第十章−7:「夜の病院、再び歩き出す者たち」
無労働日、最初で最後の夜。
非常電源に頼った光が消えぬよう、病院の廊下にはまだ緊張が残っている。
それでも、時間は容赦なく進む。日付が変われば、制度の網が再び社会を包み込む。
ー「……行くなら、そろそろですね」
そう言ったのはトーコだった。
ロビーで休憩していた春日恭平たちは、緩やかに立ち上がる。
吉田の手には、マサルが看護師から受け取った小さな手提げ袋。中身は災害備蓄食やカイロ、そして絆創膏。
「何かあったら、また来いってさ。マサルが」
「子どもに気を遣われてんじゃないよ、アンタ」
カナが苦笑交じりに言い、吉田が照れたように肩をすくめる。
見送りに来た久我と大町が、病院の出入り口まで同行する。
その途中、トーコは個人端末越しにIRMAから一通の報告ログを受け取る。
[IRMA通信ログ/22:36着信]
観察対象・春日恭平らによる見学終了。行動パターン、安定傾向。
対象・吉田圭吾および吉田マサル間の関係性再確定。心理回復傾向確認済み。
トーコ観察ユニットNo.α-28は次行動段階へ移行可能と判断。
トーコはその報告を静かに自己ログに格納しながら、恭平たちの顔を一人ずつ見渡した。
ー「この病院における観察記録は、一区切りとなります。今後も必要があれば、遠隔支援と解析を継続します」
「ま、なんかあったらまた会うってことで」
春日は軽く笑って言うが、どこか名残惜しそうだった。
時計は、23時を過ぎていた。
間もなく、日付が変わる。
カナは一歩踏み出す前に、病院の明かりを見上げた。
そこで今日、救われた命、再会できた親子、向き合えた自分。
そのすべてが、ここに残っているような気がした。
「……ありがと。ほんとに、ありがとうね」
それは誰に向けた言葉だったのか。
久我か、大町か、トーコか。
あるいは、この病院そのものに。
大町は「また来てもいいんですよ」と軽口を叩き、春日はそれに笑って応じた。
「……でも、また来るようなことにならない方が、いいかもね」
誰もがうなずいた。
マサルは、病棟の窓から顔を出し、遠くから手を振っていた。
吉田も小さく手を上げた後、ぐっと顔を引き締めて前を向いた。
彼らが再び闇の街道に足を踏み出すころ、病院の非常灯の一部がひとつ、またひとつと、順に落ちていった。
トーコはそれを確認しながら、内部ログに最後の一文を書き記す。
【記録:TOCO(汎用AI観察補助ユニット No.α-28)】
無労働日、観察対象の脱離を確認。制度的補助の限界と、人間的対応の連携により、当初想定以上の成果を認む。
次観測地点への移行準備完了。
日付更新まで残り約四〇分。




