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年下の彼女たち(3・9)

「こんにちは」


「あ、先生。今日もよろしくお願いしますね」



 インターホンを鳴らすと、上品な声が返ってきた。今日の空を見ながら三秒ほど待っているうちに、厳かな門が開かれる。家の方から遠隔操作で動かしているらしい。


 門からこの家のドアまでは三十メートルほどある。視力の良い僕には、ドアを開けてこちらへおじぎをしている婦人の姿が見えた。

 こういう時、こちらもペコリと返すのか、それともそれは省略してすぐさまに玄関までダッシュして相手の腕の負担を減らすのか、どちらが『気の利いた対応』なのかわからない。とりあえず、なんとなく正しそうな前者で対応するわけだが。


 挑戦する心に乏しい僕だ。



「娘はもう二階で待っています。部屋の掃除をするから五分だけ待って、と言っているのですが…… 紅茶でも飲んで待っていただけますか?」


「あぁ、はい。もちろんです」


 

 こういうことはよくある。月に四回ほど、つまり毎回だ。

 まぁ、そのおかげというかその副作用で、この家族とより仲のよい関係になっているわけでもあるから、文句は言うまい。僕は婦人について、家の中へ入っていった。

 これだけ広い玄関も、毎週のように足を踏み入れると慣れてきてしまうのだから不思議だ。




 時給三千円。午後三時から五時の家庭教師。教える相手は、高級住宅地に住む一家の娘。中学二年生のおとなしい子供。すみれ色のリボンでよく髪を結んでいる。やさしい目をした、いまどき珍しい女の子だ。


 特に統計を取っているわけではないが、そう言いたくなる雰囲気を持ち合わせた女の子だと言えばよいのか。




「おじゃまします」


 そう言いながらリビングに入ったが、今日は誰もいないようだ。時間が日曜日のお昼過ぎだから、いつもならこの家の主か、高校生の女の子がいるのだが。


「そこに座っていらしてください」


「はい」



 こんな椅子が僕の部屋にもあったら、きっと今の二倍は勉強に励むはず、と思わずにはいられないすわり心地。たぶん気のせいだが、疲れが消えていくようだ。


 家から徒歩五分分の疲労が。

 というか、よく考えたら、六畳一間のアパートにこれをおいたら、邪魔だな。



「お待たせしました」



 何を考えるわけでもなく、ただぼぉっとしていた僕の正面の机に、婦人はカップを置いた。ストレートの紅茶。ホットなところが、ありがたい。

 ちなみに、僕が五分待ってと言われてから既に七分ほど経過しているが、これもいつものことなので気にしない。


 僕とあの子とでは、五分の意味合いが違うのだろう。

 なんて、相手をまるで違う世界の住人みたいに扱ってみる。でもまぁ実際、違うといえば違うか。



「最近、先生のおかげで娘の成績も上がりましたのよ。本当に、ありがとうございます」


「いえいえ、それは僕の力ではありませんよ。僕には、彼女がやる気を出したときに、伸びをほんのちょっと伸ばすくらいのことしか出来ませんから。あくまで効率がよくなるだけで、今の彼女ならもう一人で十分出来ますよ」



 なんて。もしそれで家庭教師の契約を切られたらいろいろと困るのだが、それでも本当にそう思っている。

 ゼロを一にするんじゃなくて、七を八にするようなことしか出来ないのだから。それでも、それが出来ることを密かに自慢に思っているのだが。


「そんな謙遜なさらないで。能ある鷹は爪を隠すのかもしれませんが、私のような人間には隠れた爪を見抜く力なんて無いのですから、あんまりわかりにくいことはなさらないでくださいね」



 爪どころか、底を見抜かれている気分になってしまう。実際、この婦人が勉強を教えてあげれば、ゼロを十にすることだって難しくないんじゃないかと思う。


 言葉にはしないが。



「爪なんて、僕の爪はこの通りですよ」


「まぁ、面白いわ。あ、そうだ、冷蔵庫にケーキが入っているので、お嫌いでなかったら食べていただけませんか?」


「ありがとうございます。ぜひ、いただきます」


 こうしていろいろといただくうちに、僕の一週間の収入が実質三割ほど増されているのは内緒の話だ。誰に内緒かって言うと、……、それも内緒だ。

 紅茶とケーキ、大体授業が終わる頃にはちょっとした軽食もいただく。初めのうちは断っていたのだが、毎週のように誘惑されて、それを断ち切れるほどに強い人格を、僕は持っていなかったらしい。


