9話:入学式
薄く曇った空の下、荘厳な入学式が始まろうとしていた。王国一の名門校であるアルカディア学園の入学式は毎年大きな行事で、私たち上級生も出席が義務付けられている。高位貴族の子女が多いこの学園では、身分による序列が厳然と存在し、それは式典での位置取りにも反映される。
カテリーナ·ド·オルレアン公爵令嬢は当然のように最前列にいた。金髪を高く結い上げた彼女の姿は誰よりも目立っている。その姿は自信と誇りに満ちており、まさにこの学園の頂点に立つ存在だった。
私も伯爵令嬢として前列に位置しており、周りには同じ爵位の娘たちが並んでいる。私、セレナ·グレイアは、この学園で常に高い評価を保つことを期待されている。
父の顔に泥を塗るわけにはいかない。
だからこそ私はカテリーナに忠誠を誓い、彼女の側近として振る舞っているのだ。
「今年の新入生はどうでしょうね」
隣の伯爵令嬢が小声で尋ねてきた。彼女は私の顔色を伺うようにチラチラと見ている。私がカテリーナのお気に入りであることは学園中に知れ渡っているからだ。
「さあ……特に目立つ家柄の新入生がいたとは聞いていませんが」
そう答えながらも内心では考えていた。今年もまた退屈な新学期が始まるのだと。
式典が開会されようとする頃、会場の空気が一変した。講堂の後方にある特別通路から第二王子クラヴィス殿下が登場したのだ。
金色の髪に白い肌。切れ長の目に整った顔立ち。クラヴィス殿下は誰よりも目立つ存在だった。ただそこにいるだけで周囲が畏敬の念に包まれるような威厳を放っている。
司会役の教師の声で式典が開始される。学園長の長々とした挨拶。伝統的な儀式。どれも形式ばっていて退屈だ。しかし今日の式典には特別な意味があった。
カテリーナが壇上に立つ時が来たのだ。
「新入生諸君、ようこそアルカディア学園へ」
カテリーナの凛とした声が講堂に響き渡る。彼女の演説は簡潔ながらも威厳に満ちていた。王国最高位の公爵家の娘としての自負が言葉の端々から滲み出ている。
「我が学園では実力と品格を兼ね備えた人材を育成する。身分に甘えず、努力を怠らないよう。そして最も大切にすべきは『慈悲』である。弱き者を助け、自らの力を民のために使うことこそが貴族の務め」
会場から拍手が沸き起こる。カテリーナは優雅に頭を下げると颯爽と壇上を降りた。その堂々とした姿に周囲の新入生たちから羨望の眼差しが注がれている。
「やはりカテリーナ様は素晴らしいですね」
隣の伯爵令嬢が溜息をつくように言った。
「そうね。公爵令嬢でありながら学業でもトップを維持している。尊敬するわ」
本当は「尊敬」などしていない。私はただ利用しているだけだ。
だが、そんな本音を表に出すわけにはいかない。カテリーナの側近であることは、この学園で生き残るための最善策なのだ。
「クラヴィス殿下のご挨拶です」
司会役の声で会場が静まり返る。王子が壇上に上がると、彼の存在感によって空間全体が引き締まった。
「新入生諸君、ようこそアルカディア学園へ。この学園は王国の未来を担う人材を育成する場所。皆が持つ才能を存分に伸ばし、いずれは王国のために尽力することを期待する」
王子らしい簡潔な挨拶。しかし王子の言葉はそれだけで特別な重みを持っていた。
その後も式典は粛々と進行し、ついに終了の時を迎えた。解散の号令がかかり、新入生たちが次々と講堂を後にする。私たち上級生も続々と退出していく。
だが私の視線は常にカテリーナの後ろ姿を追っていた。
「セレナ、行きましょう」
カテリーナの声に我に返る。彼女は既に出口へと向かっている。急いで追いつくと、彼女は既に上級生用のサロンへと向かっていた。
「今夜の懇親会は楽しみですね」
「ええ。新入生の顔ぶれを見る良い機会です」
実際にはそんなことどうでもいい。ただカテリーナに適切な返事をするのが重要なのだ。
廊下を歩きながら思う。この学園での生活はいつも変わらない。カテリーナを中心に回る社会。身分による序列。そして私がただ流されていく日常。
だが今年は何かが違うかもしれない。根拠はないが、そんな予感が胸をよぎった。
カテリーナが突然立ち止まる。彼女の視線の先にはクラヴィス殿下の姿があった。殿下もこちらに気づき、軽く会釈をする。
「今夜の懇親会でまた」
短い言葉を交わすと王子は立ち去っていった。
「やはり殿下は素敵ね」
カテリーナの目には明らかな憧れの色が浮かんでいる。クラヴィス殿下の妻の座を狙っているのは公然の秘密だ。
「本当に……殿下の聡明さは群を抜いています」
私の言葉にカテリーナは満足げに頷いた。
サロンに到着すると既に多くの上級生たちが集まっていた。それぞれに談笑したり、新聞を広げたりしている。学園での社交の場だ。
「セレナ、座りましょう」
カテリーナの隣に腰掛けるとすぐに会話が始まった。
「今夜の懇親会で気をつける新入生はいるかしら」
「特には聞いていませんね。普通の貴族の子供たちばかりだと思います」
「そう。まあ良いわ。何も起きない方が平和で良いもの」
その言葉に反論せず頷く。表面上は従順な態度を保ちながらも、私の脳裏には別の考えが渦巻いていた。
本当に退屈な日常。
ただ時間だけが過ぎていく。
このままでは私は一生カテリーナの影に隠れて過ごすことになる。
だが今夜の懇親会で何かが変わるかもしれない。根拠のない予感が強まるのを感じながら、私は窓の外に広がる春の景色を眺めていた。