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9/13

ありがとう



数日のあいだ、私はロイ様と共に兵糧や物資の記録を整理していた。

兵士の人数、馬の頭数、矢や剣の在庫、干し肉や穀物の残り――。

乱雑に書きつけられた帳簿を整えるだけで、次に何を準備すべきかが一目で分かるようになる。



ロイ様が黙々と帳簿を受け取りながら、ふと呟いた。



「……なるほど。兵糧の動きが一目で分かる。これなら兵も無駄に迷わず済みます」



短い言葉だったが、確かに認められていると感じた。



---



その日の夕刻。

私は厚い帳簿を抱え、ロイ様の後ろを歩いて執務室まで向かった。

夕日が差し込む石造りの廊下は赤く染まり、窓の影が長く伸びる。



「……緊張しているのですか?」



歩きながら、ロイ様が横目で私を見てきた。



「えっ……はい、少し。私のしたことが本当に役立っているのか、不安で……」



「大丈夫です。あなたに整理してもらわなければ、今も数字の山を前に唸っていたでしょう」



淡々とした声。だが、それだけで心が軽くなる。


ロイ様は執務室へと入っていった。

私は次の指示を待つ為に、廊下で待つだけだった。



(本当にお役に立てているのだろうか……)



胸に浮かぶ不安を振り払うように、深呼吸をする。

そのとき、扉の向こうからほんのかすかな声が聞こえてきたような気がしたが、内容まではわからなかった。



---



――執務室では。



ロイが机の上に帳簿を置き、短く告げていた。



「整理が済みました。……彼女が手を入れました」



ダリウスは黙って資料を手に取り、目を通す。

紙をめくる音が静かに響き、重い沈黙が流れた。



「……見やすいな」



低く、短い言葉。

けれどその声音に、確かな満足がにじんでいた。


ロイがさらに言葉を添える。



「兵も村人も、これで迷わず動けるでしょう。補給の段取りも立てやすくなります」



ダリウスは帳簿から視線を上げ、ロイを見やった。



「……よくやった」


「それは彼女に」


「わかっている」



短いやりとり。

だが、ダリウスの表情は、どこか誇らしげだった。




---


翌日。

廊下で新たな帳簿をまとめていると、不意に声がかかった。



「……少しいいか」



振り向けば、そこにダリウス様が立っていた。

鋭い灰色の眼差しに、思わず背筋が伸びる。



「この記録、君が整理したのだな」


「は、はい……」



声が震えそうになる。


彼は手元の帳簿を指で叩きながら言った。



「数字の流れが一目で分かる。これなら誰でも確認できるだろう」


「……あの、至らない部分も多いかと……」



思わず視線を落とすと、彼は一歩近づいて低く言った。



「いや、助かった。ありがとう」



(……ありがとうって……私に?)



短い一言。だが、それは確かに私に向けられたものだった。

胸が熱くなり、視界が滲む。



「……光栄です」



どうにか声を絞り出し、深く頭を下げた。


ダリウス様はそれ以上何も言わず、背を向けて去っていった。

だが、その広い背中がいつもより少し近く感じられた。



---



その夜。

寝所の蝋燭の炎を見つめながら、私は頬をそっと指でなぞった。

かすかに濡れている。

涙を流していたのだと、そこでようやく気づいた。



(……初めて……「ありがとう」って……)



王都では、努力しても「当然」としか言われなかった。

報われることはなく、誉められることもなかった。


けれど、ここでは違う。

「ありがとう」とたった一言。

それだけで、これまで積み重ねてきた日々が無駄ではなかったと、初めて思えた。


胸の奥に小さな光が灯る。

それはまだ頼りなく、吹けば消えてしまうかもしれないほど弱々しい。

けれど確かに、暗闇を照らす光だった。



---

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