12話:寮の裏手で
「ロゼッタから呼び出しか……」
夕暮れの空が赤く染まる中、俺はライオネルと校庭を歩いていた。ポケットには彼女からの手紙が入っている。「放課後、東寮の裏手で待ってる」とだけ書かれた簡素なものだ。
「ああ。何か重要な話らしいな」
ライオネルの赤茶色の髪が風に揺れる。その表情には不安よりも好奇心が勝っているように見えた。
「最近の彼女はどうも変だ」
「確かに。あのカテリーナ嬢たちの嘲笑にもまるで平気だし」
俺は腕を組み考え込んだ。ロゼッタの態度が以前と違うことがずっと引っかかっていた。
東寮に近づくにつれ、異変を感じた。周囲の気配がおかしい。茂みの陰から複数の気配がする。ライオネルも気付いたようで、腰の剣に手をかけた。
「アベル……これは罠じゃないか?」
「ああ。どうやら、まんまと罠に飛び込んでしまったようだ」
その瞬間、茂みから十数人の影が飛び出してきた。全員が騎士科の制服を着ている。手には木刀を持ち、明らかに害意を抱いていた。
「フィルクス男爵家の犬ども!ここは貴様らの居場所ではない!」
先頭に立つ金髪の男が叫ぶ。奴は確か伯爵家のボンボンだ。
「おいおい……何のつもりだ」
ライオネルが呆れたように肩をすくめる。
「田舎の平民如きが、この学園を我が物顔で歩くな!」
男が木刀を振り上げる。
他の連中も一斉に襲いかかってきた。
「クソッ!」
ライオネルが剣を抜こうとした瞬間、金髪の蹴りが炸裂した。ライオネルは地面に転がり込む。
俺も後ろから掴みかかり、剣を奪おうとする男を振り払う。しかし人数の差は圧倒的だ。
「貴様らみたいな下賤の者が……」
拳が俺の顔面を捉える。鋭い痛みと共に視界が揺らぐ。喉元に木刀が突きつけられる。
呼吸ができない。
「アベル!」
ライオネルの叫び声が遠くで聞こえる。何人かに押さえつけられ、地面に倒される。
「お前らなんかがこの学園にいていいと思うなよ!」
男たちが俺の腹を蹴り上げる。鈍い衝撃に息が詰まる。
何度も何度も殴られ蹴られ続けた。意識が朦朧としてくる。
(クソ……貴族共め……)
薄れゆく視界の中、金髪の男の顔が歪んでいく。
どれくらい時間が経っただろうか。やがて男たちの哄笑が止み、足音が遠ざかっていく。
俺は虫の息で地面に横たわっていた。全身が鉛のように重い。
ライオネルも俺の隣で意識を失っているようだ。服は破れ血だらけで、顔は腫れ上がっていた。
「酷い有様ね。そんな実力で、私のこと、守れるのかな?」
その声に顔を上げると、月明かりの中に銀髪が浮かび上がっていた。ロゼッタだ。いつもの儚げな表情のまま立っている。
「ロ……ゼッタ……」
血の塊が口から零れ落ちる。ロゼッタはゆっくりと俺たちに近づいた。
「貴族のやり方が分かった?これがあなたたちの生きる世界よ」
ロゼッタの声は甘美でありながら冷酷だった。
ロゼッタが俺の傷口に手を当てる。暖かい光が傷を包み込む。聖女の回復魔法だ。驚くほど急速に痛みが消えていく。
「ロゼッタ……お前……」
ライオネルが呻くように言う。彼も回復されているようだ。
「ふふっ。ちょっとは勉強になったでしょう?」
ロゼッタは背を向ける。
「この学園の支配者カテリーナに目を付けられて…、フィルクス領がこの後どういう目に遭うか……分かるかしら?」
ロゼッタの声が闇に溶けていく。
「クソッ……」
ライオネルが拳を握り締める。
「俺たちは……何ができるっていうんだ……」
俺は痛みの消えた体を起こした。
「少なくとも……このままじゃフィルクス領は……」
ライオネルの目に怒りの炎が灯る。
「これからの身の振り方をよく考えることね」
そう言ってロゼッタは去っていった。その背中はどこか満足げに見えた。
俺は空を見上げた。星の瞬きが涙で滲む。
貴族社会の醜さと残酷さを骨身に沁みて感じた夜だった。そして同時に、ロゼッタの真意を疑い始めるきっかけにもなった。