に依存し切ってくれる。それこそが真実の愛、そんな愛を求めたからこそ、強引な手段なんて使えなかったのに、彼は一向に振り向いてくれなかった・・・・・・」
「そうして考え続けた結果、一つの手段を思いついた。そう、それがアンタに言った生贄って奴よ」
エリザベートはビシッと伸ばした人差し指を私に向けた。
「人間がよく言うでしょ、押してダメなら引いてみろって奴よ。
私がどの位誘惑しても動かないなら、逆に私がいなくなってしまう事を想像させて『居なくなったら困る』という私への執着心を心に刻み、強烈な猜疑心という彼の心の外殻に亀裂を与え、その亀裂を通じて私の魅力を自覚させればいい。
そうと決まれば後はかーんたん。適当に強そうな馬鹿共を誘惑してバックスの元に引き寄せ、負けると私が居なくなるという状況を作り出すって訳。
バックス以外の男を誘惑するなんて心の底から反吐が出たけど、これも私とバックスの愛の巣を創る為の試練と思えば幾らでも乗り越えられた!
まあ、最初の方はただ誘き寄せた男共をうっとおしがって倒してただけみたいだけど、今日なんて一瞬だけど、私の事を気にかけてくれるようになった、あの他人を信じる事に人一倍臆病なバックスが! 私の事を! ほんの一瞬でも私を大事だと思ってくれた! これだけでも、あの反吐の出る思いをしただけの事があった!
ク……クク……ククク……アハハハハハハハハハハハ!!」
心がガラガラと、砕け崩れる実感を私は得た。
「そんな……じゃあ、僕の今までの事は・・・・・・全部・・・・・・」
嫌だ、もう聞きたくない。聞きたくなどないのに。そう思っても目の前のエリザベートは遠慮などしてはくれなかった。
エリザは僕の背中にしだれかかる様にして、後ろからまるで堕落させるように、狩人が哀れな獲物に執拗に追い打ちをかける様に耳元で聞き逃さないよう囁きかける。
「そう、全部無駄。貴方は唯のバックスの為の名もなき当て馬。私の恋の為の尊い人柱、純真な上に能力が皆無、軍人家系の貴族様だから無駄にプライドも高い、故意に盲目な馬鹿な人。……ホントに扱い易かった。
今まで私達の恋愛成就の為のお仕事、ご苦労様でした。ルドルフ様」
耳元で囁かれるその声は、聞く人の心を蕩かす綺麗な声で、誰もが振り向くであろう絶世の美貌に、悪意とあの男への愛欲に満ちた陰湿な視線、そして亀裂の様な恐ろしく禍々しい笑みを浮かべていた。
違う! 確かに僕は、エリザベートに笑いかけてほしかった。一緒に笑いながら暖かい家庭を育みつつ屋敷で過ごしたかった。だが、だがこんな悍ましく悪意に満ちた笑みなんて求めてない……! 僕が欲しかったモノは……彼女の……!
「う、うう、うわあああああああああ!」
何かが崩れていく感覚を感じた。今までの積み上げた物が急に消えて崩れる様な。必死になって作った砂の城にバケツ一杯の水を無慈悲にぶっ掛けて砂の城を粉々に崩す様な、そんな感覚だった。
ふと気づくと僕はボロボロになった手で狂った様に頭を掻き毟っていた。壊れた手も、頭皮から湧き出る血や痛みも感じない、ただひたすらに、現実から逃げるように泣き叫び、頭を掻き毟っていた。
「アンタ達には本当に感謝してるわ。お前達という生贄があったからこそ、バックスは一瞬だけでも私の事を思ってくれるようになった。これは本当に小さな一歩だけど、私の、否、私達にとっては偉大な一歩となる。
正直バックス以外の人間になんて価値なんて無いと思ってたけど、そうでも無かったみたいね。其処だけは褒めておくわ、ありがとね」
そう言って可愛らしくウインクを投げかけたエリザベートは何かを思い出すような表情となる。
「そうだわ、これだけやってくれたんだもの。最後にご褒美を、あ・げ・る」
僕が今まで恋焦がれ憧れた満面の笑顔を見ても、今では何も感じない。ただ全てが無意味で空虚に思えた。
「……」
「反応無いの? つまらないわねぇ。まあいいわ、これは、私のバックスの心を少しでも動かしてくれたお礼よ。苦しまずに逝かせてあげる」
「……苦し、まず?」
エリザベートが誰もを魅了するような笑みで笑っていたが、眼は全く違っていた。まるで近くの害虫を駆除するような、養豚場の家畜を見る様な、そんな冷徹な視線だ。
