プロローグ とある大会の証言
女の子の頭が、柵を越えた。
次の瞬間、誰かが走った。
女の子が落下した。
床に叩きつけられるはずだった体は、
誰かの腕に受け止められた。
「バン」
大きな音だけが、館内に残った。
……とある大会に居合わせた人の証言。
桜の匂いが仄かに香る中、広い茶の間で、男は交通事故多発と表紙にドンと書かれた新聞を広げた。
台所からお盆を持ってきながら女が「最近は物騒だことね」
と言い、湯呑みに入ったお茶を、男の目の前のちゃぶ台に置いた。
「そうだな」と男は他人行儀に答えた。
女は「それにしても同じ日に二回もですよ」と口を尖らせた。
「でも轢かれそうになった女の子を助けるなんて大した中学生だな」と感心した言い方で新聞の言葉を指差した。
女は「あなたは本当に心がないですね」とあきれたかのように部屋から出ていった。
男は何事もなかったかのように再び新聞を読み始めた。
『小学五年生と中学一年生が交通事故により死亡 いずれも横断歩道を横断中、飲酒運転をした車に……』
男は新聞を閉じ、ある違和感に気づいた。
自分が泣いていない。なぜだ、別に人の心がないわけではない。表に出さないだけだ。
「年のせいかな」
だが目の前にある湯呑みを見て男は安堵した。
「これは面白いことになりそうだ」
湯呑みの中に茶柱が立っており、男はそれを静かに見つめていた。
「じいじ、剣道やりたい」
まだ小学生くらいの子どもの声だった。
「どうしたんだ?秋、急に」
…
でも男は知らなかった。
この出来事が、静かに誰かの心を揺らしていたことを。




