断罪
王都グランツヘルム。
白大理石で築かれた壮麗な王宮――クリスタル・パレスの奥深く、謁見の間に重苦しい空気が漂っていた。
「なに……ヴァルト辺境伯が、独立を宣言しただと……!?」
玉座に座る国王レオポルド三世の声が、雷鳴のように響き渡る。
集まった重臣や侍従たちは一斉に息を呑み、顔を見合わせた。
側近の一人が蒼白な表情のまま、さらに続ける。
「はっ……陛下。それに加え、第一王子殿下が無断で勅命を発していた事実も判明いたしました。それこそが、辺境の独立の決め手となったとのことにございます」
「……なんだと?」
国王の瞳が冷たく鋭い光を帯びた瞬間、宮廷全体が凍り付いた。
控えていた第一王子エドワードと、その婚約者である公爵令嬢セシリアは、血の気を失い、唇をわななかせる。
「わ、私は……ただ、辺境を従えるために……! 父上の御威光を示すつもりで……!」
「そ、そうです陛下! 殿下は王家の威信を守ろうとしただけにございます! どうか、そのお気持ちだけはご理解を……!」
二人は必死に言葉を並べ立てるが、玉座の上の国王の表情は微動だにしない。
「愚か者どもが」
低く、しかし大広間の隅々まで届く声音。
重臣たちが思わず背筋を伸ばした。
「お前の功を焦った軽挙妄動が、結果として国を割ったのだ! ヴァルトは帝国の侵攻を退け、なおかつ王家を見限った。その意味が分かっておるか!」
国王の叱責が稲妻のように響く。
玉座の間は重苦しい沈黙に包まれ、誰一人として声を上げられない。
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巨大なステンドグラスから光が差し込む王城の広間。
赤い絨毯の上、震えるように立ち尽くすのは第一王子エドワードとセシリアだった。
「殿下が……無断で勅命を……」
「辺境を従えるどころか、独立を招くとは……」
「王家に仇なす所業だ」
重臣や貴族たちが、陰に隠れながらも鋭い声で囁き合う。
彼らの視線は冷ややかで、もはや「王子」としての敬意は微塵も残っていなかった。
一方で、勝利の報せは王都に届いていた。
しかし人々の口にのぼるのは「帝国を退けたヴァルトの力」であり、「王家の威光」ではなかった。
そして今や、ヴァルトは独立を宣言し、事実上ランカスター王国の手から離れてしまったのである。
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「……落ち着いて、エドワード様。ここで取り乱しては……」
控え室の奥。
セシリアは震える手で扇を握りしめ、無理に笑みを作りながら囁いた。
だが、その笑みは引き攣り、目の奥には焦燥が露わになっている。
「落ち着けるものか!」
エドワードは椅子を蹴り飛ばし、怒号を放った。
背筋を冷たい汗が伝い落ちていく。
「辺境の連中が……勝手に独立を!?そんなことが許されるはずがない!それもこれも、すべて――あの女、エレナのせいだ!」
拳を握り締め、唇を噛み切らんばかりに歯を食いしばる。
「俺が切り捨てた女が……聖女と呼ばれ、民に崇められているだと!?馬鹿げている……俺の婚約者であったあの悪女が、今や辺境の象徴だと……!」
その叫びは怒りよりも、焦燥と恐怖の色を強く帯びていた。
セシリアは唇を噛みしめ、嫉妬に揺れる瞳を隠すように俯く。
(お姉さまが聖女?……そんなの、認められるはずがない。私は殿下と並び、未来の王妃となる女……敬われるべきは私のはずなのに……!)
心の奥底で煮えたぎる嫉妬と焦燥。
その感情が理性を飲み込みつつあった。
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扉が軋む音を立てて開かれ、王宮の侍従が声を上げた。
「殿下、陛下がお呼びです」
二人の心臓が跳ね上がる。
互いに顔を見合わせたが、そこにあったのは怯えと焦燥だけだった。
やがて、二人は重い足取りで玉座の間へと進んでいく。
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荘厳な玉座の間。
国王レオポルド三世は険しい表情で玉座に座し、その前に並ぶ重臣たちも冷ややかな視線を二人に注いでいた。
「エドワード」
国王の低く重い声が響き渡る。
「改めて問う。そなた、無断で勅命を発したと報告を受けている。これは真か?」
「……わ、私は……辺境をまとめるために必要な事だと……!」
「ほう?ならばそんな重要な事をなぜ、この私に一言の相談もせなんだ!」
雷鳴のような叱責が轟き、広間全体が震える。
エドワードは顔を真っ青にし、言葉を失った。
セシリアが必死に進み出る。
「陛下、どうかお聞きくださいませ! 殿下はただ、王家の威信を守ろうと……!」
だが、国王は彼女を一瞥するのみ。
その声には冷徹な怒りが込められていた。
「威信だと?…その結果がどうだ。ヴァルトは王家を見限り、独立を宣言した。今やあの地は、国境を守る要であると同時に――王都に刃を向けうる存在となったのだ」
重臣たちがざわめく。
「陛下、この上ヴァルトが帝国と手を結べば……!」
「もはや猶予はございません。殿下とその婚約者の処断を!」
王都を揺るがす声が次々と上がる中、国王はゆっくりと立ち上がり、二人を見下ろした。
「よいか、エドワード。辺境は王国に背を向けたが、まだ敵対を選んだわけではない。だが――このまま王家の不始末をうやむやにすれば、奴らは必ず剣を抜くであろう」
「……っ!」
エドワードは息を呑み、蒼白になった顔をさらに歪める。
「ゆえに、王家は立場を明らかにせねばならぬ。すべては一人の愚行ゆえであり、王家全体の過ちは決してない、とな!」
国王の声音は冷徹で、そこに父としての情は一片も感じられなかった。
「エドワード・ランカスター」
「……は、はい……父上……!」
「そなたの軽率な振る舞いが国を割り、王家を危機にさらした。ゆえに、この場をもって王籍を剥奪し、王都より追放とする」
「な、なに……!? そんな……!」
エドワードの全身が震え、声が裏返る。
謁見の間が騒然となった。
「お待ちください陛下!」
セシリアが悲鳴を上げる。
「殿下はただ、王家のためを思って……!どうか、ご慈悲を……!」
だが、国王の瞳は冷たく揺るがなかった。
「セシリア・エヴァンス。そなたもまたエドワードを焚きつけ、さらにエレナ嬢を貶める虚言を広め、王都を乱した罪は重い。王家の威信を回復し、ヴァルトの怒りを鎮めるためにも――そなたも断罪せねばならぬ。よって、エドワードと共に追放とする」
「そんな……!」
セシリアは扇を取り落とし、膝から崩れ落ちる。
エドワードは呆然と立ち尽くし、呻き声を漏らした。
――二人が謁見の間を去る時、人々の視線は氷のように冷たかった。
かつて憧れを一身に集めた王子と公爵令嬢は、今や「王家の犠牲」として晒され、罪人と見なされていた。
それでも二人の心には、なお一つの執着が残っていた。
(エレナ……あの女さえ……!)
絶望の淵で、なお「元婚約者」に縋ろうとする。
しかし彼らはまだ気づいていなかった。
――エレナが、もはや「辺境の象徴」として、王都の誰も手を出せぬ存在になっていることを。
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