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距離ゼロ(4・8)

          0



 富田一志が友人の家に赴くのは、単に友人に会いに行くという目的のみからではなかった。もちろんそれが名目上ただひとつの目的であるのだが、彼の心の中の、他人には見せたくない部分にある狙いは、まったく別のものだった。


 といっても、彼の隠された狙いは、社会的に道徳的に考える分には、裁かれるべきものではなかった。ただ、一志はそれを進んで言いたくはないし、友人も進んで知りたいとは思わないようなこと。客観的にはよくあることだが、当事者からしてみれば大きな問題であった。

 友人は、実を言うと、一志の隠している秘密というものに気づいているのだが、しかしあえて触れないでいる。それでも彼の来訪を断らないことを見ると、篠自身もそれを嫌だとは感じていないのだろう。


 一志は学校が休みになる土曜日に、ほぼ毎週のようにしのの家へ遊びに行く。篠と一志は男子高での友人だ。どちらもあまり友人の多いほうではなかったので、互いが互いのことを唯一の親友と思っている。

 だから、一志が毎週のように篠の家に出かけに行っても何も不自然なことは無かった。一志はほとんど自然を振舞えていたし、篠以外の篠家のものは一志の心の中などこれっぽっちも見透かせていないのだから。






          1



「いらっしゃい。まだ雨は降っていなかったのね」


「お邪魔します。うん、今日は朝から曇っていたから、一応置き傘をバックに入れてきたんだけど」


「帰りにもし雨が降っているようだったら、藤田に送ってもらえばいいわ」


「そうしてもらえれば助かるかな」


「立ち話もなんだし、お兄さんも居間であなたを待っているから、とりあえずあがってくださいな」


「ありがとう」



 篠由美(ゆみ)は玄関から一歩下がり、一志が中へあがれるようにした。篠家の玄関は二畳ほどの面積があるので、そんなことをする必要も無いのだが、これは由美の歓迎の気持ちなのだろう。

 一志は靴を脱いで、既に用意されてあったスリッパに履き替える。家ではスリッパなど履くことの無い一志も、これだけ遊びに来るともう慣れっこだ。



「気づいていないかもしれないけど、このスリッパはあなた専用なのよ。お兄さんが提案して、私が買ってきたの。赤がお母さんで黒がお父さん、桃色が私で青がお兄さん。そして、この黄色があなたのよ。全部同じ形のものなの」


「へぇ、言われてはじめて気づいた。わざわざ買ってくれたんだ。そんな余計な気を使わせてしまって、申し訳ないなぁ」


「いいのよ。私が好きでやってるんだから」



 彼がここへ来る本当の理由、篠由美と会話するということを、今まさに達成している一志であった。由美は胸の前で手のひらをそろえて笑っている。

 


「ならよかった」


「さぁさ、早く行かないとお兄さんが心配してきちゃうわよ。由美が富田にたぶらかされるんじゃないか、ってね」


「それは不味い、すぐさま行くとしましょうか」



 二人は笑いながら廊下を歩く。廊下には由美の描いた絵が、額縁に入って飾られてある。人物や動物の絵が多く、どれも明るい印象な絵だ。

 由美は地元の芸術大学にこの春入学する。中学校の頃から絵を描き続けている由美は、大学でも絵を続ける選択をした。

 家族も、由美の兄で一志の友人、久司ひさし以外は全員それに賛成している。もちろん久司に由美の将来を決めるような権限は無いので、あくまでただ文句を言うだけだが、由美は仲のいい兄が自分の進路に反対していることを、悲しく思っている。


 一志は、もちろん彼にも由美の行く先を決める資格など無いのだが、それでも個人的な意見を言うとすれば、彼女が絵を続けることに賛成だった。彼女の絵は、絵に関してまったく知識の無い一志にとっても、何か感じるものがあった。

 自分が良いと感じたら世間的にも評価されるというつもりは無いが、それでも一志は、由美が絵を勉強したいというなら、ぜひやったほうがいいと思っている。


 人は好きなことをやったほうがいい、そんな考えを、一志は持っている。






          2



「いらっしゃい。飲み物は紅茶でいいかい?」


「うん。ありがとう」



 久司は座っていたソファから腰を上げ、趣味のいいカーペットを歩いてキッチンへ向かった。さっきまで本を読んでいたらしく、テーブルにはクラフト紙のカバーがかけられた文庫本が置かれている。

 久司は一志以上に読書家だったが、由美は久司に面白い本を聞かれるくらい本を読んでいる。由美自身も何か話を書いているらしいが、男二人はいまだにそれを読ませてもらったことが無い。


 私は絵を見せているけど、あなたたちは何も見せてくれない。その上、私の話まで見たいというのは、ちょっと勝手すぎないかしら?


