11.コーヒー
あの日から、オーラが使えるようになったカルロッタだが、以前の生活とほとんど変わりはなかった。変わったとすれば料理するときに、包丁の切れ味がよくなって時短になっていることぐらいだ。
(毎日使っていると加減もできるようになってきたわ)
オーラを纏わせて包丁でお豆腐を切ったときには、お豆腐を潰してしまったけれど、今では調整ができるようになって潰してしまうことはなくなった。
「さてと、お買い物に行くとするかね」
毎日、巨大かぼちゃを使った料理を食べていたカルロッタだが、いいかげん飽きがきていた。
(かぼちゃの甘さも好きだけれど、辛い物が食べたいわね)
買い物をするために、買い物かごを手に商店が並ぶ通りにやってきた。賑やかな通りで、人々の注目を集めている場所があった。
焼き菓子を売っている店の前で、小さな男の子が地面に寝転んで、両足を思いっきり蹴り上げながらバタバタしている。大きな声で”やだ”と叫ぶ声に交じって、母親がなんとか泣き止ませようと必死になっている。
(あら、懐かしいわね。うちの子たちもあんな頃があったわ)
微笑ましい光景に、頬を緩めて賑やかな通りを歩いて行く。商店の並ぶ通りでは、焼き菓子の甘い香りや、美味しそうなフルーツの香りが漂っていた。
その中に、フッと最近嗅いだ香りが鼻をくすぐった。
「あら、コーヒーの香りだわ」
思わず足を止めて、香りの発生源を探す。
(前世では毎日飲むほどコーヒー好きだったから、コーヒーを売っているなら欲しいわ)
香りのする方へと歩いて行くと、大通りから一本入った路地の奥、小さな木製の看板が揺れている。看板は猫の形をして、近づいてみると文字が書いてあるのがわかる。
「”猫の隠れ家”……なんだかワクワクする名前ね。ここであっているかしら?」
半信半疑で近づくと、コーヒーの香りが濃くなった。
小さな窓からお店の中を覗こうとしたけれど、窓は白く曇っていて中を見ることはできなかった。
そっと扉を押せば、コーヒーの香りに包まれた。焙煎した豆の香りが小さな店舗の中に充満していて、カルロッタの胸が高鳴る。
「ごめんください」
呼びかけても物音一つせずに、室内には人がおらず、カルロッタは店内を見渡した。
(誰もいないわね。でも勝手にコーヒー豆を買って帰るわけにはいかないし、どうしたものかしら)
カルロッタがどうしたものかと考えていると、扉が開いた。
振り返った先にいたのは、レベッカの彼氏だったジョナスだ。
「あら、こんにちは」
ジョナスは、カルロッタの姿を確認すると、ひどく驚いた様子で呆然と目を見開いた。
「……、え、あ、ど、うも」
(なんだか挙動不審だわね。まあ、浮気現場やら、破局現場を見られたおばさんには会いたくないだろうから仕方ないわね)
カルロッタが内心で苦笑していると、ジョナスは気まずそうに視線を逸らした。
「ジョナスも買い物かい?」
「ええ、まあ……」
「コーヒーの香りに誘われて来たのだけれど、店員さんがいないようなんだよ」
「そのようですね」
ジョナスは店内を一度ぐるりと見渡して、テーブルの上にある一枚の紙を手に持ち、読み上げた。
「カルロッタさん、店員さんはしばらく留守にするようですので、購入したい方は、料金を置いていくようにと注意書きがあります」
カルロッタが紙を覗き込むより早く、ジョナスは紙を折りたたみ、コーヒー豆の瓶を手に取った。
「購入されますか?」
「無人販売なんていいのかしら?」
「大丈夫だと思いますよ。前来た時もそうでしたし、俺も一瓶買って帰ります」
ジョナスと一つずつ、コーヒー豆の入った瓶を手に取り料金をテーブルの上に置いた。コーヒー豆が手に入って、ほくほく顔のカルロッタは瓶を籠にそっと入れた。
