満員電車対策(千)
電車。東京に出てから二年たっても、まだこれだけはどうしても慣れない。人が自分の領域に侵入してくる、その気持ち悪さはいつまでたっても薄れない。
「一番線に、電車が参ります」
ホームに響くアナウンス。今、N駅に電車がやってくるところだ。ホームはもう人で込み合っていて、車内でパーソナルスペースを確保できることはまずない。せめて、隣にいる加齢臭のするオジサンとは離れた場所で潰されたい。
私は不快を忘れさせてくれるアイテムの中から、文庫本を選ぶ。音楽プレイヤーは充電し忘れていたから使えない。現実の世界から空想に飛び込めるものは、私にとっては満員電車での必需品。
電車は中の込み具合をさらすようにゆっくりと流れていき、やがてひとつの入り口を正面につける。帰宅ラッシュの今、当然ながら車内はすでに人でいっぱいだ。
数人の人が降りる。そして…… これ以上はいらないように見える電車に十数人の人が詰め込まれる。私は先頭に並んでいたので、一番最初に中に入った。
最初は、これから入ってくる人のために申し訳程度のスペースを供給するけど、それじゃあもちろん全員は入らない。入場者の誰かが、プレス役を行うことになる。本位であれ不本意ではれ、家に帰るためにはやらざるを得ない圧縮作業だ。
グッ。来た来た、人を無理やり詰め込むためのプレスが。今日の圧縮役は必要以上につぶしすぎな気がするけど、閉まるドアにご注意くださいといわれては、コレくらい押してしまっても仕方ない気もする。
私はグングン奥へ押されていって、ちょうど箱内の真ん中ぐらいの場所間で運ばれた。正面には中年の男の大きな背中。お尻のところにバッグが押し当てられて不快だったが、満員電車でそんなことをいっていたらきりがない。私だってブロックのためにバッグを正面のオジサンの背中にぶつけているわけだし。東京に出て初めて乗ったときには、こんなにも知らない人と密着するなんて思っていなかったから正面の空間作りをおろそかにしていた。というより、バッグをうまく使ってスペースを作るなんて知らなかった。あの時の十分間の密着はいまだにトラウマになっている。もう絶対あんな恥ずかしい思いはしたくないし、するつもりもない。
電車は乗客を少しぐらつかせて走り出した。慣性の法則がどんなものなのかはよくわかっていないけれど、このぐらつきがそれによるモノだってことは知っている。
本を読む。集中して、それ以外を考えないようにして本を読む。このストレスだらけの空間に体だけ置いていって、心は文字の世界へ飛んでいく。仕事の失敗も、付き合いにくい上司のことも、今は考えない。時々揺れる電車の中で、心だけで違う世界へ旅をする。それが私の満員電車対策。




