8.泣けるほど誰かを想える
カルロッタは慌てて両手を広げてレベッカの前に回り込む。
「レベッカ、早まるんじゃないよ」
「どいてください、カルロッタさん。私はジョナスを許せません」
(確かに浮気男なんて許せないのはよくわかる。前世で私も彼氏に浮気をされたことがある)
じっとレベッカを見つめていたカルロッタは、浮気されたあの日の自分を思い出した。
(大昔のことだけれど、思い出したらムカついてきたわね)
情けない顔でカルロッタの後ろで縮こまっているジョナス。
レベッカとジョナスの間に立っていたカルロッタは、一歩横にずれた。
「え、えええ、助けてくれるんじゃ」
「一度怒られて悔い改めたほうがいい気がしてきたわ」
「そ、そんな」
じりじりと後ろに下がったカルロッタはレベッカの切った扉につまずいてしまう。
「うわあ!」
カルロッタは扉の破片を避けようと、慌てて体を捻る。
けれど、俊敏には動けない。
ドンと派手な音を立てて転がり、床を滑るように前へ倒れこんだ。
カルロッタの肩に衝撃が響く。
「カルロッタさん!」
目を見開いて驚くレベッカと、さっきまでの腰を抜かしていたのが嘘のように慌てながらもカルロッタに駆け寄るジョナス。
「くっ……!」
「ご、ごめんなさい。カルロッタさん」
慌てるレベッカにジョナスが言った。
「お、俺が医務室に運ぶよ」
カルロッタをお姫様抱っこするジョナスに、カルロッタは叫んだ。
「ちょいとお待ち」
(今は私のことより大事なことがあるわ)
「レベッカ、剣をしまって。ちゃんと話しをするんだよ」
「は、はい。カルロッタさん」
さっきまでの威勢はどこにいったのか、借りてきた猫のように小さくなるレベッカ。そんなレベッカにカルロッタは仕方がないと言わんばかりに声に出さずに微笑んだ。そして、ジョナスをじっと見つめてカルロッタは言った。
「あなたはレベッカが納得できるようにちゃんと説明しなさい」
「……わかりました」
「逃げずに向き合いなさいね」
「はい、きちんと話します」
そのまま、再度抱き上げられたカルロッタは、大人しく医務室へと運ばれた。
騎士ばかりいるエリアに、カルロッタがいるだけでも目立つのに、お姫様抱っこをされて運ばれているのだから注目の的だった。
何事かと集まってくる騎士達に、笑顔で手を振るカルロッタ。
「カルロッタさん、大人しくしていてください」
「そうですよ。あまり患部を動かさないでください」
心配そうなレベッカとジョナスにカルロッタは苦笑しながら言った。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
「で、でも……私のせいで」
「私が勝手に転んだだけだからレベッカが悪いんじゃないよ」
レベッカは今にも泣きそうな顔で首を振っていた。
それを見ていたジョナスが小声で呟いた言葉が聞こえていたのはカルロッタだけだった。
「元はと言えば俺が悪いんだ」
医務室の前で降ろしてもらったカルロッタは、二人を見上げて優しく微笑んだ。
「さあ、二人とも、あとはしっかり話し合いなさい」
不安そうに唇を嚙みしめたレベッカが頷いたのを確認してカルロッタは医務室へと入る。
医務室はさすが騎士がたくさんいる場所なだけあって、医師が常駐していた。初老の医師は怪我の手当てには慣れているようで、カルロッタの肩をすぐに診断してくれた。
「打撲じゃな」
「いたたたた」
確認するように患部を触られるだけで、痛みで声が漏れる。
「しばらく腕が上がりにくいじゃろう」
「それは困りましたね。畑仕事はしてもいいでしょうか?」
「無理のない範囲なら」
手当を受けている間、扉の向こうでぼそぼそと話すレベッカとジョナスの声が時折聞こえてくる。
(二人でちゃんと話ができているみたいね)
それから、処置を施されている間にカルロッタは反省していた。
(あの時、咄嗟に受け身を取れなかったなんて……歳のせい……いや、ただの運動不足だわ)
最近は畑仕事をするために外には出るけれど、体を動かすことが少なかった。せいぜい買い物に出る時に少し歩くぐらいで、外に出る機会もめっきり減っていたのだ。
(これから老後を満喫するためにも健康第一ね。老後は元気に楽しく過ごすわよ)
カルロッタが今後の目標を立てている間も、扉の外から話す声が途切れ途切れ聞こえていた。
(これは、まだ時間がかかりそうだわ)
どうやって時間を潰そうかと悩むカルロッタの目に飛び込んできたのは、コーヒー豆の瓶だった。コーヒー豆は他国でしか取り扱いがなくなかなか手に入らない高級品なのだ。
「すみません、あれはコーヒー豆ですよね? どちらで購入されましたか?」
カルロッタの問いに、医師の男性は驚いたようにキョトンとしていた。
「コーヒーを淹れることができるのか?」
「ええ、なかなか手に入らないけれど、私コーヒー好きなのです」
「外で飲んで気に入って買ってみたんじゃが、自分で淹れるとまずくて飲めたものではなくて……儂の分もよいか?」
「もちろんです」
カルロッタがコーヒーの準備をしている間、医師の男性は興味津々と言った様子でカルロッタの手元に注視していた。カルロッタはコーヒーを淹れる時のコツを伝授していく。
「ほぉ……これはまた……美味じゃな」
カルロッタが淹れたコーヒーを一口飲んだ時の医師の感嘆の声に、カルロッタは嬉しそうに笑った。
初めて会ったにも関わらず、医師の男性とカルロッタはすっかり意気投合し、話が弾んだ。廊下で話している二人の声が聞こえてこなくなったことに気づいて腰を浮かしたカルロッタに、医師は薬を差し出した。
「薬は一日二回患部に塗るのじゃぞ」
「ええ、ありがとうございます。お世話になりました」
「コーヒーごちそうさん」
医師に別れを告げて、医務室から出ると、扉の前で待っていたのは目を赤くしたレベッカだった。
「カルロッタさん、大丈夫でしたか?」
「もちろんよ」
「本当にごめんなさい」
深く頭を下げて謝罪をするレベッカの肩に優しく手を置くカルロッタ。
「きちんと話し合えたかい?」
「カルロッタさんのおかげでジョナスと、きちんと……、っ、ぐ……さよならできました。ジョナスは私だけを好きなわけじゃなかったそうです。でも、私は、本当に……好きだったんです……っ」
喉の奥から押し殺したような嗚咽が漏れるレベッカの瞳からは涙が溢れていた。涙を拭う手が震えていて、痛ましい様子にカルロッタの胸が締め付けられる。
「泣けるほど誰かを想えるって素敵なことだわ」
「……っ、ひぐっ……うわぁぁん!」
子供みたいに泣きじゃくるレベッカをカルロッタは抱き寄せた。
「よしよし、泣きたいときは思い切り泣きなさい」
「うわあぁん!……っ、ぐ……ぐすっ……」
(泣いている子を放っておけないのは、母親の性分かね)
レベッカはカルロッタの胸元に顔を埋め、肩を震わせながら泣き続け、カルロッタはレベッカの涙が止まるまで寄り添い続けた。




