居候を許可する(四千)
「おっす」
約束の時間より十分ほど早く来たのに、彼女は既にそこでホットコーヒーを頼んでいた。ちょうど今こちらに気づいたらしく、軽く片手を挙げている。ボクは一度うなずくだけにしておいた。なんとなく手を挙げた挨拶は大げさな気がして、イマイチ使いこなせない。
四人用の白いテーブル、美和は緑色のソファの方に偉そうに腰掛けていた。ボクはその向かいの茶色い椅子に座る。隣の椅子には使い古した小さめのバッグと黒の帽子を置く。
「ご注文は何にしますか?」
「アイスティーで」
注文を聞きに来た店員にそう応える。結構かわいらしい女の人だった。だからって別に彼女にアプローチをかけたりすることは無いのだけれど、相手がかわいらしいとそれだけで少し和む。
ボクが店員の女性を見る目から邪気を感じたのか、美和はジト目でじいっとこっちを見ている。こっちの方も性格さえどうにかなれば、それなりの見てくれなんだけどな…… ボクは彼女の刺すような視線に気がつかないふりをして首を回した。
「チコク」
相変わらずじいっとこちらを見ながら短く言う彼女。ふてくされているような、少しだけ怒っているような、そんな奇妙なオーラを漂わせていた。
ボクはその不名誉極まりない言いがかりにため息をして、仕方なく返事をした。
「約束は三時半。今は三時二十三分だろ」
「午後の、でしょ」
「夜中の約束!?」
オーバーなリアクションをとってみせる。仕種もわざとらしくやりすぎれば、ただの挑発になることをわかっての行動だ。
「バーカ、引っかかったわね!」
ボクのさりげなくも無い皮肉めいた対応はすべて無視して、はははっと指を刺して笑う。こちらとしては、ため息をするしかない。
もう何度目かわからないこのネタ。確かにはじめて言われた時には少し笑えたが、こう何度も乱発されると心は全くと言っていい程動かない。
そんなボクのモヤモヤなどどうでもいいらしく、彼女はイタズラっ子のように笑う。首元まで伸びている癖っ毛が天井の光を反射して白くなっている。
「はぁ…… いい加減、違うパターンでも考えろよ」
「いい。アタシはまだぜんぜん、これっぽっちも飽きてないから」
超自分主義。そんなでたらめな性格でよく今までやってこれたなと、改めて感心する。決して真似たいとは思わないが。
「で、そろそろ本題に移るわよ」
「そっちが寄り道したんだけどな」
「うるさい、細かいことをグチグチ言うな!」
容赦ない叱責。こういうタイプの人間には言わせたいことを言わせておくのが一番だ。ボクはおっしゃるとおりで、とでも言うような態度をとった。
「あ、じゃなくて…… ゴホン、ゴホン」
わざとらしくせきをする彼女。こういう時は大抵ろくなことにならない。ボクは既によからぬことが始まる予感を感じていた。雲行きが怪しくなってきた。
彼女が何度もせきをして、そろそろ何か言うかな? ってときにちょうど店員がボクの頼んだアイスティを持ってきた。今度は男の人だったのでノーコメント。
美和は出鼻をくじかれたような、不服そうな顔をしてホットコーヒーをすすった。こんな夏の日に、よくホットなんてのめるな、とは言わなかった。無用な争いは避ける平和主義者なボク。
「で、その本題って?」
言い出すタイミングを計るようにオドオドしている美和は少し面白かったけど、こういう時に些細でもやさしいことをしておけば、後でそれが自分に返ってくるかもしれない。情けは人のためならず、ってか。
「そうそう、それがアタシがここに来た理由で、アンタが生まれてきた理由なのよ」
「どんな宿命だよ」
寄り道しないなんて言いながら、脱線しまくりだろ。まったく、これだからこの勝手女は……
「と言うのは冗談で…… お願い…… されたくない?」
「されたくない」
速攻で拒否。譲歩の隙を与えない。情けと甘やかしは違うからな、とさっきのボクと矛盾しないための自己防衛。
「うそつくなっ!!」
「うそじゃねえよっ!!!」
「……。ホントに?」
上目遣いで寂しそうに言う美和。それも何度も乱発されてなかったら少しは効果あったかもしれないな。
「……」
「……」
「…、はぁ……。言うだけ言ってみろよ」
「え?」
「聞くだけなら聞いてやるよ。イエスかノーかはそれからだ」
「そこまでの譲歩はちょっと……」
「譲歩してんのはコッチだろ!」
……。美和のやつ、話す気あるのかよ。こんなあっち行ったりこっち行ったりの会話、ぜんぜんコイツらしくない。そのお願いってのがそんなに重大な事なのか?