「そ、今までの生贄は大抵がブチ切れたバックスに殺されてるんだけど、今回はバックスの心を動かしてくれたお礼に半殺しで済むように私がわざわざ抑えてあげたんじゃない。まずそれが一つ。そして最後のご褒美は……、私が直接殺してあげる事よ」
「話が違う! あの男は確かに生かして帰すと……!」
私の反論に目の前の悪魔は嘲笑で返答を返す。
「馬っ鹿ねぇ。バックスは珍しくそうみたいだけど、私はそんなつもりはないのよねぇ。貴方にさっきご褒美で教えてあげた事を、適当にどっかにバラされたら堪らないし、それに何処でさっきの情報が漏れるか分からないから、だからその口封じって訳。
それにさっき言ったでしょ、『冥土の土産』って。冥土へのお土産をあげたんだもの、きちんとお土産を持って冥土に逝って貰わなきゃ、そんなのお土産じゃないでしょ?」
「そ、んな……」
「でも安心して? 何時もならさっきのでトドメ指してあげるんだけど、さっき言ったように貴方はバックスの凝り固まった心を、一瞬でも揺り動かして亀裂を創ってくれた。
だから、出血大サービスで、気持ちよく逝かせて・あ・げ・る♡」
ああ、なんと馬鹿だったのだろう、今では魔族と人間が一緒に仲睦まじく暮らしているとはいえ、その考え方や思考が人間と同じだと、誰が決めつけていたのだろうか。全く異なった価値観を持った者が居ないと何故無意識で決めつけていたのか。その結果が今の僕だ。
容赦なく来るであろう死の間際、ふとあの男の声が脳内でリフレインした。
『悪魔と結婚するだと? 気は確かかお坊ちゃん?』
もしかしたら、彼はこの事を予見していたのかもしれない。考えすぎだと罵る者も居るだろうが、だが今のエリザベートの本性を見るとその言葉が忠告だったとしか思えなかった。
ああ、何故僕はこの悪魔の真の姿を、あの狂った本性と欲望を見抜けなかったのか。そう思うと自然と、頬を熱い何かが駆け抜けていった、おそらく涙に違いない。その涙の感触を感じながら、自然と自分の口が言葉を紡いだ。
「お前は……化物だ。美貌なんて空虚な上っ面の殻! お前の本性は本当の、醜悪な、悪魔だ……!」
「ありがとう、最高の褒め言葉よ」
僕がその言葉と同時に最後に見た光景、それは邪気の欠片も無くただ本当に感謝しているような、陽の光を思わせる慈愛に満ちた女神のような笑みと顔に迫るあの悪魔の右手。
そしてその後、今までの絶望や虚無を全て消し飛ばす、至高の快楽と安らぎが訪れ、私の意識は消滅した。
◆ ◆ ◆
「はぁ、やっぱバックス以外の精気は反吐が出るほど不味いわねぇ、最悪だわ。もう口になんてしたくも無いわ。……ご褒美とはいえ、これちょっと使い捨ての生贄如きにサービスしすぎたかしら」
気分が悪くなってふと足元を見ると、ボロボロになった派手な鎧と無造作に放置された武具に大量の灰の様な塵が積もっている。精気を吸い尽くされ、何もかも尽き果てた者の末路だ。
此処まで奮発したご褒美をあげた生贄はコレが初めてだ。確かコレの名前は、確か……確か……、さっき吸ったばっかりなのに、吸い尽くした生贄の事を何故か思い出せない。顔、声、名前何もかもがまるで霞にかかったようだ。私はもう一度ソレの事を思い出そうとして……止めた。
めんどくさいし、どうせさっきまで会話をし、たった今喰い殺したばかりなのにもう忘れるんだから、きっと私はソレには興味は欠片も無かったのだ。
当たり前だ、私がこの世で興味があるのは私の愛しき人、バックス・ストラただ一人。それ以外の奴になんて興味関心が湧く筈も無いのだから。
「これで今まで選んだ生贄の処理はみーんな終わったけど、計画の完了までまだまだ先は永いわねぇ。ここまで来るだけで何十人も消費しちゃったし、生贄を誘き寄せる為に一々分身飛ばして誘惑するのも胸糞悪いし、ホントどうしようかしら」
溜息をつき首の関節を回し、背中の筋肉を伸ばしながらそう考えてふと閃いた。押してダメなら引いてみろ、逆転の発想だ。今までやらなかった事を敢えてやってみるのもいいかもしれない。
「……そうだ、一回位押し倒して交わってみるのも良いかも。目的とは違うけど、何かの切っ掛けになるしれないわ」
うん、凄くいいかもしれない。本来の方針とは大きくズレるが、今のバックスの精神状態なら何かしら大きな反応があるかもしれない。もしかしたら大人の女に誘惑されて赤く悶える無垢な幼子の様な、初心な反応もあるかもしれない。……ああ、心が躍る!
