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第二章:制度の代償

空気が澄みすぎて、逆に耳が詰まるような早朝の山道。

舗装されたアスファルトを、細い自転車のタイヤが軽やかに滑る。


「わっ……!」


少年の声が裂けた瞬間、前輪が枯葉を踏み、制御を失った。

体が車道側に流れ、そのとき――


カーブの向こうから現れた軽自動車の運転者は、思わずハンドルを左に切った。だが、遅かった。


ドンッ――。


接触音は、車の金属よりも少年の体の方が軽かったことを物語っていた。

バンパーがかすめた少年は、路肩へ投げ出される。

車はその直後、ハンドルを切った勢いのままバランスを崩し、前輪が斜面の縁にかかる。


ブレーキの音が叫びに変わり、車体は傾き、スローモーションのように横転。


屋根を下にして一回転、そのまま側面を擦りながら、土煙を上げて滑る。


幸い、投げ出された少年の体はその車体の動線をギリギリですり抜け、草むらに転がって停止した。


車もまた、もう一度跳ねるようにしてから斜面脇のガードレールに衝突し、ようやく静止する。


煙。

油の匂い。

そして、山の中に戻る静寂。



「確認地点、ここで間違いありません」


ハンドルを握る男性医師・久我明弘(45)がブレーキを踏み、助手席の大町澪(28)がドアを開けて降り立つ。

ふたりは「無労働日」における数少ない“労働許可者”だった。政府から認可を受け、医療従事者として例外的に行動を許されている。


「子どもは生きてる。脈あり、意識は…少し混濁してます」


大町が脈拍を確認し、保温用のブランケットを取り出す。


「車の方は……うわ、こりゃひどいな。ハンドルに胸打ったか。心肺停止まではいってないが、かなり危ない」


久我が車内から男を引き出しつつ、ぐったりとした体を見てつぶやく。


そのとき、助手席から滑り落ちたビジネスバッグが開き、中から書類が散乱した。


「ん? これは……」


澪がしゃがみ込み、書類の一部を拾う。そこには「厚生政策局/無労働日制度推進室」の文字。

顔写真付きのIDカードには、**「神代圭介・課長」**の名が記されていた。


「へえ……なんてこった」


久我は深く息を吐く。


「この制度作った張本人が、制度の最中に自分の命が危うくなるとはな。運命ってやつは皮肉がうまい」


「皮肉っていうか……呪いかもね」


澪も笑わずに返す。だがその手は止めない。心臓マッサージ、AED、酸素マスク、確実な連携。


「俺たちがこの人助けても、たぶんあの制度、また続くよな」


「それでもやる。だって私たち、“やる”って申請したじゃん」


「代休と引き換えに?」


「そう。命と、代休と、あとは……皮肉な正義感」


2人は黙々と処置を続ける。

後ろでは、毛布にくるまれた子供が目を開きかけている。だが、まだ言葉は出てこない。



山の静けさに、わずかに心音モニターの電子音が響いていた。

制度に守られず、制度に殺されかけた男と、それでも手を差し伸べる者たち。

この国の“休日”は、皮肉とともに静かに進行していた。

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