17話:休暇中の遊び
学園に一時の休息が訪れた。長期休暇で多くの生徒が故郷へ帰省する中、俺たちは王都に残ることを選んだ。ライオネル曰く、「故郷なんて退屈な場所さ」とのことだが、俺にはわかる。彼はロゼッタの近くにいたいのだ。
「ねぇ、ちょっとお散歩しない?」
昼下がりの中庭でロゼッタが提案してきた。その声には有無を言わせぬ響きがある。彼女の侍女リリアナも付いてくるという。
「どこに行くつもりだ?」
ライオネルが尋ねる。
「秘密よ」
彼女は無邪気に微笑む。だが俺にはわかる。この笑顔の裏には何かある。
学園を出てしばらく歩いたところで奇妙なことが起きた。ロゼッタが小声で呪文を唱える。すると俺たちの体に不思議な感覚が広がる。
「何をした?」
ライオネルが聞くとロゼッタは小さく笑った。
「ただのおまじないよ」
◆
街の外れまで来たとき、不意に人影が現れた。十数人の男たちが武器を手にしている。
明らかに賊だ。
「動くな」
リーダー格の男が叫ぶ。その目はロゼッタを狙っていた。
「聖女を差し出せば命は助けてやる」
「あら」
ロゼッタが驚いたふりをする。だがその口元は僅かに吊り上がっている。
「残念だけど、あなたたちの運命は決まってるのよ」
瞬間、俺の体に異変が起きた。全身に力が漲る感覚。まるで鋼の鎧を纏ったような感じだ。
「これは……!」
ライオネルも同じようだ。彼の目が輝いている。
「さぁ、頑張って」
ロゼッタの囁きが聞こえる。これが先ほどの「おまじない」か。魔法のバフが掛かっているのか。
「行くぞ!」
ライオネルが先陣を切った。彼の剣さばきはいつもの倍速い。
俺も続き賊に向かう。驚くほど力強く剣を振るえる。しかし数が多すぎる。食い止めるので精一杯だ。
突然鋭い風切り音がした。リリアナの姿が消えている。と思った瞬間、血飛沫が舞う。
「ぎゃあああっ!」
断末魔の叫びが響き渡る。リリアナが両手の短剣で賊を次々と屠っていく。その動きは恐るべき速さで、まるで悪魔のようだ。
「な……何が……」
目の前で繰り広げられる虐殺に言葉を失う。彼女は躊躇なく命を奪っていく。
「止めて!」
思わず叫ぶが彼女の手は止まらない。やがて地面には無数の遺体が転がっていた。
「これで終わりかしら?」
ロゼッタが冷静に言う。その声には恐怖の欠片もない。
「お嬢様、お怪我はございませんか」
リリアナが平然と戻ってくる。手にした短剣には血が滴っている。
「ありがとうリリアナ。上出来よ」
ロゼッタの賞賛にリリアナは静かに頭を下げる。その顔には感情が読み取れない。まるで人形のようだ。
「さて、これで敵の正体がわかったわ」
ロゼッタが言う。だが俺にはさっぱり理解できない。
「どうしてわかるんだ?」
ライオネルが代表して質問する。
「ふふっ」
ロゼッタが意味深に笑う。その表情に背筋が凍る。彼女は何かを知っている。それも普通では知り得ないことを。
「行きましょう」
ロゼッタが歩き出す。俺たちは黙って従うしかない。彼女の後ろ姿には不思議な威圧感があった。
◆
辿り着いたのは意外な場所だった。王都の郊外にある学園からも遠くない隣領、オルリアン領の商人ギルド。
「ここが目的地?」
ライオネルが困惑した表情で尋ねる。
商人ギルドと賊の襲撃がどう繋がるのかわからない。
「そうよ」
ロゼッタは躊躇なく扉を開ける。内部は静まり返っている。通常なら活気のある商人たちの姿は見当たらない。
「皆様、こんにちは」
彼女の声が広間に響く。すると奥から数人の男たちが現れた。彼らの表情には緊張が走っている。
「これは驚いた。聖女様がこのような場所へご来訪とは」
一番年配の男が言う。その目は驚きと警戒が混じっている。
「あら、全て知ってる人がいるじゃない?!…ここまで来て良かったわ!」
◆
「全員殺してしまったわね」
ロゼッタの言葉が静寂を破る。広間には商人たちの血が床に広がっていた。リリアナの短剣からは滴る赤が光を反射している。
