6.サイン
笑顔のエレナが帰宅して、数日が経った頃。
カルロッタは、庭の小さな畑の手入れに精を出していた。
胸まで伸びたトマトの茂みの前に立ち、カルロッタは腰に手を当てて大きく頷く。
「うん、食べごろだわ」
鼻歌を歌いながら、赤く色づいた実に指先を添えて、ぷちんと軽い音を立てて摘み取る。
そんな穏やかな朝、一人の来客があった。
「おはようございます」
カルロッタは摘みたてのトマト片手に、ゆっくりと振り返った。
「あら? あなたはエレナのところの」
「はい、私はエレナ様専属の護衛をしております、レベッカ・スミスと申します」
腰まで届く赤い髪をきつく結い上げた女騎士は、エレナの近くでよく見かけた顔だった。細身の体つきなのに、しなやかな筋肉がついていてきびきびと動く姿をカルロッタはよく覚えていた。見たところ、エレナは一緒にいないようだし、レベッカは一人のようだ。
「今日はどうしたんだい?」
胸に手を当て、片膝をついたレベッカは頭を下げる。
「本日はお願いがあって参りました」
「お願い?」
顔を上げたレベッカは、落ち着かない様子で視線を泳がせている。
「カルロッタさんに相談に乗っていただきたいのです」
「相談って私にかい?」
「どうか私の話を聞いていただけませんか?」
(この感じは、庭先で終わりそうな話の雰囲気じゃないわね)
レベッカの肩を、カルロッタは優しくポンと叩く。
「わかったわ。さあ、立ち上がって。我が家へどうぞ」
「ありがとうございます!」
レベッカを家の中に招待したカルロッタは、もぎたてのトマトが入った籠をキッチンの棚の上に置いて、お湯を沸かす。
カルロッタの家へとはじめて足を踏み入れたレベッカは、視線だけは動いていたけれど、直立不動で固まっていた。
「そこに座ってちょうだい」
「はい!ありがとうございます」
窓辺の椅子にレベッカは背筋を伸ばしたまま腰を下ろした。椅子に座っても肩に力が入りっぱなしのレベッカの様子に、カルロッタは微笑む。
(緊張しているみたいだね、それにしても礼儀正しい子だわ)
「さあさあ、お茶でもどうぞ」
「お心遣い感謝いたします」
硬い声で礼を述べたレベッカは、少し震える手でカップを持ちお茶を口にした。
「……美味しいです」
「そりゃよかった」
カルロッタはレベッカが話しやすいように、レベッカの正面に腰を下ろした。
自分のカップにもお茶を注ぎ、口を潤す。
レベッカはピンと背筋を伸ばしたまま固まっていて、カルロッタは小さく微笑んで、優しい声で言った。
「大丈夫よ。そんなに緊張しなくてもいいのよ」
その言葉に、レベッカの肩が少しだけ下がった。
「……どこからお話するべきか……」
「ゆっくりでいいからね」
「は、はい、では」
レベッカは深呼吸をして、覚悟を決めるように一拍置いてから話し出した。
「カルロッタさんは、スミス家をご存じでしょうか?」
「もちろんだよ。スミス家と言えば英雄の末裔で、帝国の剣とよばれ、騎士団長は代々スミス家の子息が務めているんだろう?」
「その通りです。現騎士団長は一番上の兄が務めています。スミス家で生まれた私は、当たり前のように剣術を学び育ちました」
鍛えられた肩と腕が服越しでも確認できてカルロッタは納得するように頷いた。
レベッカは手のひらを開いては閉じる動作を繰り返して、最後にグッと拳を握った。
「剣ばかり握って育ったせいか、私は恋愛ごとに疎くて……、どうすればいいのかわからないのです」
カルロッタは声を出さずに静かに笑みをこぼした。
「恋愛相談かしら?」
その質問に視線が泳ぎ、落ち着かない様子のレベッカは、ちらりとカルロッタを見て、小さく頷いた。
「……お付き合いしている人がいます」
「まあ、そうなのね。それで、レベッカは何をそんなに悩んでいるの?」
「あ、あの……その」
言葉が途切れがちなレベッカにカルロッタは首を傾げた。
「ゆっくりでいいわよ」
「はい、私のお付き合いしている殿方が……浮気をしているかもしれません」
「……浮気?」
コクコクと頷くレベッカに、カルロッタは目をパチクリさせて驚いている。
(恋愛相談を私にしにきただけでも驚いているのに、彼氏が浮気だなんて、一体どうしたのかしら?)
