出逢い
「……あなたは……」
月光に照らされた外套が、夜風をはらんでひらめいた。
顔は半分影に隠れていたが、その双眸だけは鋭く光り、路地全体を貫くようだった。
「な、なんだテメェ!」
「邪魔すんなよ!」
酔漢たちが怒声を上げる。
しかし、その叫びがかき消されるように、硬質な金属音が夜に響いた。
男の腰に佩かれた剣が、わずかに鞘から抜かれ、銀色の刃が月光を跳ね返す。
「……まだ続けるのなら」
冷ややかな声音に、酔漢たちは怯んだ。
互いに顔を見合わせ、舌打ちを残して、足早に路地の闇へと消えていく。
残されたのは、静寂と私の荒い呼吸だけだった。
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「……怪我はないか」
低く落ち着いた声が、胸の奥に響く。
振り返ったその瞬間、私は言葉を失った。
月明かりを映した彼の瞳は、深い灰色に輝いていた。
冷たさと同時に、不思議な温かみを秘めた光に射抜かれ、体が強張る。
「……あ、あの……助けていただき……ありがとう、ございます……」
声は震えていた。
恐怖と安堵が交錯し、喉が乾いてうまく言葉にならない。
けれど、彼は何も問わず、無言で外套を脱ぎ、私の肩にそっと掛けた。
「……冷えている。しばらくはこれを羽織れ」
布地の厚みと残された体温が、じんわりと肩を包み込む。
凍えていた指先まで温もりが広がり、呼吸が少しずつ整っていった。
(……どうして、この人は……私なんかに……)
婚約者にも、家族にも見放され、誰からも不要とされたこの身に。
こんな風に手を差し伸べてくれる人がいるだなんて。
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「名は?」
彼は私を見下ろし、静かに尋ねた。
短い問いかけ。だが、その一言に逃げ場を失った気がした。
一瞬、答えることをためらう。
エレナ・エヴァンス――その名は今や、王都で嘲笑と侮蔑を集める烙印に等しい。
名乗った途端、この人もまた私を突き放してしまうかもしれない。
けれど、偽ることはできなかった。
「……エレナ、と申します。……エヴァンス公爵家の……娘、です」
口にした瞬間、胸が痛んだ。
しかし、彼の表情は動かなかった。驚きも、嘲りもない。
ただ淡々と受け止めるように、灰色の瞳が私を映していた。
その無反応が逆に胸を締め付ける。
耐えきれず、私は震える声で言葉を付け足した。
「……もう、公爵家の者では……ありませんが」
その瞬間、視界が涙で滲んだ。
あまりにも惨めな自己紹介に、情けなさが込み上げる。
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彼は一歩、近づいた。
思わず私は後ずさる。
けれど彼は手を伸ばすこともなく、ただ静かに告げた。
「そうか。……ならば、なおさら一人で歩くべきではない」
その声音には責める色はなく、むしろ当然の忠告のように穏やかだった。
「行くあては?」
「……ありません」
その答えを口にした途端、胸の奥の空洞が広がる。
行く場所もなく、帰る場所もない。
それを言葉にした瞬間、心の堰が切れ、涙が頬を伝った。
彼はしばらく黙して私を見つめていた。
やがて、小さな吐息をつき、背を向ける。
「……ならば、しばらく俺が預かろう」
「……え?」
振り返った彼の横顔は、やはり冷静だった。
「俺の名は、ダリウス・ヴァルト。ヴァルト辺境領を治める者だ」
その名を耳にした瞬間、背筋が凍る。
ヴァルト辺境――王都から最も遠く、ガルディア帝国と接する危険地帯。
人々が「血塗られた戦場」と恐れ、誰も近づきたがらない地。
噂に聞く領主は苛烈で冷酷だと囁かれていた。
だが今、私の目の前に立つ彼は――確かに違っていた。
「なぜ……私なんかを……」
掠れる声で問う。
すると彼はほんの一瞬だけ視線を伏せ、短く答えた。
「見て見ぬふりが嫌いなだけだ」
ただそれだけ。
余計な飾りもなく、打算もなく。
なのに、胸の奥が熱くなる。
声を聞いただけで、溢れる涙を止められなかった。
私は小さく頷き、震える声で答える。
「……お世話に……なります……」
こうして私は、すべてを失った夜に――。
新たな運命を運ぶ人と出会ったのだった。
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今回以降は毎日17時に更新予定です!
30話くらいで完結予定なので、どうか最後まで生温かく見守って下さい




