表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/15

努力の行方



朝、鳥のさえずりと風の音で目が覚めた。

王都では鐘の音と侍女たちのざわめきで一日が始まったものだ。

けれどここでは、自然の音だけが静かに朝を告げている。



(……そうだ……私は追放されてヴァルト辺境に来たんだ……)



胸の奥に小さな痛みが走る。

けれど同時に、不思議な安らぎもあった。

王都の息苦しい空気は、もうここにはない。



---



食堂に入ると、焼きたての黒パンと温かなスープ、そして香ばしく焼かれた川魚が並べられていた。

素朴だが心を満たす食事。

その正面に、いつもの鋭い眼差しをしたロイ様が座っていた。



「お加減はいかがですか、ご令嬢」



低く抑えた声に、背筋が自然と伸びる。



「……はい、大丈夫です」



私の短い返答に、彼は軽く頷いた。



「慣れぬ土地でしょうが、心配は要りません。ダリウス様が認めた方です。……もっとも、我々はまだあなたのことを知りませんが」



探るような声音に、胸がひやりとする。



(……知られていないだけ。けれど、もし知られたら……?)



不安に押し潰されそうになった。

けれど、その一方で思ってしまう。



(せめて……ここで、何か役に立てることを見つけなければ……)



---



朝食を終えると、私は思い切ってダリウス様に声をかけた。

広間の卓上に広げられた地図から、彼の灰色の瞳がゆっくりとこちらに向けられる。



「あの……私、何かお手伝いできることはありませんか?」



彼の眉がわずかに動いた。



「手伝い?」


「はい。ここに置いていただくのに、何もせずにいるのは心苦しくて……。王都で学んだことが、少しでもお役に立つのなら」



自分でも驚くほど、声は震えていなかった。

必死さが、そのまま言葉になったのだ。


ダリウス様は腕を組み、じっと私を見つめ、それから低く笑った。



「王都で……か。なるほど、無駄にするには惜しい知識だな」



「……はい」



王都では、努力しても誰も振り向かなかった。

でも、ここなら――。



「ならば、領内の帳簿を見せよう。物資の管理や税の収支をまとめるのはロイが担っているが……一人では手が足りん。お前の知識があれば助かるだろう」



「……はい、ぜひ」



胸の奥に小さな灯がともった。

ここでなら、学んだことを「役立てられる」かもしれない。



---



午後。

初めて広げた領地の帳簿は、思わず息を呑むほど乱雑だった。

羊皮紙に走り書きの数字が並ぶが、物資の出入りは曖昧で、収支は追いきれない。



(……これでは正確な収支が分からない。でも……整理すれば)



王妃教育で叩き込まれた記録の仕方を思い出し、私は数字を並べ直し始めた。

慣れない羽ペンで指はすぐに痺れたが、それでも筆を止めなかった。



「……こうして数字を並べるだけで、こんなに見やすくなるものなのですね」



作業を覗き込んだ侍女が目を丸くして言った。



「王都ではこのやり方が主流でした。けれど、ここのやり方とは違うので……これでも大丈夫ですか?」



思わず問い返すと、侍女は笑みを浮かべてうなずく。



「もちろんです。私たちは数字に弱くて……助かります」

「いつもロイ様に負担をかけてしまっていて……」



彼女の笑顔に、胸の奥がじんと熱くなる。

王都では努力しても「当然」としか言われなかった。

ここではただ「助かる」と言ってもらえた。



(……本当に、役に立てているの?)



疑いと喜びが入り混じり、胸が震えた。



---



夕暮れ。

空が赤く染まる頃、広間に入ってきたダリウス様の視線が机の上に止まった。

整然と並べられた数字の列を見て、彼の目がわずかに細められる。



「……ずいぶん見やすくなったな」



「はい。形式を揃えて記録すれば、誰が見てもすぐ分かるようになります」



「ふむ。さすがだな。……やはり、連れてきて正解だった」



淡々とした声。

けれど、その一言に胸が大きく跳ねた。



(……正解……。私がここにいて、正解……?)



誰からも否定され続けた私にとって、それは初めての「救い」だった。



---



こうして私は、辺境での新しい役割を見つけ始めた。

王妃になるために積み上げた日々は、無駄ではなかった。

その事実に気づいたとき、胸の奥に小さな光が生まれたのを――私は確かに感じた。




---

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