広きは狭き(千)
深い。深くて深い霧が目の前を隠している。このモヤは何色なのか、それさえもわからない。
前を向いても何も見えない。後ろを見ても、歩いてきた足跡すら霧で見えない。横を確認しても、隣を歩く人は誰もいない。
目を開けていても何も視認できない。まぶたを落としてしまえば暗闇しか見えない。自分が瞬きをしているのかもわからない。
何も見えない。それでも、どこかへは行かなくてはならない。生きていたいならば。
立ち止まることは難しい。停止することは困難だ。何もしないでいる、そんな勇気はボクにはない。何もしないことをうらやましがる人間の神経を、ボクは疑わざるを得ない。
何もしないことは、何かを成し遂げることと同じくらいに難しい。ゴールすることとストップすることの間には、実はどこも違いなんて無い。
いつやめるか、それが違うだけだ。
歩くしかない。その先が見えなくても、どこにもたどり着けないことをうすうすと勘付きながらも、この十八年で培った知識から得られる、起こりうる失敗を悟りながらも、歩くしかない。
死にたくは無いから、歩くしかない。あるいは、死んだように生きるのか。
どうして? どうしてこんなものなんだろうか。どうしてこんなにも絶望ばかり見えてくるのか。この目がいけないのだろうか。この耳がいけないのだろうか。このボクがいけないのだろうか。
何も見えないのは、霧がかかっているからじゃなくて、ボクが終わっているからなのか。霧なんてどこにもないのか。
わからない。
でも、だったらこの気持ちは何なのだろうか。確かに何かを感じる、どこかにあるはずの心は、何なのだろうか。悲しんでいるというこのボクさえも、目の前の霧のように幻想でしかないのだろうか。目の前の霧は幻想でしかないのだろうか。
答えばかり求めるものには、何一つ訪れない。そんなことを言っていた自分をバカらしく思う。何を知った風な口を利いていたのか。安全圏から何を戯れていたのか。
ボクは死にたいとは思わない。ただ考えたことが無いだけかもしれないが、とりあえず死にたいとは思わない。生きていたとさえ思う。こんな気分でも、不思議とそこはポジティブでいられるらしい。
これはいずれ忘れてしまうのだろう。持ち前の忘れっぽさで、きっと十日後のボクは今のこの気持ちを忘れてしまうのだろう。
忘れてしまえばいい。
ならこれも、この感情も貴重な体験のひとつであったと思って、いずれ忘れるこの気持ちを、今だけは感じていよう。甘くなんてないけれど、苦くて苦くてはきそうだけれど、そうしておこうと思う。
カーテンを開けると、何も考えていないような朝焼けがそこにはあった。世界は大きく自分は小さいということを、出来るだけ全力で感じてやろう。この気持ちなんて、六十億よりもっと多い中のひとつでしかないことを、自覚したい。
居候シリーズは連続で書くとは限らない、ということにさせてください。
最後まで読んでくださり、どうもありがとうございました。




