13話:お茶会
学園の一室が特別なお茶会のために設えられていた。テーブルには上質な陶磁器が並び、花々が香りを添えている。上座にはカテリーナが鎮座し、その両側を伯爵以上の令嬢たちが固めている。まさに序列がはっきりした配置だ。
「セレナ、あの娘は?」
カテリーナの問いに私は微笑んで答える。
「今お迎えに上がりました」
廊下の先に銀髪の少女の姿が見えた。彼女は案内役に従ってゆっくりとこちらにやってくる。その澄んだ瞳。完璧な佇まい。どこか危険な雰囲気が漂っていた。
「お招きいただきありがとうございます」
ロゼッタはカテリーナの前で優雅に礼を取った。その姿には屈託がない。まるで親しい友人の家に招かれたかのように自然だ。
カテリーナの唇が微かに歪むのが分かった。この態度が気に入らないのだろう。
「あら。あなたはロゼッタさんね。こちらの席へどうぞ」
カテリーナが示したのは会場の隅、孤立した小さなテーブルだった。意図的な配置に他の令嬢たちがクスクスと笑う。私は微笑みを絶やさぬよう注意しながらその様子を観察した。
ロゼッタと一瞬だけ目が合った。その瞬間、彼女は何かを見透かすような微笑みを浮かべ、「ありがとうございます」と言って席についた。
まるで何も問題ないという風に。
(なぜ怯えない?)
私の心に小さな不安が芽生える。普通ならこの待遇に萎縮するはずだ。それが今日の『教育』の第一歩だったはずなのに。
「さあ皆様、お茶会を始めましょう」
カテリーナの合図で給仕たちが動き出す。高級なお茶が順に注がれていく。だがロゼッタの席には誰も近づかない。最後に私が彼女のところへ歩み寄った。
「ごめんなさいね。こちらには注ぐ者がいなくて」
そう言いながら私の手で茶を注ぐ。もちろん特別に用意した"お茶"だ。濃い液体が陶器を満たしていく。そのツンとしたアンモニア臭に顔をしかめそうになる。
「どうぞ。特製のハーブティーですわ。」
ニコリと微笑む。このお茶の中身を知っているのは私とカテリーナだけだ。他の者たちは普通のお茶だと信じているだろう。
ロゼッタの反応を窺う。
彼女は一瞬だけ茶を見つめ、それから天使のような微笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。とても香りがいいですね」
そう言ってロゼッタはカップを手に取った。周囲の視線が集まる中、彼女は優雅に口元へ運ぶ。
ゴクリ……
音が聞こえるほど大きく一口を飲んだ。まさか本当に飲むとは思わなかった。私は思わず目を見開いた。
「おいしいです。セレナさんのお心遣いが感じられます」
カテリーナの顔が青ざめたのが分かった。
「で、でしょ?とっても独特な味わいですよね。お気に召したようで何よりですわ」
慌てて取り繕う。
どうして平気でいられるんだろう。
「セレナ様、他にも何か変わったお茶はありますか?私、ハーブティーは大好きなんです」
ロゼッタは、まるで何事もなかったかのように平然としている。
本当に気づいていないのだろうか。いや、あり得ない。あの匂いと味に気づかないはずがない。
カテリーナの冷たい目線が突き刺さる。計画が完全に狂ってしまった。なんとか挽回しなければ。
私は次の手を考えながら、「あら、それは嬉しいわ。ぜひ後で淹れて差し上げますわ」と返答した。
ロゼッタは満足げに頷くと、再びカップに口をつけた。その動作は完璧に洗練されており、場違いな状況の中で不気味なほどの調和を見せている。
(おかしい……何かがおかしい)
私は混乱しながらも平静を装い、自分の席に戻った。カテリーナの視線が鋭く私を刺している。
「セレナ……何を遊んでいらっしゃるの?」
カテリーナの低い声が耳元で囁かれる。
「申し訳ありません。想像以上に肝が据わっているようです」