 まったく、ありがたいものだ。本当に。



 紅茶を一口だけいただいた。これはなんという銘柄なのだろう。知ったらどうなるというわけでもないが、なんとなく興味が沸いた。


 知識はワイドに獲得したいものだ。



「お待たせしました。昨日買ってきたケーキなのですよ。どれかいかがですか?」


「では、そのチーズケーキをいただきます」


「はい。チーズケーキが好きなのですか?」


「そうですね。あとはタルト系はほとんど好きですね」


「では、来週はタルトを」


「いや、そういうつもりでは……」


「気にしないでください。私もタルトを食べたいですし、娘の好きなのですよ」


 それはどちらの娘だろう。わざわざ尋ねることでもないか。


 僕はチーズケーキを、婦人はショートケーキを食べた。当たり前だが、とってもおいしかった。

 この家に来ていただく食べ物で、おいしくないと思ったことなんて今まで一度もない。……まぁ、一度くらいはあるかもしれないが。



「あの、お話は変わりますが」


「はい?」



 ちょうど僕がケーキを食べ終えたときに婦人は話を始めた。僕はなんとなく姿勢を正して聞いた。



「もしよかったらなのですけれど……」


「何ですか?」


「高校に行っている娘の方も、ぜひ先生に指導していただけないかと」


「えっ?」


「本当にもしよかったらなんですが…… 忙しいですか?」



 それは、思いもかけない話だ。てっきり、トイレの電球でもかえてくれないか、と頼まれるのかと思った。予想と間逆と言えなくも無い依頼に、僕は少し詰まる。


 うーん。どうしよう……。


 時間的には全然可能だ。能力的にも、自分で言うのもなんだが、たぶん大丈夫。むしろ、高校の内容の方が最近学んだ内容だし、自分もより楽しみながら出来そうだ。


 だけど……。



「あの……少し考えさせてください」


「もちろんです。嫌だったら、ハッキリと断ってくださいね」


「はい」



 時間は既に十分過ぎている。今までの経験上、あと五分ほどは待つだろう。


 と、時計を見ながら僕が考えていると、玄関の扉が開く音が。ゲートは外からも開けられるということを、よく考えれば当然過ぎることを、僕は今初めて認識した。



「ただいまぁ」


「あら、うわさをすれば、かしら」



 婦人は子供らしい微笑を見せて、リビングと廊下のドアを開けに行った。僕はその間に紅茶をすべて飲み干した。きっと飲む暇もなくなるだろうから。




「あら先生、こんにちは。今日はまだ待たされているのね」


「こんにちは」



 工藤美智くどうみちは今日もおしゃれな服装だった。きっと彼氏とデートでもしてきたのだろう。手に持った袋は洋服だろうか、少なくとも六着は入っていそうだ。

 彼女はドアの近くに袋を下ろすと、僕にニッコリと微笑んでから婦人に質問をした。



「お母さん。あの話、してくれた?」


「えぇ、少し考えさせてって」



 なんとなく気まずい。僕が断ったという事実が、目の前で知らされているというのは、なんとなく気まずかった。

 案の定、彼女は僕のほうへ近づき、少し怒ったような顔をした。



「えー? どうしてぇ。ねぇ、どうしてなの先生? 何が不満なの?」


「えっと……」


「ほら、そんなに無理やりにしちゃダメよ。困っていらっしゃるでしょう」


「でもぉ……でもぉ」



 口を尖らせて僕を見る彼女。そういうところが、僕が依頼を受けかねている理由だ。と言う勇気は無い。




のぞみが終わった後に私にも二時間教えてくれれば、ちょうど夕飯時だし。先生も一緒に夕飯を食べられるのに」


「いや…… それはさすがに申し訳ないので」



 いつも思うのだが、どうして僕は彼女に敬語らしきものを使っているのだろう。そして、どうして彼女は僕にため口なのだろう。品格序列制で生きているのだろうか、だとしたら仕方ないが。



「あら、私も同じことを考えていたんですよ」


「そうよねぇ。その方が楽しいもの!」


「いや、それはありがたいのですが…… そもそも、ぶっ続けで四時間も教えるというのは、さすがに……」



 だんだん、僕が依頼を受けることが前提での会話に変化しつつある。こうやって僕は流されていくのだろうか。自覚しても、なかなか直せない。



「あ! それだったら、希の分が終わったらここで一時間休憩して…… それから私の番にすれば、より良い夕食時になるんじゃないかしら?」


「まずは、先生が受けてくだらないと。そういう話はそれからよ?」


「先生、どうかしら? 引き受けて、ね?」


「えぇ、あの……」


「あの?」



 なんだか流れでうなずきそうになったその時、




「あの、お待たせしました」



 さわやかに耳を通る声。その場の空気が一気に軽くなった気がした。

 声のした方を向くと、希さんが片付けを終えて階段を降りてきた。



「じゃ、じゃあそろそろはじめましょう」



 希さんというより、僕を見ている二人の女性に向けた言葉だった。僕は早足でリビングから去る。


「タイミング悪いよぉ」



 美智さんも残念そうな声に、少し申し訳なく思いながらも、僕はドアを閉めた。彼女と会話しているとどうしても疲れてしまう、それが依頼を受けるか悩んでいる最大の要因だった。


 こればっかりは、どうしても相性の問題だからなぁ。


 人はしばらくすれば大概のことには慣れる、昨日読んだ本にそんなことが書いてあって、もっともだなとうなずいたばかりの僕は、はたして受けるのだろうか、断るのだろうか。


 ……。


 他人事のように見てみても、やっぱり決心はつかないなぁ。



 


 毎回、この話の続きを書きたいと思う私ですが、今回はいつにもまして思いました。


 って、きっと明日も同じようなことを言うのでしょうけれど(笑)


 最後まで読んでいただきありがとうございました。


 もしもこの中のどれかの話で、続き書いてみれば? と思う方がいれば、そのタイトルを教えてくだされば、可能な限り連載バージョンへ移行させますので、よかったら^^

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