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第一章:春日恭平、寝坊する

朝、というには少し遅い光が差し込んでいた。

それでも春日恭平は、目を覚ます気配を見せなかった。

布団の中はぬくもりと沈黙で満ちていて、部屋の空気には、普段と違う静けさが漂っていた。


――静かすぎる。


エアコンの風も、空気清浄機の唸りも聞こえない。

テレビもスマホも、Wi-Fiルーターの青い点滅も、何も動いていない。


それにようやく気づいたのは、午前ではなく、正午を過ぎていた。


「……ん、あれ? 暑……?」


上体を起こす。時計を見る。13時12分。

まぶたの奥が重たい。昨夜は珍しく早めに布団に入り、日付が変わる前には完全に落ちていた。だからこそ、この異変にはまったく気づいていなかった。


「エアコン……?」


リモコンを押すが、反応はない。

部屋のどこにも“電気”が存在していなかった。


冷蔵庫を開けに行く途中、何かが足の甲に落ちた。

それは、父の字で書かれた青い付箋だった。


『起きたらもう出てると思う。今日は「無労働日」。

インフラ止まるから、冷蔵庫の中身は午前中に消費推奨。

キャンプ場に行く。じゃあな。

――父』


しばし沈黙。


そして彼は、ゆっくりと両手で顔を覆い――

叫んだ。


「置いてかれたぁ!!」



家は、信じられないほど静かだった。

妹の音漏れTikTokも、母の炊飯器の音も、父の無駄にハリのある声も、なかった。

この世に残されたのは、自分と唐揚げ2つだけ。


「……マジかよ」


冷蔵庫の中を漁る。電気は止まり、保冷も終了。

かろうじて残っていた唐揚げと冷やごはんを常温でむしゃむしゃと食べる。


「昨日、早く寝てなかったら……情報も仕入れられたかもしれないのに……」


口の中に広がるのは、薄い味と強烈な無力感。



食べ終えた頃、ふと背筋に寒気が走った。


「……俺、これって“働いてる”ことになんね?」


皿を洗ったら? 服を干したら?

公共のためじゃなくても、自分のために何かしたら、それは“労働”なのか?


ルールがわからない。誰に聞けばいい?

そもそもネットが繋がらない。スマホはただの板と化していた。


「全部止まってんのか……」


それでも、昨日までは“誰か”が支えてくれていた。

コンビニの店員、ネット回線の技術者、上下水道の整備員。

そういう人たちが全員、今日は“休んでいる”。


そして、自分は。


「働いてないどころか、支えてもらうばっかりだったんだな……」


自虐というにはあまりに遅い気づき。



そのときだった。ポケットの中のスマホが、突如として喋った。


ー「対象:春日恭平。行動開始を確認。

本日以降の行動は“非労働活動”であることを政府指針により確認中。

記録を開始します。こんにちは、私はAI執行補佐――トーコです」


「……誰?」


ー「あなたのような“労働非経験層”に対し、

政府が指定する観察支援AIです。本日は“無労働日”。

あなたが間違って労働をしてしまわないよう、監視・補助を行います」


「いや、余計な世話だろ……!」


ー「モニタリング対象:Z-43。“優先観察ニート”カテゴリに該当します」


「ニートって大声で言うなや!」



財布を手にした瞬間、トーコが冷静に警告した。


ー「現在、金銭の使用は“労働の媒介行為”に該当し、禁止されています。

外出する場合、金銭を使わず生活可能な環境を選んでください」


「……つまり、キャンプ場だな」


彼はようやく決心する。

家族が向かったキャンプ場へ、徒歩で向かうという選択肢。


もちろん電車もバスも動いていない。

炎天下、食料も水もほぼゼロ。電波も使えない。


だがそれでも、そこに“人がいる”かもしれない。

そして何より、このまま家で何もしないわけにはいかなかった。



玄関を出ると、街はしんと静まり返っていた。

歩く人もまばら。自販機は死に、信号機も止まっている。


ー「移動開始確認。

本日、あなたのすべての行動は記録されます。

労働しないよう、十分ご注意ください」


「誰が好きで歩いてるかよ……」


春日恭平、17歳(無職)、

人生で初めて「自分で自分の行動を決める日」が始まった。


(つづく)

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