小声で答える。カテリーナの眉が吊り上がる。
「まだ教材はあるのでしょう?」
「もちろんです。次は特別なお菓子をご用意してあります。」
そう告げるとカテリーナの表情が僅かに緩む。この失態を取り返さなければならない。
給仕が差し出したのは特製のマドレーヌ。美しい焼き色だが、その中には強力な下剤が混ぜ込んである。
「さあ皆様。こちらのお菓子もどうぞ」
カテリーナの声に応じて令嬢たちが皿を受け取る。そして自然な流れでロゼッタの前にも置かれた。
マドレーヌが全ての令嬢たちの手元に配られた。黄金色に輝く焼き菓子からはバターの豊かな香りが漂い、誰もがその美味しさを期待している様子だった。
「あら素敵」
ロゼッタがうっとりとマドレーヌを見つめる。彼女の声には純粋な喜びが感じられた。
「さあどうぞ。召し上がってください」
カテリーナの声に促され、令嬢たちが次々とマドレーヌを口に運んでいく。もちろんロゼッタも例外ではない。彼女は優雅な手つきで一口サイズに割り、その半分を口に含んだ。
「美味しい!」
感嘆の声が上がる。確かに見た目も香りも味も最高のマドレーヌだ。ロゼッタはゆっくりと二口目を味わっている。
「実はこのマドレーヌは全てカテリーナ様の領地で生産された材料が使われております」
私が話し始める。
すぐに下剤の効果は表れるだろう。長い説明をすれば必然的にロゼッタの離席が遅れる。上級生が話している最中に離席する失礼はできまい。
彼女が我慢できなくなるまでの時間を稼ぐ必要があるのだ。
「カテリーナ様のオルレアン領では長きに渡り良質な小麦と……」
言葉を紡ぎながらロゼッタの様子を窺う。彼女は微笑みを浮かべたまま私の話を聞いている。
「……そして完成したマドレーヌは王室の祝宴で必ず提供されるのです」
話の途中で私は故意にカテリーナと目を合わせた。彼女は微かに頷く。計画は順調だ。もうすぐロゼッタが我慢できなくなって……。
しかし一向にその兆候は現れない。むしろ彼女は満足そうに三口目を楽しんでいる。一体どうしたというのか。
「……オルレアン領の一流の菓子職人の考案したこのレシピを…」
話が終わろうとしている。もうロゼッタの離席を待つ時間がなくなってしまう。焦燥感が募る。
そのとき唐突に悲鳴が上がった。
「あぁ!」
視線を向けると一人の伯爵令嬢が椅子から転げ落ちそうになっている。彼女は必死に腹部を抑えながら苦悶の表情を浮かべている。
「何事!?」
カテリーナの声が響く。周囲の令嬢たちが驚いて立ち上がる。
「私……お腹が……」
その言葉が合図のように次々と異変が起き始める。
令嬢たちが口元を押さえたり、床に膝をついたりし始めたのだ。中には堪えきれず床に倒れ込む者もいる。
「皆様!どうされました!?」
私の声は混乱に飲み込まれた。何が起きているのか全く理解できない。予定ではロゼッタ一人が苦しむはずだったのに。
「どうしましょうセレナ様!」
近くの令嬢が私に縋りつく。彼女の顔色は青ざめている。
「落ち着いて!侍医を呼んで!」
私は必死に指示を出すが、惨状は刻一刻と悪化していく。一人また一人と崩れ落ちていく令嬢たち。
何人かが這うようにして部屋を出ていく。そしてすぐに戻ってくる。
「お手洗いが…壊れておりますわ…」
「もう我慢の限界が……」
中にはその場で粗相をしてしまう者もいた。
「あぁっ!ユミール様が倒れて泡を吹いています!」
「こちらも!クロエ様とリネット様が倒れて痙攣しています!」
床に倒れ伏した令嬢たちが呻き声を上げる。その悲惨な光景を前に私は言葉を失った。
阿鼻叫喚と化した会場で、カテリーナと私だけが立っていた。彼女の唇は震え、目には怒りと恐怖が混在している。
「どうして……皆が……」
私の声は震えていた。計画ではロゼッタ一人を標的にするはずだったのに。なぜこんなことに?