「彼、ジョナスは、同じ養成所の騎士科の仲間で、思いを告げられて、お付き合いすることになりました。ジョナスは待ち合わせをしたら遅れてくるし、約束は忘れるし、部屋は散らかり放題です。でも……」
「でも?」
「優しい所もあって……信じていたのですが」
レベッカは両手を膝の上でぎゅっと握りしめている。
「何かあったのね?」
「はい。あれはエレナ様の護衛でカルロッタさんのお家にお邪魔した日の帰り道のことでした」
レベッカは視線を落として、深く息を吸い続けた。
「ジョナスが綺麗な女性と歩いているのを見かけました。腕を組んで仲が良さそうな様子で……私は任務中だったので追いかけるわけにも行かず」
その時のことを思い出したのか。グッと歯を食いしばるレベッカにカルロッタは静かに頷き、続きを託す。
「翌日、ジョナスに、昨日何をしていたか訪ねてもはぐらかされて……、その後は忙しいと会ってくれません」
(確証はないけれど、今の話だけ聞けば限りなく黒に近いわね。レベッカもそれがわかっているから、こんなに悲痛な表情なのね)
眉を下げたカルロッタは、俯いたままのレベッカに優しく言った。
「辛かったわね」
「……ジョナスを信じたい気持ちもあるのに、思い出すと苦しくて……」
涙を堪えるように、グッと押し黙ったレベッカ。
膝の上で握った拳をさらに強く握りしめる様子に、カルロッタはレベッカの手にそっと触れた。カルロッタのふわふわの手はどこまでも優しくて、レベッカの瞳が潤んでいく。
「今のまま真実がわからずに、悩み続けるのは心にも身体にも悪いわ」
「そうなのです。私はこんな風にウジウジ、モヤモヤしたことが今までなくて、こんな自分が大嫌いです。こんな私だからジョナスも私のことが嫌になったのかもしれません」
落ち込むレベッカに、カルロッタは言った。
「いいえ、モヤモヤするっていうのは大事なことよ」
「モヤモヤが大事?」
ニッコリ笑い大きく頷くカルロッタ。
「モヤモヤって、このままでは上手くいかないってサインみたいなものだと思うわ」
「サインですか?」
「そうよ、恋は楽しい物よ。モヤモヤして泣いてしまうぐらいならその恋は見直すサインかもしれないわ」
「……見直すサイン」
ゆっくりと顔を上げたレベッカは、カルロッタの手を両手で握りしめて言った。
「カルロッタさん、私、ジョナスときちんと話をします」
「うん、いいと思うわ」
「そうと決まれば今から行ってきます」
カップのお茶を飲み干したレベッカは、先ほどまで落ち込んでいたのが嘘のように元気に立ち上がった。
その思い立ったら即行動する潔さに、カルロッタは満足そうに頷いた。
「カルロッタさん、お願いです」
「うん?」
「一緒に来てください」
思ってもみない展開にカルロッタは目を皿のようにして驚く。
「私が一緒に行ってどうするんだい?」
「ジョナスが浮気していたら……剣を抜かない自信がありません」
「……え?」
思いの外真剣な眼差しに、カルロッタの腰が引けた。
(ちょ、ちょっと待っておくれよ。殺人事件は見たくないわね)