とりあえずボクは、運ばれてきたアイスティーを少し飲むことにした。店内はもちろんクーラーがんがんでかなり涼しいわけだけど、それでも夏に冷たいものを飲むってのは何か気持ちいいものがある。
「……。いいわ、そこまで譲りましょう」
「こっちは聞く気もなくなってきたけどな」
「アンタ、大学生よね?」
「お前とおんなじな。学校だって同じだろうが」
「家ってメチャ遠いわよね?」
「あぁ。こっから三時間ぐらいだな」
「じゃあ、当然アパート暮らしよね?」
「質問の意図がわからないが、まぁイエスだ」
そう答えると、突然美和はニッコリと微笑んだ。写真にでも撮ればそれなりのものになりそうだったが、このタイミングで微笑まれてもただ怖いだけだ。
「アタシ、とある事情でアパートを追い出されまして」
「却下」
間を空けずに言った。美和の言葉が終わる前にその不気味な微笑みにノーを突きつけた。今度こそ、譲歩の余地など一厘もない。
彼女のお願いとやらはすぐに察しがついた。つまり…… お前ン家泊めて! ってノリのそれだろ…… さすがにそれは却下だ。
とたんにプクゥとふくれっつらになる美和。鋭くこちらをにらんでいる。
「まだ話が終わってな」
「却下」
「もぉ!!」
バンと机を叩く美和。いや、そんな風に怒られても、それは逆切れでもなんでもないぞ。ただのかんしゃく女か……
「じゃあ、言い方を変えるわ。このままだとアタシは公園とかで夜を過ご」
「却下」
と、またしても一刀両断してやると、美和はますます険しい表情になって、強く握ったこぶしを震えさせ始めた。
「アタシをアン」
「却下」
「お願いされろ!」
「却下」
「ちょっと胸さわ」
「いいだろう」
「お断りよっ!!」
……。何だこのやり取り? とにかくボクはそんなことにOKを出すつもりは無い。というより、最後まで言わせるつもりも無い。美和はこれ以上無いほどに怒りで震えていたが、やがて急にそれを止めた。
「?」
今度は一転。急にしゅんとした顔になった。そして……
「うぅ…… うっ……」
「泣きまねしても無駄だぞー」
これは新しい攻撃技だったが、そんなあざといことで同情を誘おうとしたって無駄だ。ボクは美和の魂胆を見抜いてしてやったりの笑みを浮かべた。だが、泣き真似は一向にやまない。それどころか、どんどんそのクオリティーを高めてきている。
「そんな演技アピールしても無駄だぞ」
ここで「どうした?」なんて言ってしまえば、それこそ向こうの思うつぼ。第二のトラップもするりと交わした。しかし、ボクはここでとんでもない勘違いをしていることに気づかされた。
「誰もっ! 泣いてなんか…… うっ…… ないわ、よっ!」
やけにうまい芝居…… では無かった。キッとこちらをにらんできたその瞳は、赤くはれていた。
「お前、マジ泣き?」
「だからっ! 誰も泣いてなんか……」
強がっているが明らかに泣いている。鼻をすする音とか、演技なはずが無い。ボクは思いがけないことに少し驚きながらも……
「いやっ。泣くんだったら違う人さがせよ。そういうのって、普通、女友達に頼むことだろ? いくら知ってる中とはいえ、男に言うことじゃないだろ……」
「女、友達……」
「一人や二人、お前にだっているだろ?」
「……ぐすっ」
……。マジか。この年にもなって、いまだに自分を泊めてくれそうな友人もいないのか。まぁお前ってそんな感じかもな……
必死に涙をこらえようとしているが、流れが止む気配は無い。見ていて少しかわいそうな彼女を、助ける手段をボクは持っている。
……。
いやいや、そうは言ってもさすがに否だろ。そんな感情論でどうこうしていいものじゃない。
「親に相談したのか? そんなこと、きっと解決して」
「そんなこと言ったら…… ぐすっ…… 学校辞めさせられる。ただでさえ一人暮らしに反対しているのに……」
泣きながらも激しく言う。そうか、そちらもダメなのか。まぁ考えてみれば当たり前か。いくらメチャクチャな奴とはいえ、ボクにそんなことを頼むんだから、もうそれ以外に手段は残ってないんだろう。見落としなんて、一個も無いんだろう……
「……いや」
突然、彼女は嗚咽をこらえながらもそう言った。
「やっぱりいいや」
「え?」
彼女の涙は止まっていた。今度は軽い笑顔になる。状況さえ違えば、自然な笑み。
「考えてみたら、アンタにそんなこと頼むのなんてムチャだし」
「……」
「まぁ自分でどうにか出来そうな気がしてきたし!」
あぁよかった。これでメチャクチャなこと頼まれずにすんだ。そう思おうとしたが……
「説明してみろ」
「え?」
ボクの声色に驚いたのか、ボクの言ったことに驚いたのか。とにかく彼女は少し口をあけて尋ねた。
「その手段ってのを説明してみろ」
「……」
ボクは何様のつもりでこんなことを言っているんだろう。自分が断ったから、変な空気にならないように美和がそう答えただけなのに。なにマジになってるんだ……?
でも止まらない。ボクは彼女の瞳を何も言わずに見つめる。美和はすぐに目をそらした。
何も言わずに返事を待つ。美和はずっと下を向いて、それからすごく小さなこえでつぶやいた。
「……ない」
「ない? 何が?」
「何も…… ない。頼れる人も、アテのある場所も……」
それだけ言うと、両手で顔を覆い隠した。肩がふるふると震えているのがわかる。
「はぁ……」
却下しといて、説明させて、挙句の果てには泣かせて…… ボクは何をやってるんだろう。
泣いている美和を見て、それからすっと立ち上がって帰り支度をした。美和は一度だけボクの目を見て、それからうつむいてしまった。音も無く涙だけが流れている。ボクはもう何度目かわからないため息をつく。何に対してついているのか、自分でもよくわからない。
「一週間な」
「……?」
我ながらあきれる。結局こうなるんだったら却下なんて格好つけるんじゃなかった。でもボクは言う。同情でも、情けでも、甘やかしでもない。確かな感情で、ボクが決めてそう言う。
「一週間までなら、居候を許可する」
せめてもの意地だ。台詞ぐらい格好いいのを選んでもいいだろう? いや、それもボクが自分で決めることだな。
続きます。あと五、六回。




