顛末
かつてランカスター王国の第一王子エドワード・ランカスターと、その婚約者セシリア・エヴァンスは、王都の社交界における中心に君臨していた。
豪奢な舞踏会の夜会では二人が姿を現すだけで人々の視線が集まり、花々に彩られた大広間に、ため息まじりの羨望が広がった。
「未来の王と王妃」「完璧な黄金の一対」――その称賛を疑う者は当時、一人として存在しなかった。
しかし、今となってはそれも遠い幻。
栄光の日々は砂の城のように崩れ去り、手を伸ばしてももう掴めない。
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王太子であったはずのエドワードは、父であるレオポルド三世によって王籍を剥奪され、王都グランツヘルムから追放された。
権威を象徴する冠も、胸に輝いていた王家の紋章も、護衛の騎士団さえも、すべて一夜にして失われた。
残されたのは、民衆の冷ややかな視線と「愚王子」と嘲る侮蔑だけ。
セシリアも同様に、華やかな舞台から転げ落ちた。
彼女が支えとしたエヴァンス公爵家は、息女の軽率な言動によって大きく信用を失い、やがて彼女を切り捨てた。
実家から差し伸べられるはずだった庇護は断たれ、王子の婚約者という地位も消え、残ったのは孤独と虚無だけ。
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二人が身を寄せたのは、王都の外れにある埃舞う安宿の一室だった。
木の壁はひび割れ、雨が降れば天井から滴が落ちる。窓辺には蜘蛛の巣が張り、夜には鼠が走り回る。
かつて絹の天蓋の下で眠っていた二人が、今は薄汚れた寝台の上で痩せた身体を寄せ合っていた。
セシリアの衣は、もう高価な絹ではない。
金糸の刺繍に覆われたドレスは遠い過去の記憶であり、今身に纏うのは、旅人が捨てていった擦り切れた古着だった。
宝石を散りばめていた首元も、今は赤くただれ、痩せた鎖骨が浮き出ている。
エドワードもまた同じだ。
「王子」と呼ばれた頃の威厳はすでになく、伸び放題の髪に影を落とす顔は疲労でやつれきっている。
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「……どうして、こんなことになってしまったの……」
セシリアは膝を抱き、すすり泣くように呟いた。
エドワードは暗がりに俯き、乾いた声で答える。
「……すべては、あの女のせいだ……」
「……お姉さま……」
セシリアの唇が震える。
「エレナさえ……辺境で持ち上げられなければ……俺は……俺こそが王になれたはずだ……」
言葉に力を込めようとするが、その響きは虚しく、痩せた喉から洩れる呻きにしかならなかった。
王都で囁かれる名は今、もはや「辺境の聖女エレナ」と「ヴァルト公ダリウス」ばかり。
民は彼らの勇名を語り継ぎ、感謝と信頼を寄せている。
一方で、エドワードとセシリアの名が出る時は決まって嘲りと共にあった。
――「聖女を追放した愚か者」。
その一言がすべてを物語っていた。
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セシリアは顔を覆い、涙に濡れた頬を隠した。
「どうして……どうしてあの人ばかりが……。お姉さまは泥にまみれ、泣いているのがお似合いなのに……」
彼女の声には憎悪と嫉妬、そしてどうしようもない哀れさが混じっていた。
エドワードは何も答えなかった。
答える言葉など、もはや残されていなかったからだ。
自分の足元を見れば嫌でも理解できる。
――権力に胡座をかいた者が、それを失えば誰一人として残らない。
かつて自ら見下した民も、従っていた騎士も、もう二度と振り向かない。
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やがて二人はヴァルト領にすら立ち入ることを許されず、さらに遠くの辺境を彷徨うこととなった。
王都から遠ざかり、名もなき村や宿場町を訪れるたびに、身分を偽り、過去を隠そうとした。
だが、どこかで必ずその正体を見抜かれる。
「聖女を追放した罪人」として名が広まり、どの地に行っても人々の視線は冷たかった。
居場所を求めて逃げ続けても、行く先々で門を閉ざされ、石を投げられ、ただ追放者として追い払われる。
二人の姿を憐れむ者は、誰一人としていなかった。
かつて彼らが見下してきた民衆が、今は冷笑と軽蔑をもって彼らを迎える。
それは皮肉であり、同時に必然の報いだった。
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風に晒されながら歩き続ける二人。
セシリアはふらつき、エドワードは無言で彼女を支える。
だが、その瞳の奥には光はない。
――失ったものは、決して戻らない。
――裏切った相手に縋ろうとした時点で、未来はすでに閉ざされていた。
彼らの叫びは虚しく空に溶け、ヴァルトの城壁に届くことは二度となかった。
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次回、最終回となります。