彷徨う
夜の街は、昼間とはまるで違う顔を見せていた。
煌びやかな大広間で婚約破棄を告げられ、屋敷からも追い出された私は、ただ足の向くまま石畳を歩いていた。
馬車を使うことも許されず、持ち物すら奪われ、着の身着のまま。
肩を覆う薄いショールは夜風を防げず、身震いが止まらない。
(どうして……こんなことに……)
十年の努力が、すべて意味を失った。
妹に婚約者を奪われ、両親に切り捨てられ、王子に冷酷に罵られた。
私の存在は、この世界で不要だと宣告されたのだ。
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通りを行き交う人々の視線は、冷たい。
いや、誰も私を気にかけてなどいない。
行く宛もなく、只とぼとぼと街を彷徨う
ふと、酒場の前を通りかかったとき。
扉が開き、酒に酔った男たちの笑い声が漏れてきた。
その笑いの中に――聞き覚えのある名が飛び込んできた。
「……エレナ様ってさ、妹に婚約者取られたんだろ? あれほど完璧な淑女ぶってたのにな」
「ざまあみろだよな。いくら優秀でも妹を虐めるような冷酷な女なんて愛される訳なかったんだ」
笑い声が一層大きくなり、心臓を握り潰されるような痛みが走る。
足早にその場を離れた。
(……あぁ、もう……街中の人々にまで……)
噂は広まっている。
私が「冷酷な悪女」で、妹が「健気で可憐な令嬢」だと。
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夜も更け、やがて足が鉛のように重くなっていく。
お腹は空き、喉も渇き、靴擦れした足が痛む。
それでも歩き続けるしかなかった。
どこへ行けばいいのか分からない。
けれど止まったら、心が折れてしまいそうで――。
ふと視線を落とすと、路地の片隅に小さな子供たちが身を寄せ合って眠っていた。
薄い毛布に包まれ、寒さを凌いでいる。
胸が締め付けられる。
(……あの子たちと、私は何が違うのだろう)
いや、違いなどないのかもしれない。
私もまた……居場所を失った、ただの迷子なのだから。
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――そんな事をぼんやりと考えていたからだろうか
ふと気がづけば、私は大通りを外れ、人通りのない裏路地に迷い込んでいた。
暗がりの中で、急に背後から足音が近づいてくる。
「おい、嬢ちゃん。こんなところで何してんだ?」
荒れた声に振り返ると、数人の男が立っていた。
酔っているのか、獣のような目で私を舐め回す。
背筋が凍りついた。
「い、いや…」
「なぁ、ヒマなら俺たちの相手をしてくれよ!」
「そうそう、アッチにいい店があるんだ」
嫌な視線を向けて、男たちはゆっくりと獲物を被るように私に近づいてくる。
「や、やめて……っ!」
足がすくんで逃げられない。
じりじりと距離を詰められ、恐怖に呼吸が乱れる。
(ここで……終わるの? こんなところで……)
瞼をぎゅっと閉じた、その瞬間――
鋭い声が夜を裂いた。
「――そこまでだ」
重く響く低い声。
次の瞬間、風を切る音と共に、男たちの呻き声が路地に響いた。
恐る恐る目を開ける。
そこに立っていたのは、月明かりを背に受ける一人の男性。
広い背中。荒々しくも整った気配。
けれどその影は、私にとって眩しいほど強く見えた。
私は、ただその姿を見上げ、震える声を漏らした。
「……あなたは……」
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今日はここまで。
完結まで毎日投稿していきます!
どうか生温かく見守ってやって下さい