 そう言って二人の催促をヒラリと交わす由美であった。



「今日は雨が降りそうかな?」


「曇ってはいるけど、どうだかはわからない」


「それじゃあ、今日は家の中にいることにしようか」


「僕は構わないよ」



 続いて一志は由美を見て、由美はにっこりと微笑んでうなずいた。一志は微笑み返したかったが、やめておくことにした。ただうなずくだけにして、先にソファに腰を下ろした。



「ふぅ、疲れが取れる」


「マッサージでもして差し上げましょうか?」


「無料ならぜひ」


「まぁ、お金なんて取らないわ」



「お湯はまだ沸かないから、それまで二人でイチャイチャしていてくれ」



 横から入った久司の声に、二人は顔を合わせて苦笑いした。由美は結局マッサージはしないで、一志の向かいのソファに座った。テーブルを挟んで向かい合うように座った。一メートルほどの距離で二人は顔を合わせる。



「まったく。マッサージなんて出来もしないくせに」


「本格的なのは出来なくても、ちょっとくらいなら出来るわ」


「それは出来るとはいわないよ」


「そんな意地悪を言って」


「生半可な出来を俺の友人に披露しようとするから、そんな恥ずかしいことはやめさせようとしただけさ」


「はいはい。不出来な妹で、どうも申し訳ございませんでした」


「いつもそれくらい素直ならいいのに。あ、そうだ。富田はもう昼飯は食べたかい?」


「軽食をちょっと食べたよ」


「そうか。だったら、これからちょっとランチにしよう。俺も由美もまだ食べていないんだ」


「まだ昼の一時だからね。そういうこともあるだろうと思って軽食にしてきたんだ」


「じゃあ、三十分くらい、そこの不出来な妹の面倒でもみてやってもらっていいかな? その間に作ってしまおう」


「不出来かどうかはわからないけど、君の妹さんと楽しくおしゃべりでもして待っていようかな」


「あら、お上手ですこと」



 久司は友人の言葉に愉快そうに笑って、キッチンに戻った。キッチンとリビングをさえぎる扉をわざわざ閉じたところが、彼なりの隠れた気遣いなのかもしれない。


 久司がキッチンから二人を見るのをやめたことを確認すると、由美は一志の隣に座りなおした。二人の距離は一気に半分になった。

 由美の笑顔は子供のように無垢で、横で流れているテレビよりも、一志にとてはずっと見る価値のものだった。






          3


「面倒を見れるのかしら?」


「面倒だけどね。篠に頼まれたからには仕方ない」


「あら、私は別に部屋で本を読んでいてもいいのよ?」


「そうしたら、僕は君のお兄さんの読みかけの本を借りるとしよう」


「ああ言えばこう言うのね」


「そういう性格だからね」


「奇妙な性格ね。どうしたらそんな風に育つのかしら?」


「君とは違う風にだよ」



 由美は口を尖らせる。彼女の仕草は、外ではそんなことは無いのだが、実際の年よりも幼いものが多い。気が知れた人とのやり取りでは、喜怒哀楽がすぐに見た目に出る。

 そんな天真爛漫な姿が素の由美なのか、もしくはそれが彼女なりの愛嬌なのかは一志にはわからない。わからないが、彼女のそんな態度は、一志にとって決して不快なものでは無かった。



