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決戦の火蓋



大地そのものが唸りを上げて揺れていた。

震えは足元から背骨を伝い、胸の奥を叩く。


遠くから押し寄せてくるのは、ガルディア帝国軍――黒鉄の鎧に身を固めた漆黒の軍勢である。

夜明けの曇天の下、無数の槍の穂先がぎらりと光り、その列は地平の彼方まで続いていた。


ときの声が一斉に轟く。

獣の咆哮のような叫びが風を裂き、砦の石壁を震わせる。

その響きに、誰もが思わず息を飲んだ。

私の膝も一瞬震えたが、両の拳を握りしめて立ち止まった。



「来るぞ!」



砦の上に立つダリウス様の声が空気を切り裂く。

その声音には恐れも迷いもなく、兵士たちの心を一気に奮い立たせた。



---



矢筒を背負った兵たちが一斉に弓を引き絞る。

弦が軋み、筋が張り詰め、吐息が凍りつくような静寂が戦場を覆った。


次の瞬間――合図の叫びとともに、空は黒い矢で埋め尽くされる。


風を裂き、鋭く降り注ぐ無数の矢雨。

だが、帝国兵は怯まず進んだ。

巨大な盾を掲げ、まるで鉄壁の壁を築くかのように、矢を受け止め、弾きながら押し寄せる。


地鳴りのような足音が迫り、金属がぶつかり合う音が石壁を伝って私の鼓膜を打ちつけた。



「まだ止まらない……!」



兵士たちの中からそんな声が洩れる。

私も胸の奥を冷たいものが走った。

それでも――砦を越えさせるわけにはいかない。



---



「――投石器、準備!」



砦の下からロイ様の張り上げた声が響く。

辺境の兵たちは山から切り出した巨石を組み上げた投石器に載せ、全身の力を込めて引き絞る。

縄が悲鳴を上げ、次の瞬間、解き放たれた巨岩が唸りを上げて宙を飛んだ。


轟音。


地を叩く鈍い衝撃。

土煙とともに悲鳴が響き渡り、敵の列が一瞬乱れる。


しかし――それでも黒い波は止まらなかった。

ひとり、ふたり、倒れても、背後から次の兵が無数に押し寄せ、途切れることなく前進してくる。

その数、その圧力は、まるで山崩れが迫ってくるかのようだった。



---



「エレナ」



背後から名を呼ぶ声に振り返る。

そこにいたダリウス様は、剣を腰に、ただ冷静に戦場を見据えていた。

灰色の瞳は、炎と血に彩られる光景を前にしても一切揺るがない。



「君はここで、民の士気を支えてくれ」



その声音は強く、けれど信頼に満ちていた。

まるで「君ならできる」と断言するかのように。



「……はい!」



胸の奥に熱が宿るのを感じながら、私は振り返り、声を張り上げた。



「皆さん! 怯まないで!

私たちが守るのは、ただの石の壁ではありません。

ここで生きる未来そのものです!」



声が砦の中に響き渡る。

兵たちの視線が私に集まり、恐怖を噛み殺すように歯を食いしばる。

彼らの眼にわずかな光が戻ったのを見て、胸が熱くなる。

たとえ小さな力でも、今は確かに皆を支えている。



---



その時、帝国軍の黒い奔流がついに砦の門に衝突した。

鉄の杭で補強された分厚い扉が軋み、低い轟音を上げて揺れる。

木片が飛び散り、兵士たちの表情に緊張が走る。



「門を守れ!」



ダリウス様が剣を抜いた。

その一声で兵士たちが一斉に前進し、最前線に駆け込む。

灰色のマントが戦場の風をはらみ、大きく翻った。

その背に向け、無数の槍が一斉に突き出される。


だが、彼は怯まず。

一歩も退かず。

ただ敵を押し返すために、真っ直ぐに突き進んでいった。



「……あの人は、すごい……」



思わず息を呑む。

人の上に立つ者は、背中で示すのだと――その姿が私の目に焼き付いた。



---



「エレナ様!」



緊迫の中、ロイ様が血に濡れた手を拭いながら駆け寄ってきた。

顔には疲労の影が濃く刻まれている。



「医療班を急ぎ広場へ集めます! 負傷者が増える……民も手伝ってくれていますが、指揮をお願いできませんか?」


「はい、任せてください!」



即座に返答すると、私は広場へと駆け出した。

剣は振るえなくても、命を守る戦い方がここにある。



---



広場は混沌としていた。

次々と担ぎ込まれる負傷兵。

呻き声と泣き声が渦巻き、地面は赤黒い血で濡れている。

薬草の匂いと血の匂いが混じり、息を吸うだけで胸が締め付けられた。



「包帯を切って! 薬草はすり潰して! 止血を急いで!」

「水は大事に、出来れば一滴も無駄にしないで!」



私は叫びながら動き回り、震える手で包帯を結ぼうとする少女の肩を叩いた。

その手をそっと包み、目を合わせて告げる。



「大丈夫。あなたの手が、彼を救うの。

剣を握れなくても、この両手でできることは必ずあるから」



少女の瞳に決意の光が宿るのを見て、私の胸にも力が満ちた。



---



その時、砦の外から再び太鼓の音が轟いた。

大地そのものを震わせるほどの重低音。

それに応えるように、帝国軍の鬨の声が怒涛のように押し寄せる。



「まだ第一陣だと……?」



誰かの声が震え混じりに洩れた。

そう、さきほどまでの攻勢は、まだほんの序章に過ぎない。

その背後には、なお幾倍もの黒い波が待ち構えている。


空気は凍り、張り裂けんばかりの緊張に満ちた。

負傷者を抱える手が止まり、子どもが泣き声を上げ、兵士の顔さえ青ざめる。



――これは、始まりに過ぎない。



胸の奥で、鋭い声がこだまする。

戦は、今まさに幕を開けたばかりなのだ。



---

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