必死の抵抗
夜明けから始まった戦は、とうに昼を過ぎても終わる気配を見せなかった。
砦の石壁に立つと、眼下に広がるのは黒い波――ガルディア帝国軍の果てしない軍勢。
押し寄せては引き、また押し寄せる波は、空さえ覆い尽くすほど濃く、息が詰まりそうだった。
「敵、第二陣! 盾兵が前進してくる!」
「弓兵、狙え――撃て!」
矢羽根が一斉に宙を裂き、空が雨に覆われるような音が響く。
私は思わず身をすくめた。
けれど、帝国兵たちは怯まない。
分厚い盾を組み合わせ、歩みを止めずに進んでくる。
矢は盾に突き刺さって乾いた音を立てるだけで、彼らの歩調は揺るがなかった。
その盾の壁が近づくたびに、砦全体が圧迫されていくように感じられる。
「……来る……」
握りしめた手が汗で湿り、胸が痛いほど脈打つ。
やがて、鉄槍を手にした敵兵たちが門前に殺到し、長い杭を振り下ろして扉を打ち据え始めた。
「ゴンッ!」と重い衝撃が砦を揺らし、私の足元までも震えを伝えてくる。
石壁の内側にいる民の悲鳴が耳を刺し、胸が詰まる。
――砦が崩れてしまうのではないか。
恐怖が喉を締め上げた、そのとき――。
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「怯むな!」
空気を切り裂く声が響いた。
思わず顔を上げると、灰色のマントを翻しながら、ダリウス様が最前線へと躍り出る姿が目に映った。
剣が閃き、鋼を叩く音が轟く。
盾を弾き飛ばすたびに火花が散り、敵兵の列が乱れていく。
返り血が舞っても、一歩も引かずに進み続けるその背中は、どんな岩よりも強固に見えた。
「閣下に続け!」
「砦を守れ!」
「一歩も引くな!」
兵たちが叫び、恐怖に縛られていた顔に熱が戻っていく。
その声の渦に飲まれながら、私は息を呑んだ。
「……ダリウス様……」
胸の奥が熱くなり、涙がにじむ。
あの背中があるから、皆は立ち上がれる。
そして――あの人のために、私もまた立ち続けたいのだ。
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「攻城塔だ!」
誰かの叫びに振り向くと、帝国軍の陣から黒々とした影が押し出されてきた。
巨大な塔が車輪を軋ませ、唸りを上げながら迫ってくる。
私の足は震え、手が無意識に胸元を掴んでいた。
「火矢を放て!」
兵たちが矢に火を灯し、炎の尾を引いて夜空を駆けた。
木材に突き刺さった矢は瞬く間に火を広げ、塔を赤く包み込む。
「燃えたぞ!」と歓声が上がった瞬間、胸にわずかな希望が灯った。
けれど、その炎の中からなお黒い影があふれ出した。
兵たちが火を盾にしながら突撃してくる姿に、私は絶句する。
「どうして……」
燃えても、倒れても、それでも進み続ける帝国兵たち。
その執念に、背筋が凍りついた。
「くっ……! これほどとは」
ロイ様が歯を食いしばる声が耳に届く。
「まだ持ちこたえられる」
血に濡れた剣を振り払いながら、ダリウス様が低く言った。
その声音は不思議なほど揺らぎがなく、聞くだけで足元が強く固まるような気がした。
「それに……エレナがいる限り、兵も民も折れはしない」
灰色の瞳が一瞬、こちらを捉える。
その視線に心臓が大きく跳ねた。
――私が……皆の支えになれているの?
胸が熱く震え、唇を噛みしめる。
だとしたら、もっと強くあらねば。
その想いが、体の奥からせり上がってきた。
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日は傾き、空が赤く染まっても、戦いは終わらなかった。
帝国軍は兵を入れ替え、果てしなく押し寄せてくる。
砦の上では弓を引き続けた兵の指が裂け、血で濡れていた。
それでも布を巻いて弓を放ち続ける。
治療所では薬草の在庫が尽きかけ、血に染まった布が山を築いていた。
泣きながら兵の傷を押さえる少女に、私は駆け寄り、手を取った。
「大丈夫……彼はきっと大丈夫だから、ね」
自分に言い聞かせるように声をかけると、少女は涙を拭って治療に戻った。
砦の外からは、なおも鬨の声と太鼓が鳴り響いている。
けれど、それでも砦は落ちない。
兵も、民も、互いに支え合いながら抗い続けているからだ。
恐怖に押し潰されそうになっても、隣に誰かがいれば立ち上がれる。
私自身もそうだった。
だからこそ、ここにいる皆の心に火を灯す役目を、決して放してはならない。
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「皆、よく持ちこたえている」
戦場を見渡しながら、ダリウス様が私のもとへ歩み寄ってきた。
彼の歩みは揺るがず、その姿は砦の柱そのもののように見えた。
「エレナ……」
名を呼ばれるだけで胸が熱くなる。
灰色の瞳が真っすぐに私を射抜いた。
「お前の声が、皆を支えている」
胸に突き刺さるようなその言葉に、息が止まりそうになる。
唇が震え、けれど必死に微笑んで答えた。
「いいえ……私も、皆に支えられているだけです」
その瞬間、ダリウス様の瞳がほんの少し柔らいだ気がした。
戦場に似つかわしくないほどの、わずかな温もりがそこにあった。
次の瞬間、砦全体が雄叫びに包まれた。
兵も民も声を上げ、倒れた者でさえ呻きの代わりに拳を握った。
戦いはまだ終わらない。
だが、誰もが心の奥に確かな炎を灯していた。
その炎こそ、私たちが守る未来そのものであった。
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