「そういえば、紅茶がまだ出て無かったわね」


「あ、でも別にのどは渇いていないし」


「そう。なら取りに行かなくてもいい?」


「君がのどが渇いていないなら」


「じゃあ、ここでおしゃべりしていましょうか」


「おしゃべりね。どんな?」


「何でもいいわ。何を話すか、じゃなくて誰と話すか、それが大事なのだから」



 由美はニコニコとして一志の反応をうかがう。これはワザとやっていることだと、一志にもわかった。

 二人に光を降らせている天井のシャンデリアは、一切動くことなく他愛も無い会話を聞いている。



「うーん。それはうれしいことだけど、本当にそうかな?」


「え? そうかなって?」


「だから、重要なのはフーであってホワットじゃないってこと」


「そんなこと…… 別に、私がそう思うんだから、それでいいじゃない」


「それでいいのかもしれないけど、おしゃべりの話題にする価値はあるんじゃないかな」


「話題って…… そんな話して楽しいかしら?」


「楽しいかどうか、試してみようか?」


「いーやーだーわっ!!」



 拒絶をあらわにする由美。初めて彼女が一志と会話したときには、ただうなずいたり相槌を打ったりするだけだった彼女が、今は自分の意思をはっきりと伝えている。

 その変化が、二人の関係がどれだけ進んだかを示しているようで、一志は少しうれしくなった。



 由美は自分の座っているソファの皮の感触を感じながら、一志の返事を待っていた。しかし、一分待っても彼は黙ったままだった。由美はだんだん不安になってきたのか、隣の一志の顔を見る。一志はこちらを見返してこなかった。



「あ、あのー」


「あ、何?」


「えっとぉ、もしそれがいいんだったら、別にいいけど?」


「ん?」



 一志の反応が、由美にはただ尋ねているだけには見えなかった。由美は十五センチだけ近づくように、スカートを直すふりをして座り直し、彼を見た。



「だから、もしさっきの話題がよかったならって……」


「えっと?」



 少し考え、彼女が何の話をしているのか推測した。


 それがいい、さっき、話題…… と頭を働かせて少し前を思い出す一志。



「あぁ」



 そして、由美が何のことを言っているのかに気づき、彼女の勘違いに気がついた。

 一志がリビングにある彼女の絵をぼぉっと眺めていたのを、どうやら由美は一志が気分を悪くしたと取ったらしい。彼女の不可解な言葉は、それをフォローするものだったらしい、ということに考えが回った。


 ちょっとした謎が解けて、頭がすっきりすると、今度はそのおかしさに笑い出した。変なところで心配性な彼女に、偶然で起きたハプニングに、何があったのか真剣に考えてしまった自分に、笑いが起きていた。

 この面白さを彼女に伝えようと笑いをこらえても、数秒するとまた笑い出した。



「え? ええ??」


「ははっ…… ごめんごめん。でもさ……ぷっ」


「えっえっ、何がおかしいの?? ぜんぜん面白いことなんて無いと思うけど」



 少しあわてる由美を見て、彼女の仕草を見て、収まりかけていた一志の笑いは再発した。天井のシャンデリアだけが静かに二人を見下ろしている。

 由美は自分が何か面白いことをしているのか考えるが、まったく見当がつかない。


「なっ、何が面白いの?」


「だ、だから……フフッ、それがっ」


「それ?? それってどれなの?」



 一志が指差した方向、つまり由美にとっては自分の真後ろを、彼女は振り返ってみた。その行動に、一志の笑いは止まらない。



「なーにーがっ! おかしいのーっ!!」


「いや、その仕草が……クスッ」


「仕草? 仕草って、私の仕草?? どういうことぉ??」


「やっ、やめっ……」


「えとえと、とりあえずストップすればいいの? 私がリアクションしなければいいの?」



 笑いをこらえるのに必死で返事を出来ない一志はコクコクとうなずく。それを見て、由美は黙って止まった。



 静かになる居間。由美は心配そうに、無言のまま一志の様子を伺う。二人の距離はいつの間にか二十センチほどになっていた。


 動きも止めて彼の反応をみる由美。少し首をかしげたまま、一志が口を開くのを待つ。




 その仕草にやはり一志がまた笑い出し、由美が怒って距離をゼロにするのは、この三秒後だった。

 



 続きを書いてみたかったので、未回収フラグをいくつか立てておきましたが、あれこれ続けると収集が着かなくなるので、実現するかどうか……

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