「カルロッタさんは、これからお買い物ですか?」
「そうだよ、あとはお肉屋と魚屋に行く予定だよ」
「あの……もし良かったら、荷物持ちをさせてください」
ジョナスは、長身を折り曲げてカルロッタに頭を下げる。
「まあまあ、どうしたんだい急に」
「肩のお怪我も元はと言えば俺のせいですし」
「転んだだけなんだから、気にしなくていいんだよ。もう痛みもないわよ」
それでもジョナスは言いづらそうに、言葉を選ぶように、少し間をおいて続けた。
「レベッカ……元気ですか?……気になって」
言葉を濁したジョナスは、後悔しているのか視線を落としている。
「まあ、歩きながら話そうかね。荷物を持ちたいなら、お願いするよ」
「ありがとうございます」
パッと顔を上げたジョナスは、カルロッタが手に持っていた籠をサッと持つと、お店の扉を開けた。カルロッタをエスコートするように、扉を押さえて、段差では手を引いてくれる。
(まあ、気が利く子だこと。動きが洗練されているし、色男だからモテるのも頷けるわ)
二人は路地を出て大通りへと歩き出した。
その背中を、曇った窓の向こうから静かに見送る影があることに、カルロッタは気づかなかった。
人通りの多い道を進むカルロッタは、歩きながらふと気づいた。
(なんだか歩きやすいわね)
荷物を持っていないからかと思っていたけれど、注意して見れば、ジョナスが歩きやすい道を選んでくれていることに気づいた。小さな段差の前では速度を緩め、カルロッタの進む道の空間を確保しながら歩いてくれている。
(エスコートは上手だし、気は利くし、本当にいい子だわ)
人ごみから外れ、家までの道を歩いているとジョナスがポツリと漏らした。
「レベッカ……あの後、俺のこと何か言っていませんでしたか?」
(この子、本当に落ち込んでいるみたいだわ。浮気した側とは思えないほどだよ)
「レベッカのこと、まだ気にしているのかい?」
カルロッタがそっと声をかけると、ジョナスはびくりと肩を揺らした。
「……はい。俺が言うことじゃないですけど、レベッカには幸せになって欲しいと思っています」
そう言ったジョナスは、真っすぐに前を向いて、驚くほど真剣な表情だった。
「レベッカ、あの後はさすがに泣いていたけどね、大丈夫さ。あの子は強い子だよ」
「……そうですか……それなら良かったです」
力なく笑うジョナスに、カルロッタは何とも言えなかった。
(これじゃどっちが振られた側がわかりゃしないよ。女性は案外切り替えが早いけれど、男性は前の恋を引きずる人が多いのよね。それに、こんなに全身で大好きだと語るぐらいなら浮気なんてしなきゃよかったのに……後の祭りね)
「今日はありがとうね」
「いいえ。こちらこそありがとうございました」
カルロッタに買い物かごを手渡したジョナスは、自分の分のコーヒー豆の瓶をカルロッタの買い物かごに入れた。
「今日のお礼です」
「そんな、悪いわよ」
「いいえ、俺はまだ持っていますし、あのお店は路地裏にあって、あまり治安もよくありませんからレディには危ないです」
(レディなんて、またこの子は、サラっと女性を褒めるのね)
「じゃあ、いただくよ。時間がある時にコーヒー飲みにおいで」
「ぜひ、お願いします。失礼します」
サッと一礼して帰っていくジョナスの背を見送る。
家へと続く一本道は沈みかけた太陽の光で一面やわらかなオレンジ色に染まっていた。
カルロッタは買い物かごを持ち直し、庭にある小さな畑に視線を向けた。
「……ん? あれは誰かしら?」
畑の中、しゃがみ込むようにして動く影を見つけたカルロッタは、目を凝らした。