「そうと決まれば早速実践ね! あの生贄のお陰で、今のバッちゃんの心には亀裂が空いている、その小さな亀裂に私の与える快楽を与えて精神の外殻を砕いてやって・・・・・・ウフ、ウフフフ」
もう過程、計画なんてどうでも良い。
そう、結果が全てだ。結果さえ素晴しければソレが全てにおいて優先される。
私の行為で一つに愛しいバックスが振り向いてくれる。
私に愛を囁いてくれる。
私の手により快楽に一方的に身悶え歓喜の涙と悦楽の声を流す。
そんな最高に幸せな未来が待っている。そんな未来が待っているならば、今まで積み上げた物や労力を溝に捨てても余りある成果が得られるだろう。
「待っててねバッちゃん。貴方の下僕。否、永遠の恋人が今行くから……!」
私と彼の幸せすぎる未来、想像しただけで心臓がバクバクと鳴り、脈も体温も急激に上がりだした。口からも止めどなく唾液が溢れ出してくる。
「ああ、本当に愉しみだわ! バックスの心の殻が全部砕け散った時、私の愛を、存在を、私そのものを受け入れた時、バックスはどうなるのかしら!
人間達の夫婦みたいに仲睦まじく永遠に暮らす?
精神が砕けて廃人になる?
私に心身共に魅了されて依存するの?
……それとも、真相を知って私をただ拒絶し、全てに絶望して殺すのかしら?
でも彼の目の前でむりやり使い魔の契約と力の封印を破る姿を見せつけて絶望させて、逆に彼を私の永遠の下僕にするってのも捨てがたいなぁ。ああ、貴方がどうなろうとも構わない、どんな姿になろうと、貴方のその全てを私は愛せる。
魔族は一度相手を愛せば、永遠にその者を愛し続けるんだから!」
そう叫んで私は、背に生えた翼を羽ばたかせバックスの待つ宿へと向かう。
ああ、身体の奥底が何もかもが焼けた鉄の様に熱くなり、子宮の奥が疼いて疼いて仕方がない。
この疼き、この火照りは当分収まらないだろう、速く癒し落ち着かせるバックスの元に行かなければ……!
そう思うと自然と飛ぶスピードがより加速する。ああ、何て今日は素晴らしい日なのだろうか、本当に最高だ。最高すぎて幸運の全てを使い尽くしてしまうかもしれない。
今晩はどんなアプローチが良いだろうか。抱き着き? 密着? 風呂場でわざと裸を見せてあげようか、それともキスもいいかもしれない。きっと今までを遥かに超える体験を得られるに違いない。彼が私の事を少しでも気にかけてくれるようになったのだから。
思い立ったら吉日だ。もう辛抱堪らない、妄想も火照りも疼きも何もかもが、収まる所か時間が経つ程に増していく。
きっとバックスの元に辿り着いて抱き着いた時、きっとあの人はうっとおしがるに違いない。罵り嘲り笑うに違いない。
だがそれでも構わない、あの人の与える物ならば、どんな物であろうと受け止められる。拒絶されようとも今のバックスの精神状態ならば、最終的に私の誘惑には耐えらず一夜を共にするしかないだろう。もし耐えられても、私の魅力は深層意識に入り込み、きっと素晴らしい結果をもたらす。ああ、今日は生涯最高の日になる、今日の夜は愉しくなりそうだ。何もかもが我慢が出来ない、急いであの人の元に帰りたい、そう思うと自然と身体に力が漲ってくる。
この私、強壮にして偉大なる美しき魔界の女帝たるこの私、『傾国の黒翼天魔』エリザベート・ベルべトリアを惚れさせたのだ。これくらいのスキンシップは受けても当然の事だろう。
ああ、こんな狂おしい熱情、遥か太古に私が産まれてから初めて感じるかもしれない。こんな心地よい悦楽ならば、永劫焼き焦がれ続けても構わない。むしろもっと情欲と熱が欲しくなる。ああ、素晴らしい。最高だ。
この熱情を与えてくれたバックスには、感謝してもし足りない。むしろ心に際限なく愛おしさと執着が溢れてくる。
ああ、愛って、恋ってこれほどに心地よいモノだったのか。
速く、もっと速く! 熱情に追い立てられるように、私はスピードを更に上げた。空中に空気の弾ける白い筋を造りながら、すっかり暗くなった空を駆けた。早く私の愛しい人に一刻も早く逢う為に。
……そういえばさっき、私が飛んだ風圧で視界の端に、さっきの灰色の塵の山が大きく舞った様子が見えたが、私は一切興味など湧かず、またその存在もすぐにすっかりと忘れ去り、二度と思い出すことはなかった。
完
なんだこのラスボス(震撼)
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