「セレナ……これはどういうことですの?」
カテリーナの声は氷のように冷たい。彼女の目は私を射貫くように睨みつけている。まるで裏切り者を見るかのような視線だ。
「申し訳ありません……分かりません。このような事態は想定していませんでした」
必死に弁解するが彼女の表情は和らがない。計画が露呈したら私の首も飛ぶ。なんとかこの状況を収めなければ。
「とにかく、言い訳は後で聞くことにしますわ!とにかく重傷者を優先して介抱して」
私は倒れている令嬢たちに駆け寄った。一番近いところで泡を吹いているユミール嬢の呼吸を確認する。辛うじて意識はあるようだ。
その時ふと気づいた。
ユミール、クロエ、リネット、この会場で泡を吹いて痙攣している重傷者は皆、私の手足として飼い慣らしてきた令嬢だけではないか。
これが偶然なはずがない。これは明らかに、私を標的とした攻撃だ。
なぜこのような事態になったのか。下剤入りマドレーヌは私自らが用意し、ロゼッタにだけ提供したはずなのに。
ふとロゼッタの存在を思い出し、慌てて視線を巡らせる。
「セレナ様」
その声にハッとして振り向くと、ロゼッタがいつの間にか私の後ろに立ち、微笑みを浮かべていた。その落ち着いた口調はあまりにも場違いだった。
「わたくしも少々……お腹の調子が悪くなってまいりましたわ」
彼女は申し訳なさそうにお腹に手を当てている。
「本当はセレナ様に…先程のお茶の淹れ方を、皆様の前で披露していただきたかったのですが……」
その言葉に、私の背筋が凍りついた。
彼女は、全てを知っている。これは彼女が仕組んだテロに違いない。しかも、無関係な令嬢達を全て巻き込んでの。
全て知った上で、尿のお茶を飲み干し、下剤入りのマドレーヌを食した。
それでも体調が悪くなったようには見えない。何らかの対策をしてきたのだろうか。
そしてわざわざ私の目の前まで来て、皆の前でお茶の淹れ方を披露して欲しかったと言う。
その言葉はもしかすると、「彼女がそう計画していたら、新入生達の前で粗相をしていたのは私1人だった」ということではないのか。あるいは「私1人が毒で死んでいた」可能性もある。
そう暗に警告しているのではないか。
「今日はこれで失礼いたします。お体を大切になさって下さいね」
ロゼッタは優雅にお辞儀をして踵を返した。
「侍医はまだですの?」
カテリーナの問いかけに答えられる者はいない。通常であればとっくに到着しているはずだ。何かがおかしい。
その時扉が勢いよく開いた。入ってきたのは白衣を着た侍医ではなく、白い制服を纏ったクラヴィス殿下だった。
「何事だ!?」
彼の声が部屋中に響き渡る。王子の登場に一瞬安堵の表情を浮かべた私だったが、すぐに表情を引き締めた。状況は最悪だ。
「クラヴィス殿下!これは……その……」
カテリーナが言葉を詰まらせる。彼女の額には汗が滲んでいる。
クラヴィス殿下は瞬時に状況を把握したようだ。彼の視線が部屋中を素早く巡る。
「これは一体……皆はどうしたのだ?」
厳しい眼差しが私たちに向けられた。
「殿下、これは誤解ですわ!」
カテリーナが必死に訴える。
「このお茶会は単なる歓迎のためのものです。決して毒など……」
「ならなぜ皆が倒れている?」
その質問に言葉を失う。正直に話せば私たちの立場は危うくなる。しかし嘘をつくのも難しい。私はカテリーナと目を合わせた。彼女は小さく首を振っている。
「殿下……どうか私たちを信じてください。私たちは何も知りません。ただお茶会を開いただけなのです」
クラヴィス殿下の表情は厳しいままだ。彼の視線が床に倒れる令嬢たちへと向けられる。
「重傷者を介護室に運んでくれ!」
殿下の指示に従い侍従たちが慌ただしく動き始める。
「カテリーナ。セレナ」
殿下の声が重く響く。
「今回の件については詳しく調べさせていただく。君たちの潔白を信じたいが……」
彼の視線が部屋中を見回す。被害を免れたのは私とカテリーナのみ。傍目には私たちが犯人であるかのように見えても仕方ない。
「皆の容体が安定したら話を聞かせてもらおう。それまでは謹慎を命じる」
殿下の決定に私は唇を噛み締めた。
「畏まりました」
カテリーナが静かに頭を下げる。私もそれに倣った。
部屋を出る殿下の背中を見送りながら、私は心の中で呟いた。
(これは……罠だ)
しかし誰がどうやって仕掛けたのか。ロゼッタはお腹が痛いとは言っていたが嘘だろう。何の確証もないがロゼッタが仕組んだとしか思えない。あの冷静な微笑みを思い出すと背筋が寒くなった。