王都への報せ
一方、その頃――
王都グランツヘイム。
ランカスター王国の誇る王宮クリスタル・パレスの豪奢な謁見の間。
天井には煌めく水晶のシャンデリアが吊られ、壁には黄金の装飾が輝き、赤い絨毯が玉座へと真っ直ぐに伸びていた。
王家の紋章――双頭の鷲を刻んだ大旗が風もないのに揺れて見えるほど、場の空気は張りつめていた。
「……何? ヴァルト辺境領から急使が来たと申すか」
玉座に座す国王レオポルド三世の声は低く、しかし玉座の間を震わせるほどの威厳を宿していた。
齢五十を越えてなお鋭い双眸が、ただならぬ報せを予感するように光る。
その横で、王太子エドワードは肘をつき、退屈そうに欠伸を噛み殺していた。
蒼い衣装に身を包み、容姿は絵画の王子そのものだが、その態度には緊張感が欠けている。
彼の隣に腰掛ける婚約者セシリアは、顎をわずかに上げ、扇で軽く頬を撫でながら小さく嗤った。その仕草には、己の立場への揺るぎない自信が滲んでいた。
「殿下、辺境などどうでもよろしいではありませんか? 所詮はただの片田舎……荒れ果てた地に、価値などございませんわ」
甘ったるい声が広間に響くと、エドワードは鼻で笑った。
「確かに。あんな僻地など、何がどうなろうと大差はない。……そういえば、エレナがそこで拾われたと聞いたな」
「まぁ、そうでしたわね」
セシリアは嬉しげに目を細める。
「よりにもよって、あの無能な姉さまを拾うなんて……辺境伯も随分と物好きですこと」
「ふん、同感だ。あれほど王都の社交界で浮いていた女を伴侶に選ぶとはな。……きっと、辺境という閉ざされた地だからこそ、あの程度でも役に立つのだろう」
「ええ。地味な姉さまは華麗な殿下の隣には、とても立てるお方ではございませんでしたわ」
セシリアはわざとらしくため息をつき、扇を打ち合わせる。
「まったくだ。私にとっても、あの女が王宮からいなくなったのは幸いだった。……そのおかげで、私はこうして真にふさわしい婚約者を得られたのだからな」
「殿下……お優しいお言葉ですわ」
頬を染めたセシリアは、嬉しげに王子の袖にそっと手を添える。
エドワードは満足げに笑みを浮かべ、辺境も、そしてかつての婚約者も取るに足らぬ存在だと断じる。
廷臣たちの一部は眉をひそめたが、声に出して否定する者はいなかった。
王都では、王太子とその婚約者に逆らうのは愚かとされていたからだ。
――その時だった。
大扉が勢いよく開かれ、甲冑に埃をまとった伝令が駆け込んできた。
膝をつき、荒い息を整えると、声を張り上げる。
「ご報告いたします! ヴァルト辺境領が魔物の大軍に襲撃されましたが――これを、見事に退けました!」
「……なに?」
国王の声が低く響いた瞬間、広間の空気が一変した。
廷臣たちは互いに顔を見合わせ、ざわめきが走る。
「魔物の大軍……?」
「いや、あの辺境にそれほどの力が……?」
伝令は震えながらも言葉を続けた。
「数、千を優に超える魔物でございました! しかし領主ダリウス閣下を筆頭に、元婚約者のエレナ様も民を導き、避難や物資管理を担われたとのこと!」
「なっ……!」
エドワードの笑みが凍りつく。
セシリアは目を剥いて立ち上がり、唇を震わせながら声を張り上げた。
「そ、それは……た、ただの偶然ですわ! 姉さまには何もできるはずが……ねえ、殿下!」
必死の訴えは、広間に虚しく響くばかり。
重臣の一人が杖を突き、冷ややかに告げた。
「報告によれば、避難の采配も物資の管理も、すべてエレナ様が指揮を執られたとか。もはや偶然では済まされぬ」
「ば、馬鹿な……!」
セシリアは蒼白になり、崩れ落ちそうになる。
エドワードは唇を噛みしめ、拳を握りしめていた。
レオポルド三世は深く唸り、やがて厳然と声を放った。
「うむ。至急、辺境の状況を確認し必要なら支援の手配をせよ。遅滞は許さん!」
「ははっ!」
廷臣たちが一斉に頭を垂れる。広間が一気に活気を取り戻す中、王の視線は鋭く、王太子とその婚約者へと突き刺さった。
「あぁ……お前たちが無能と切り捨てた娘が、辺境伯と共に千の魔物を退けたと申しているが?」
重々しい問いに、二人は返す言葉を失った。
ただ冷や汗を流し、震える指先を隠すこともできなかった。
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謁見の間を出ると同時に、その話題は宮廷中に広がった。
「聞いたか? 追放された令嬢が功績を立てたそうだ」
「王子殿下とその婚約者が『無能』と呼んだ娘が、辺境で領民を導いたと……」
「もしや、見る目がなかったのは殿下の方では?」
声を潜めた囁きは、燎原の火のごとく広がっていく。
廷臣たちは表では忠誠を誓いながらも、心の中では別の計算を始めていた。
――辺境で力を示した令嬢とその地を守る辺境伯。
――そして「無能」と切り捨てた王太子と、その婚約者。
冷ややかな視線は、残酷なまでに立場を逆転させていた。
やがてこの噂は、宮廷全体を揺るがす火種となるだろう。
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「どういうことだ! なぜ私とセシリアばかりが非難されるのだ!」
怒声が赤い絨毯を敷いた長い回廊に響き渡る。
王子エドワードは怒りに顔を紅潮させ、拳を震わせていた。
「エレナを追い出したからこそ、私は自由になれたはずなのに……!」
従者たちは誰一人として声を発さず、ただ冷たく沈黙していた。
かつて彼を讃えた視線は、今は伏せられ、敬意の影もない。
「……殿下」
セシリアが必死に声をかける。
その顔には焦燥と恐怖が滲んでいた。
「皆おかしいのですわ! 姉さまがあんな功績を立てられるはずがないのに……!」
だが叫びは虚しく回廊に反響するだけ。
先日の謁見以来、廷臣たちの態度は目に見えて冷たくなっていた。
「……お前も聞いてるだろう、セシリア」
エドワードの低い声には怒りと嫉妬が混じっていた。
「『殿下は見る目がなかった』……そう囁かれているのだ。奴らめ、私を愚弄しおって!」
「殿下……!」
セシリアは怯えたように彼を見上げた。
だがその瞳の奥には、同じ嫉妬と憎悪の炎が潜んでいた。
「ええ、そうですわ。姉さまが優秀だなんて絶対にありえません。必ず何か裏があるはず……」
二人の声は互いに共鳴し、やがて焦燥と嫉妬を燃え盛らせる。
その心はすでに、狂おしい炎に呑まれつつあった。
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