確かな絆
季節は移ろう――
長い冬を越えて、辺境の大地にも柔らかな緑が芽吹きはじめた。
雪に閉ざされ、戦火に焼かれた荒涼たる風景はもう過去のものとなり、今は若葉が枝を揺らし、畑には農夫たちの笑い声が響いている。かつて傷跡ばかりだった砦の石壁には白布が翻り、新しい木造の建物が立ち並び、まるで町そのものが息を吹き返したようだった。
その中心に築かれた白石の政庁――人々は「辺境の礎」と畏敬を込めて呼んだ。
今日は、その広間で大きな式典が行われる。
この地がもはや王都の辺境伯領ではなく、独立した国家として歩み出す日。
式典は、未来を象徴する始まりであり、同時にこれまで流した血と涙の結晶でもあった。
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壇上に立つダリウス様の姿を見つめ、私は胸の奥が熱くなるのを感じていた。
あれほど荒れ果てていた地をまとめ、民を導き、幾多の戦いをくぐり抜けてきた彼。
その背は堂々としていて、もはやただの「辺境伯」ではなかった。
「――我らは辺境伯領ではなく、自由なる民の国として歩み出す」
低く、しかし力強い声が広間に響く。
その言葉に人々は一斉に沸き立ち、兵士は槍を掲げ、民は手を叩いて涙を流す者もいた。
「誰の犠牲にも寄らず、誰の影にも縋らず――この地を守るのは、我ら自身だ」
ああ、これが新しい歴史の始まりなのだと、私は実感した。
辺境に追放されたはずの私が、その瞬間に立ち会っていることが信じられないほどだった。
民の歓声の中で、私は何度も人々の視線を感じた。
王都から追われた公爵令嬢――かつてそう囁かれていた私は、人々から不思議と温かな眼差しを受けていた。
それは嘲笑や憐れみではなく、信頼と敬意のまなざしだった。
「エレナ様がいてくださるから」
「我らの国はきっと、大丈夫だ」
民の声が広がり、胸の奥が震える。
王都では決して得られなかった言葉。否定され、疎まれ、居場所を失った私が、今こうして人々に必要とされている。
その事実が、涙がこぼれそうになるほど嬉しかった。
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式典が終わり、夕暮れが砦の庭を赤く染める。
人々の喧騒が遠ざかり、花壇の草花が夕風に揺れている。
私は一人、深く息を吐きながら胸の高鳴りを鎮めようとしていた。
そのとき、背後から足音が近づく。
振り返らずともわかる。――彼だ。
「……今まで本当によくやってくれた、エレナ」
低い声が、静かに私の心を揺さぶった。
振り返ると、ダリウス様が真っ直ぐに立っていた。
「私は……ただ、できることをしただけです」
かすかに笑みを浮かべてそう答えると、彼は首を横に振った。
「その“できること”が、どれほど人々を救ったか。君自身が一番わかっているはずだ」
彼の灰色の瞳が私を射抜く。
胸が痛いほど高鳴り、言葉が喉に詰まる。
沈黙が流れ、彼はふと視線を落とし、言葉を探すようにわずかに息を吐いた。
そして――
「……エレナ。これからも、俺と共に歩んでくれるか」
その一言に、視界が揺れる。
心臓が強く跳ね、足元が浮き上がるような感覚。
婚約者に裏切られ、家族に否定され、すべてを失ったあの日から、必死に生きることだけを選んできた。
その先で、こんな言葉をかけられる日が来るなんて――。
胸が熱に満たされ、声が震える。
「……はい。私でよければ」
答えた瞬間、彼の表情が柔らかくほどけた。
厳しい戦場の将の顔ではなく、一人の男の顔として。
私の心に深く刻み込まれる笑みだった。
その瞬間、言葉よりも確かな絆が結ばれたと、私は悟った。
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それから月日が流れた。
王都の噂は時折届くが、エドワードとセシリアはすでに力を失い、かつての輝きは跡形もないという。
哀れみすら感じるが、私にとっては遠い過去の出来事でしかなかった。
今、私には守りたい場所がある。支えてくれる仲間がいる。そして――共に歩むと誓った人がいる。
そして今日。
ヴァルトの地にとって、いや私にとっても最大の節目が訪れた。
――ダリウス様と私の結婚式。
朝から城は華やかな飾りで包まれ、城下の人々が集い、笑顔と祝福の声が広がっていた。
花びらを手にした子どもたちが走り回り、兵士たちですら頬を紅潮させていた。
純白の衣をまとい、私は広間の入口に立っていた。
心臓の鼓動が強く響く。
王都では決して与えられなかった舞台。追放された令嬢として泥をかぶり涙を流した私が――いま、ここに立っている。
一歩を踏み出す勇気が揺らぎかけたとき、前に伸ばされた手があった。
「行こう、エレナ……よく似合っている」
差し伸べられた逞しい手。剣を握り、幾多の戦いを潜り抜けてきたその手は、同時に民を助けるために差し伸べられてきた優しい手でもあった。
その手を握ると、温かな力が全身を包み込み、震えが消えていった。
「はい……」
小さく返すと、彼の目が穏やかに細められた。
その眼差しに背を押され、私は彼と共に歩き出した。
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祭壇の前に並び、神官の声が高らかに響く。
民は息を呑み、静寂の中で誓いの言葉が交わされる。
「ダリウス・ヴァルト。汝はここに、エレナを妻として迎え、苦楽を共にし、未来を築くことを誓うか?」
「誓う」
力強い声に、胸が熱くなる。
「エレナ。汝はここに、ダリウスを夫として迎え、共に歩み、愛と希望を分かち合うことを誓うか?」
「……誓います」
震えながらも、確かな思いを込めて答えた。
指輪が交わされ、神官の宣言が広間に響く。
「――ここに、新たなる夫婦の誕生を祝福する」
歓声と拍手が爆発する。花びらが宙を舞い、子どもたちの声が弾ける。
人々の喝采の中で、ダリウス様がそっと私に囁いた。
「エレナ。……君が今まで歩み続けてきた結果が、これだ」
驚いて顔を上げると、彼の瞳は真っ直ぐに私を見つめていた。
「君が懸命に人々を支え、諦めずに立ち上がったから、今日がある。俺一人ではここまで来られなかった。……ありがとう」
その言葉に、視界がにじむ。
否定され、居場所を奪われ続けた日々。
けれど、ここでようやく自分の存在が意味を持つのだと、心から思えた。
「……私こそ、ありがとう、ダリウス様。あの日、あなたが手を差し伸べてくれたから、私は今ここにいます」
互いの手を固く握り合い、微笑みを交わす。
歓声が空へと広がり、祝福の声が風に乗る。
ーー辺境の空は、誰よりも眩しく輝いていた。
こうして…追放された公爵令嬢は、愛と誇りに包まれながら、新たな人生を歩み始めるのだった。
---完---
以上で完結となります
最後まで見守って下さって、ありがとうございました!
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そして、明日17時から新作を始めます!
『適合率ゼロの反逆者──落伍した少年は虚構の世界を斬り裂く』
https://ncode.syosetu.com/n9723lc
SF作品に挑戦しますので、こちらも生暖かく見守っていただければ嬉しいです。