「ギルド長だけ連れて行きましょう」
ライオネルと俺で老齢の男を抱え上げる。既に脈はない。重い。生身の人間の重みを感じながら階段を上がる。
「ギルド長の部屋はこっちよ」
ロゼッタが先導する。その足取りは軽やかだ。まるでピクニックにでも行くかのように。
部屋に辿り着くとロゼッタがドアを開ける。
「さて、二人とも外で待っててくれる?」
「え?でも……」
「お子様たちには刺激が強すぎるわ」
ロゼッタの微笑みに圧されてしまう。ライオネルも黙って頷く。
部屋の中で何が起こっているのか想像もつかない。ただ遠くで悲鳴のようなものが聞こえる。
「なにをやってるんだろう……」
ライオネルが不安げに呟く。その声が震えている。
時間はゆっくりと過ぎていく。
悲鳴が聞こえては途切れ、また聞こえては絶える。
「おい……これって……」
ライオネルが青ざめる。俺も同じだ。拷問が行われているのは明らかだ。
突然ドアが開き、ロゼッタとリリアナが出てくる。二人とも微笑んでいる。リリアナの手には血濡れのファイルがある。
「終わったわ」
ロゼッタの声は弾んでいる。
「もう大丈夫よ」
「一体何を……」
言いかけて言葉を飲み込む。ロゼッタの目が警告している。
「ただの、大人の遊びよ」
ロゼッタはそれ以上説明しなかった。その背後でギルド長が青白い顔で立っている。彼はまるで魂を抜かれたようだ。
◆
それから数日間、似たような光景が繰り返された。
各地の要人宅や秘密施設を訪れ、ギルド長のように恐怖で心を折っていく。
「もう十分ではないですか?」
ある夜、リリアナが静かに言った。
「私から王国への報告が途絶えれば怪しまれます。そろそろ報告を上げに戻った方がよろしいかと」
「そうね。一旦学園へ戻りましょう」
俺は息を飲んだ。リリアナの言葉に違和感がある。
「王国への報告……?」
「あら」
ロゼッタがこちらを振り返る。その表情には微塵の動揺もない。
「リリアナは私のお友達よ。決して、私を監視するために侍女のフリをしている王国の犬なんてことは無いわ。ねぇ?」
ロゼッタは笑顔を浮かべているがその目は笑っていない。リリアナの肩が一瞬震えた。
「そうですね……申し訳ありません。」
リリアナの声は冷静だったが、わずかに震えている。
「……私はただのお友達です」
その言葉の裏にどんな意味が隠されているのか。俺には理解できなかった。
あの事件から数日が過ぎた。
学園に戻ると、奇妙な噂が流れていた。
「聞いたか? オルレアン領とグレイア領の不正が全部バレたらしいぞ」
「ああ。なぜか急に大量の自首者が出てきたって」
「しかも証拠が山ほど見つかったらしい」
朝の教室で貴族たちが小声で話し合っている。彼らの表情には明らかな動揺が見て取れる。
「なんでも関係者全員が口を揃えて『怖い夢を見た』とか言ってるそうだ」
「怖い夢?」
俺は首を傾げる。ライオネルも怪訝な顔をしている。
「さっき聞いた話だと、オルレアン公爵もグレイア伯爵も逮捕されたらしいぞ」
「そんな……」
学園内の権力者たちがざわめき始める。カテリーナの姿は既に数日前から見えなくなっていた。
噂では謹慎処分を受けたとされているが、詳細は不明だ。
「オルレアン家もグレイア家も今の地位を維持するのは難しくなるだろうな」
誰かが呟く。その言葉に教室が静まり返る。貴族社会では没落のニュースは他家への牽制にもなる。
「聖女様の力ってすごいわよね」
「これも彼女の恩恵なのかしら」
女生徒たちが囁き合う。その目には明らかに崇拝の色が浮かんでいる。
「まるで聖女様が奇跡を起こしたみたい」
「お二人の苦しみに慈悲を与えたのでしょう」
女子たちの期待に満ちた視線が教室内を巡る。その中心には今不在のロゼッタの姿がある。
「ロゼッタはどこに行ったんだろう」
俺たちは、ロゼッタの行方を知る由もなく束の間の平和を過ごしていたのであった。
あっさりボスを倒してしまいました。